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historyとblogとeducationに関するguldeenのブックマーク (2)

  • ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記

    はじめに 私はノーテンキな進歩主義者です。人類は少しずつ、一進一退を繰り返しながらも精神面で進歩し続けていると固く信じています。その根拠の一つは、街中で歩きたばこや立小便や痰吐きなどの下品な行為を見かけることが減った、というような日常の些細な感覚です。そして最大の根拠は、「命が大事にされるようになったこと」です。具体的に数値で見ると、日における殺人事件は減り続けています。 参考:平成12年版 警察白書 平成29年版 犯罪白書 日人は長い年月を経て、命を大事にするようになりました。言い換えれば、昔の日人は命を大事にしない蛮族であったということです。平然と殺し合いをしていました。歴史家の言葉を引用します。 光源氏が王朝時代の貴公子の理想像であることについて、これまでのところ、その優れた容姿や豊かな才能などが取り沙汰されるのが普通であった。だが、実のところは、理不尽な暴力事件を起こさないと

    ドキッ! 死体だらけの平安京! ポロリもあるよ! ―命の重さの日本史― - バッタもん日記
  • www.さとなお.com(さなメモ): 内田樹教授の最終講義を聴講してきた(3)

    内田樹最終講義の話の続きである(初回、二回目)。 ヴォーリズの設計思想の深い話は終わり、ここからまた違う話に入っていくのだが、ヴォーリズの話の途中でこんなエピソードを語っていたのを思い出したのでそれを書いておく(このエピソードはたとえばココでも書かれている)。 震災前に大学が財政難に苦しんで、某シンクタンク(名前は明かさなかった)にコンサルを頼んだら、「地価が高いうちに土地を売って郊外移転を考えましょう。こんな築六十年の建物なんて無価値です。維持費もかかるし、こんなものを残しておくのはお金をドブに棄てるようなものです」と言われたらしい。 「彼らは地価とか坪単価はわかるかもしれないが、この建物の価値も、そこで学ぶことの意味もわからない。数値化できるものしか信じない市場原理主義と、私はそのときにきっぱり決別した」 ずっと穏やかに語ってきた内田先生、ここだけはかなり語気を強めた。 そしてこの言葉

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