こんにちは。id:moznionです。 限界ですよね。というわけで限界独居在米男性の現実的なメシをご紹介いたします。 飯に味玉、バター、豆板醤、そして醤油を軽く振って完成です。味玉は限界でない時に作っておきましょう。限界が極まっている時は飯にバターと豆板醤だけで良いと思います。このようにして世をサバイヴしています。 ご機嫌よう......
マンションあるいは一軒家を所有していれば当然住む権利がある。 つまり何かあっても家の中にいればいいと言う話になる。 固定資産税だとか水道代だとか維持費を支払う必要はあるものの 家があることはひとまずそこに永続的に住むことができる安心がもたらされる。 俺はそのような安心というものを求めている。 ジョジョのDIOがポルナレフに安心を与えてやるような発言をしていたが 正しく安心とは心を平穏に保ち人間らしい心をもたらしてくれる。 俺にとってはそれがマンションだ。 例えばそれでマンションを入手した場合どうするか。 これだけでは仕事を辞めるなんてことは到底できないだろう。 そう、住居を手に入れたら今度はその維持に躍起になる。 つまりマンションと維持費はある意味セットだ。 マンションを入手かつ一生分の維持費を手に入れられれば心が平穏になる。 家の中にずっといてもいいということになるからだ。 そう家の中に
笑えねえ 俺もうすぐ27歳になるんだよ この前実家帰ったら小学生の時に書いた未来予想図みたいなの見つけたんだよ ○歳で就職して○歳で結婚して○歳で家買ってみたいなやつ なんにもできてねえ できる道筋も見えねえきっかけもねえ あの頃はハッピーエンドしか知らなかったんだ 自分にもまぁそれなりの人生が送れると思ってたんだ 甘かったね 理想の人生と現実のあまりの遠さに吐き気がする そういう理想を叶えられるのは小さい頃から努力を積み重ねてきた人だけなんだよな それを見てたら父上様に「俺がお前の年の頃にはもう結婚して子供いたな」って言われてKOされたね 間違いの人生を送っちゃったんだって 友達もいないし恋人なんかもちろんいない会社の人としか話さない貯金もない趣味もない好きなものがない上がり目がない仕事嫌い努力嫌い疲れたくない頑張りたくないやる気がない 世界にたった一人の最高で貴重で至高なはずの俺のたっ
やかんが沸騰したので、お茶の袋からお茶パックを取り出そうとすると、問題が起きた。 1個にお茶パックが2つ繋がっているのだ。(俺はこの時点でヤレヤレまたかと思った) 見た目上、お茶パックを2つ入れといてというなら1つで問題ない。 しかし、1つのまとまりを1個と計算すると、2個入れる必要がある。 この場合、見た目は4個のお茶パックになるのだ。 さて、「やかんにお茶パック2つ入れといて」と言われたとき、 ・1個で2つ入るお茶パックを1つ入れるのか ・2個入れて計4個のお茶パックを入れるのか どちらが正解なのだ? *** お茶の袋に説明が書いてある。 「やかんでお茶を作るときは、4つのお茶パックが必要だ」 つまり、通常は2個入れなければならない。 しかし、「あえて」薄めのお茶が必要なので、1個入れるのが正解かもしれない。 これは分からない。 言われた通りにやるのか、説明書を読んで自分で考えてやるの
3回人生をやりなおしても だめだった という場合 どうするんだろうね
人の苦しみを分かることができて話も通じるし全体として好感の持てる人でも当たり前のように子供を作ってて、その子供に対して特に罪の意識なんて持ってないようにみえる なんでこの人みたいに想像力ある人が子供なんて作るんだ、人生が苦しいことがわからないはずもなかろうに…と思ってたんだけど、もしかして人生が苦しい人ってかなり少なかったりする? みんなやりたくもない仕事やったり貴重な休みを親の介護に潰されたり満員電車に毎朝乗ったりでかなり苦しんでる印象もってたんだけど、普通の人たち的にそんな苦しみは大したものじゃないんだろうか 楽しい学生時代を過ごしたら、ちょっと大変だけどやりがいのある社会人時代が来て、愛する人を見つけて家庭を築き上げたら次世代に思いを託してゆっくり晩年を過ごす…みたいなものとして人生を見てるのか? すごい絶望感がある
ので、もし楽に死ねる方法があるのならもう死んでしまいたいなと思う。人生、楽しいことより苦しいことのが圧倒的に多いと感じるので、もうこれ以上続けたくないなと思う。今まで自殺をしてきていない理由は、痛いのが嫌だからとか、それくらいしかない。それがクリアされるなら今すぐ死にたい。 みんななんのために生きてるの?
人類が滅亡したことによって事後的に困る人類は存在しない、なぜならその時は既に人類は滅亡した後なので この構図を、今現在生きている1人の人間について適用すると、「あなたはあなた自身が死んだ後の世界について死者の立場から何らかの利害を持ち得ますか?」という問いになる。生きている人は誰一人として死んだことがない以上解答はどうしても間接的なものとならざるを得ないが、私が知る限りこの問いに対して肯定的な返答をするのはみなクリスチャンかムスリムであったように思う。しかし彼らとて死後の世界は生前の世界とは全く別のあり様として生と死とを峻別しているだろう。 ガンスリンガーガールの何巻だったかは忘れたけどジャンさんの「死んだ人間は強いが、生きている人間は弱い」というセリフがあり、たぶん死んだ人間はこれ以上もう失うものがないし傷つけられることもない、どんな意味においても世界に対して利害を持たない、ということだ
初めて増田になりました。 学生の頃にCLANNADのアニメを観て、それは大層泣きました。 シナリオの都合のよさとか、主人公にキツい運命を与えすぎでは?とか、そういう理屈を超越したところにこの作品はあって、京アニは見事にこの物語を演出してみせたと思う。 あの頃は家族とか友達とか人のつながりっていいな、と大まかにはそんな感想だったと思う。 しかし今の私は違う。見終わって、人はなぜこんなにも傷つきながら前を向いて生きなくてはならないのだろうと思った。 いやまあそもそも、5年目にして転職を2回しているような人生なので察してほしい。 働き続けることがこんなにもつらいのだと、布団の中で思う日々だ。 多分この日記を開いてくれた人はCLANNADやリトバスをすでに履修済みだろう。よって割愛する。 私の胸を打ったのは、AFTER STORYに入って、朋也が働き始めたところだ。 卒業後にプーだったことを負い目
あれが苦しいあれが楽しいだの、間違ってるだの正しいだの、はしゃいだり怒ったりして人生に興味持ちすぎ。 どうなってもいいだろそんなもん。
結局どんなことでも、『新鮮』⇒『慣れ』⇒『飽き』となると思うと虚しくなる。 はじめはあんなに新鮮で輝いてみえていたのに、次第に慣れて、そして飽きる。 このパターンにあてはまらないものってあるのだろうか? それとも常に新鮮さを追い求めていき、泳ぎ続けるマグロのような生き方でないとならないのか? また、常に新鮮なことは刺激があるかもしれないが、そればかりでは疲弊する。 「あっ!何これ!おもしろいもの見つけた!」と思ったものに出会えても、 「いずれ飽きるんだろなぁ」との思いも同時にあるのが虚しい。そして、結局飽きる。 泳ぎ続ける気もないが、飽きたくもない。『慣れ』の段階で止まるのが一番心地いいのだろうか? そして、そんなものはあるのだろうか? そんな疑問と虚無感に苛まれる今日この頃である。
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