◇市教委 2022年以降、木造で ◇明治時代に廃城 内部構造など解明目指す 江戸時代に築城された福山城の伏見櫓(やぐら)(国重要文化財)などが残る福山市の国史跡・福山城跡で、市教委は、石垣の上に建てられた長屋のような平屋の建築物「多聞櫓」の一部を木造で復元する方針を表明した。着手は築城400年の2022年以降となる。多聞櫓はJR福山駅から望める南側にあり、市のシンボルとしたい考えだ。(矢沢慎一) 福山城は江戸初期の1622年、徳川家康のいとこで初代福山藩主・水野勝成が築城した。当時造られた、伏見櫓と筋鉄(すじがね)御門(重文)が残っている。天守閣は太平洋戦争による空襲で焼けたが、1966年にコンクリート造りで再建された。 多聞櫓の内部は廊下のように部屋が一列に連なる構造で、武器や食糧を保管し、城が攻められた際には、窓から鉄砲や矢で防衛する機能がある。本丸や二の丸に多く造られ、総延長は約53
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