雯 @monsan2097 彼氏が欲しいわけでも、結婚したいわけでもないんです。ただ、仕事終わり家に帰って、一緒に料理を作って、焚き火しながら外で楽器吹いたり、弾語りしたり、絵を描いたり、人生を一緒に楽しく生きてくれるパートナーが欲しいんです。男の人とか女の人とか関係なく、一緒に楽しく生きてくれる人。 2021-11-05 21:06:01
「性の話をもっと気軽にオープンに」をモットーに、性教育YouTuberとして活動するシオリーヌさん。助産師・思春期保健相談士の資格を持ち、YouTube動画だけでなく学校などでの講演会、イベント登壇、本の出版といった多岐にわたる形で、性に関する正しい知識を発信する。シオリーヌさんが語る性の話は明るくて楽しく、性教育に付きまとう「恥ずかしい」「つまらない」「気まずい」イメージを感じさせない。そんな彼女のYouTubeチャンネルは好評を呼び、若者を中心に14.7万人(2021年5月現在)もの人がチャンネル登録をしている。 学校での性教育は、単に「男女の体の機能や生殖の仕組みの話」に終始しがちだ。しかし、シオリーヌさんの性教育は、避妊具の使い方や生理への具体的な対処法からフェミニズム、性のあり方の多様性、ルッキズムやホモソーシャルの問題までと、現代社会を生き抜くために欠かせないテーマを扱う。そう
2015年の春のこと。 わたしはまだ青木杏樹ではなく、ただ趣味で小説を書いている人でした。毎日毎日、400字詰め原稿用紙を20枚ワンセットを消費しては、文房具屋に買いに行きました。帰宅するとまた明け方まで20枚消費し、日が高くなる頃には買い足しに行く日々が続きました。 小説とは応募するもの、小説とは他人に読んでもらうもの、という考えがわたしにはありませんでした。 わたしの中には小さな世界がごまんとあり、その世界で生きている人たちはたえず呼吸をしていて、畑を耕し、水を飲み、作物を売ったり買ったりしていました。ときには殺し合って世界は消えてしまうこともありました。そうした流動する世界線がいくつも走り、絡み、まじり、繰り返す、衝動にも近い意識と妄想がするすると動くものですから、歴史をつむぐように彼らの証をのちのちまで残せないものかと考えたのがどうもわたしの執筆の原点のようです。つまり応募する、評
つい先日、シロクマ先生から本を頂いた。 タイトルは「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」。大変面白く読ませていただいた。Books&Appsの読者にはハマるのではないか。 本の内容について、寄稿も頂いている。 ホワイトな勤務先・ホワイトな社会には、ホワイトな人間が求められる 記事では「ホワイトな社会は良いことづくめなのか?」という問題提起と、「ホワイトな人間でなければならない世の中は息苦しすぎてイヤだ」という主張が展開される。 先生の言う通り「素行の良い人々」で固められた世界に生きづらさを感じる方がいることは、私もよく分かる。 「明日は我が身」と考える先生の思惑も理解できる。 小学生の時「みんなに合わせなければならない」のが苦痛で、毎日小学校に行きたくなかった私は、規範に縛られる世界の堅苦しさも容易に想像がついた。 でも息苦しさは「資本主義」のせいなのか? ただ、私が本
著: 玉置 標本 (撮影:宮沢豪) 首都圏から地方に移住した友人は何人かいるが、その中でもじっくりと話を聞いてみたかったのが、「ざざむし。」というサイトを運営する日比野理弘さんだ。「ざざむし。」は、自分の力で食材を手に入れ、その個性にあわせて調理して、固定観念に惑わされることなく評価する喜びを教えてくれる稀有なサイトである。 ただそこに書かれている内容は、釣った魚とか摘んだ野草を食べてみましたというレベルではない。例えば本人が花粉症なのにスギ花粉を集めて自家製麺に練り込む、昆虫食として注目を集める便所バチの幼虫を自家養殖する、杏仁の香りがするフェモラータオオモモブトハムシの幼虫を絶品デザートに仕上げる、ナメクジは腹を壊すという説を大真面目に考える、さまざまな有毒植物を試してみるとかなのだ。 こんな感じに相当どうかしている(良い意味で)日比野さんが、長く住んでいた神奈川県から、2017年に富
ABEJA Advent Calendarの1日目です。 はじめに 昨年はABEJA Platformに関するAdvent Calendarでしたが、今年はプラットフォームに限らず幅広い技術を扱おう、ということで縛りを作らずに様々な技術を紹介していきます。 さて、皆さん、社内でのコミュニケーションツールは何をお使いでしょうか。色々なツールがあると思いますが、Slackを使っている所が多いのではないかと思います。Slackはとても良いツールなのですが、使いこなす会社側にその運用ルールが委ねられています。中でも、DMやプライベートチャンネルでの秘密の会話による情報格差などが発生することが問題になり、オープンチャンネルに限定している会社も多いのではないでしょうか。しかしながら、オープンに会話をすれば、皆が平等かつ平和に会話ができるか?というと、全くそんなことはありません。オープンにすると下記のよ
Q. 専門性が身に付かない ■学歴よりもコンパスを持つ 意外と意識している人はまだ多くないのですが、私たちはこれからすごく長寿の時代を生きることになります。たとえば100歳まで生きるとすると、90歳くらいまでは働くことになるでしょう。でも、約70年間1つの会社で働くなんてありえないですから、どこかで転職をすることになる。そうしたときに、専門性が身に付いていない人は生き残れないわけですね。 MITのメディアラボの標語に、“Compasses over Maps”という言葉があります。昔だったら、偏差値の高い大学を出て、大企業に就職して、そこで管理職になればそこそこ生きていけた。それが人生の「地図」だったわけですね。でも今の時代、地図はどんどん変わっていく。昨日までそこにあった橋が急になくなったりするわけですよ。コンパス、つまり進むべき方向を見定めて前に進む力が必要になってくる。それが専門性で
例えばあなたがたった一人で、どこか深い山の奥に置き去りにされたと考えてみて欲しい。あなたは着の身着のままで、このまま闇雲に歩き続けたらおそらく助からない。そう気づいたときについて想像してみて欲しい。 そういうことが、人生にはある。僕は人生で何度かその状態に陥ったことがある。経営していた会社が破綻して大きな借金を抱えた時、人生を変えようと故郷を離れた時。そういう時は、いつもゼロから生活を作り直すことを求められた。 それは二度と経験したいことではないけれど、貴重な経験ではあったと思う。それは、端的に言って「ゼロから100万円貯める」スキルを与えてくれた。人生は結構サバイバルなので、上手くサバイバルをやれると豊かな暮らしが出来る。 昔、先輩経営者がこんなことを教えてくれた。 「0から100万円貯めるのは、1000万を1億にするより難しい。でも、やり方さえ覚えれば何度でも出来る」 今思うと、あの人
鴻上尚史の人生相談。レッスンや芝居の勉強に投資を続けてきたが、これ以上役者の道を続けるべきか悩む30歳女性。「鴻上さん、あなたならどんな言葉をかけてくれますか?」と問う相談者に鴻上尚史が示した俳優を続けるために必要な、ある才能とは? 【相談40】役者の道を諦めて他の道に進むかどうか悩んでいます(30歳 女性 あい) 鴻上さん、こんにちは。私は役者の道を諦めて他の道に進むべきか悩んでいる30歳です。 今まで、沢山レッスンや芝居のお勉強へ投資をしてきました。時間も使ってきました。 名の知れている事務所や劇団に入れても、オーディションでは中間審査などで弾かれたり、履歴書に堂々と書ける経歴は殆どありません。 経験を積むためにニューヨークでミュージカルの勉強もしてきました。それでも大きな実績を作れませんでした。 自分がこれまで受けた膨大なレッスンから受け取ったものや自分の才能を信じて今までやってきま
「俺、市議会議員の立候補することになったから」 ひさしぶりにかかってきた父からの電話。その声はやけに明るく、あまりに突然で意味不明であった。それに対して返した言葉はこうだ。 「いいんじゃない。人生一度きりだしやりたいようにやったらいいんじゃない。協力できることはするよ。」 なんの根拠もなしに父のサポートをあっさりと引き受けていた自分がいた。わたし自身、人と違う生き方を何年も前からやっているからか、驚きはしたものの「ええやん父」くらいにしか思っていなかった。世の中をなめてる娘の67才になる父の挑戦だった。 ここだけみると「親子仲がいいんだな。これからあたたかい物語が始まるのかな」そう思うかもしれない。しかし、選挙戦というのはそんなにやさしいものではなかった。辛酸を嘗める物語が始まる。 母親の悲痛な叫び新潟から実家の千葉に帰ることができたのは選挙公示日(2019年4月14日)の1週間前だった。
ザ・スターリンの中心人物としていくつもの伝説を残し、その後もとどまることなく精力的な活動を続けながら、長年にわたってさまざまなアーティストに影響を与えてきた遠藤ミチロウ。平成から令和へ改元するのと同時に伝えられた彼の訃報は、多くの人々を深い悲しみに包んだ。 音楽ナタリーでは、ミチロウから多大な影響を受けたアーティストの1人であり、これまでライブなどでたびたび共演してきた大槻ケンヂに、追悼文を寄稿してもらった。 文 / 大槻ケンヂ(筋肉少女帯、特撮、大槻ケンヂミステリ文庫) 不条理で残酷だけど、不思議と美しく、郷愁を刺激される歌2019年4月25日、令和を目前にして遠藤ミチロウがこの世を去った。 1980年にパンクバンド、ザ・スターリンを結成、LP「STOP JAP」でメジャーデビュー、1993年からはアコースティックソロシンガーとして全国津々浦々を旅して歌い、またドキュメント映画製作や、N
Twitterのタイムラインや、メルカリにあるお目当てのアイテムの情報はどこから来るのでしょうか。答えは、サーバーです。インターネットにはさまざまな情報をしまっておくサーバーの存在が不可欠です。 いまから23年前、このサーバーに魅せられ、人にサーバーを貸す「レンタルサーバー」をビジネスにしようと考えた18歳がいました。現在、レンタルサーバーだけでなく、数多くの情報通信を支えるインターネットサービスを手がける「さくらインターネット」の代表、田中邦裕(たなか・くにひろ/ @kunihirotanaka )さんです。 田中さんが生み出したビジネスは、日本にインターネットが定着していく流れに並走し、良いことも悪いことも含めた紆余曲折をたどってきました。その中で、田中さんの仕事観はどのように変化してきたのでしょうか。田中さんが記入した「キャリアグラフ」とともに、ご自身の履歴書を振り返ってもらい、成功
フリーダム嫁の旦那 @freeyomekan 東京だけでも、児童相談所に相談した件数は年間で13万件 でも父親や母親に虐待されてる事なんて周りに言わないし、隠すから 気が付かないで終わってしまうのかもしれません 誰かが気付かないと、虐待って防げないと思う 嫁は16歳で児童相談所に保護されましたが 本当に、運が良かったとしか言えない 2019-05-17 17:43:45 フリーダム嫁の旦那 @freeyomekan 実はまだ完結ではありません。 親元から離れたらそれで終わりというわけではないんです まだ…続きます。 続きはブログで公開していくので、良かったら見て下さい。 またまとまったらツイッターでも公開したいと思っています。 2019-05-19 20:39:38
かつてimoutoidという若きサウンドクリエイターがいた。中学生の頃からコンピュータでトラック制作を始め、自作の音源をインターネット上に公開するようになった彼は、その才気みなぎるハイクオリティなサウンドが注目され、若くして音楽ファンやネットユーザーたちから“天才”と呼ばれ絶大な支持を得るように。当時メジャーレーベルなどからも多数の音源制作やライブ出演を依頼されていたとのことだが、将来に大きな期待が寄せられている中で、彼は2009年4月に心不全により天国へと旅立った。まだ18歳だった。 文 / imdkm imoutoidが生きた時代京都に住んでいた頃、imoutoidとは何度か会った。一緒にイベントもやった。名前は「セプテンバー9月」。出演は私、imoutoid、tofubeats、tomad。しかしなんてナンセンスなイベント名だろう、これも彼が発したひと言が命名のきっかけだった。 こう
旦那が精神的に働けなくなった。 無神経でタフな人だと思っていたけど、半年ほどであれよあれよと無職になった。 で、私が働きだした。 プログラマー兼SEとして雇われた。 基本的に受託案件を社内開発。 暇な時期は、社外。 言語はその時によってPHP、java、python、.NET。 簡単なWEBデザインなんかも。 DBはmysql、postgres、oracle。 サーバはlinux系 現場のエンジニアとしての業務だけではなく、SEとして客の前にも立つ。 会社からはSEとして期待されている。 でも本当はパソコンの前でぱちぱちやってるのが性に合っている。 要件定義とか言う御用聞きはマジで嫌。 電話が鳴るたびにビクビクしてる。 ストレスすごい。 社外は楽。 プロパーの人達が御用聞きやってくれるから。 できればずっと社外にいたい。 これで年収は450万くらい。 旦那と3人の子供を扶養している。 旦那
脳は目標を達成しようとする性質を持っているもの。 どんなアイデア、イメージ、結果であっても、人はそれを現実にすることになる。しかもそれは不吉な兆しではなく、人生の全分野を改善するのに役立つ。 そう主張するのは、『1週間に1つずつ 人生が変わる自分変革宣言』(ジャック・キャンフィールド 著、弓場 隆 訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン)の著者です。 さらに、自分の思考を集中させ、目標を達成するプロセスを加速させるためのツールも紹介しよう。それは「宣言(アファメーション)」と呼ばれ、目標をすでに達成したかのように表現する手法をさす。 宣言とは具体的にどのようなものか? 「私は自分が建てた豪邸のベランダから美しい夕陽を見て楽しんでいる」 「私はベストセラーを出版して10万ドルの印税を稼いで満足している」 これらは豊かなイメージで脳に刺激を与える言葉である。 (「はじめに」より) つまり重要なの
なにかに落ち込んだとき、“元気の出る言葉”ではなく、無理に背中を押されない、ちょっとネガティブで投げやりな言葉がほしくなる人も多いのではないでしょうか。今回は、なにかに躓いたとき、「まあ、しばらくは立ち直らなくてもいいや……」と思えるような本を4作品ご紹介します。 2019/01/23 「元気が出る魔法の言葉」、「前向きな人になる方法」、「ネガティブな考えを断ち切る習慣」──。そんなコンテンツばかりが溢れる昨今、どうしてもネガティブな自分と折り合いをつけることができず、歯がゆい思いをしている方もいるのではないでしょうか。 本当に落ち込んで元気が出ないとき、偉人の前向きな名言集は、自分の心にとって重すぎる負荷になりかねません。風邪を引いたときに消化によいお粥が食べたくなるように、心の弱っているときに摂取したいのはむしろ、無理して頑張らない、投げやりでネガティブな言葉であることも多いはずです。
去年書いたトトロの記事に、大きな反響をいただいた。 今からはじまる物語は、この記事の「ゼロ話」である。 小学3年生の初夏。 9歳になったばかりの私は、「子供の権利」を手放した。 これは、私の子供時代が、無残に終わってしまった日のお話。 ずっと消えない壊れた時間が、いまもここに、残っている。 親の毒を味わうしかない、サビシイ子供だった「わたし」から、今日もどこかで子供と関わる、すべての人へ。 「好きじゃない方の子供」だった、わたしひとつ年下の弟がいる。 3歳くらいのときから、母は私よりも弟のことがカワイイのだな、とハッキリ理解していた。 誰になにを言われるでもなかったが、ちょっとした声かけや態度の差から、幼いながらに読み取れたのだ。 例えば保育園の帰り道。 歩いていて転んだとき、母は私に「も~なにやってんのよ、大丈夫?」と迷惑そうな視線をよこした。 しかし弟が転んだ時には、言葉より先にかけよ
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