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文章解釈と国際に関するhungchangのブックマーク (1)

  • "Je suis Charlie"を「私はシャルリーだ」と(だけ)解釈するのは変(※追記あり) - みやきち日記

    【イスラム・パリ銃乱射】“Je suis charlie”を掲げることは卑怯な行為だ - はてな匿名ダイアリー 以下、上記リンク先から引用。 フランスではJe suis charlie、和訳すると『私たちはシャルリー(・エブド)だ(追記4:私はシャルリー(・エブド)だ、が正しい訳です。Jeは一人称単数です。失礼いたしました。)』というスローガンが、あの凄惨なテロ事件以来掲げられている。 はっきり言って、今回の標語は、黒人に対してレイシストスピーチを行ったKKKがテロを受けたときに私たちはKKKだ、ユダヤ人に対してレイシストスピーチを行ったネオナチ団体がテロを受けたときに私たちはネオナチだ、そして、これも極端な話、在日に対してヘイトスピーチを繰り返し行ってる在特会がテロを受けたときに、私たちは在特会だ、と言ってるも同然な話なのだ。 表現の自由を守るための標語として、特にヨーロッパにおいて、こ

    "Je suis Charlie"を「私はシャルリーだ」と(だけ)解釈するのは変(※追記あり) - みやきち日記
    hungchang
    hungchang 2015/01/12
    「英語で言うと"I am Charlie"とも"I follow(support) Charle"とも受け取れる、1種の掛詞になってる」「シャルリーの編集者を殺したとしても、シャルリー(に代表される表現の自由)は生きています」
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