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ブックマーク / kusanomido.com (11)

  • 『鎌倉幕府の実態』 幕府と朝廷の二元的支配だった〜 「守護、地頭、国司」の違いとは - 草の実堂

    鎌倉時代 『鎌倉幕府の実態』 幕府と朝廷の二元的支配だった〜 「守護、地頭、国司」の違いとは 鎌倉時代 コメント: 0 投稿者: 村上俊樹 2024/4/28 鎌倉幕府の支配基盤 鎌倉幕府による支配を支えたのは、将軍と御家人(武士)との主従関係でした。 鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝は「主人」として、幕府に仕える武士(御家人)を地頭(荘園や公領を管理する役職)に任命します。 頼朝は御家人に対して、先祖代々の所領の支配を保障しました。これを「領安」と呼びます。また頼朝は御家人に新たな所領を与えることもあり、これを「新恩給与」と言いました。 将軍からの恩恵(御恩)に対して、御家人は「軍役」を務めました。 軍役とは戦争に参加することを意味し、平時には「京都大番役」や「鎌倉番役」を務めるなど、従者として奉公しました。京都大番役とは京都で治安を維持する役目で、鎌倉番役とは鎌倉の幕府御所を警護する仕

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    kazgeo 2024/04/28
  • 【イエズス会の野望】 日本と中国の征服を計画していた 「日本人奴隷を輸出し、秀吉が激怒」 - 草の実堂

    画像:イエズス会の設立者であるイグナティウス・ロヨラ public domain 16世紀、ヨーロッパからやってきたキリスト教宣教団イエズス会は、日での布教活動を精力的に行っていました。 しかし、その布教活動の裏には「日征服と中国征服」という信じがたい計画が隠されていたのです。 最近の研究によって明らかになったイエズス会による来の計画、そして豊臣秀吉が下した伴天連追放令には、どのような背景があったのでしょうか。 今回の記事では、イエズス会の日中国の征服計画、秀吉の伴天連追放令、そしてイエズス会の対応について、詳しく見ていきます。 イエズス会による日中国征服計画とは 慶應義塾大学の高瀬弘一郎氏の研究により、イエズス会が日を征服し、キリスト教化した日軍を利用して中国を征服する、という野心的な計画を立てていたことが明らかになりました。 16世紀後半、イエズス会は日での布教活動

    【イエズス会の野望】 日本と中国の征服を計画していた 「日本人奴隷を輸出し、秀吉が激怒」 - 草の実堂
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    kazgeo 2024/03/17
  • 【古代の日中関係】 白村江の戦いで完敗した日本 ~蘇我氏と仏教の台頭 - 草の実堂

    奈良時代 【古代の日中関係】 白村江の戦いで完敗した日 ~蘇我氏と仏教の台頭 奈良時代 コメント: 0 投稿者: 村上俊樹 2024/3/14 古代日中国の関係 古代の日にとって、中国は現代のアメリカ以上に大きな存在でした。 663年に起こった「白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)」において、日中国(唐)と直接対決し、完敗を喫しています。 古代日初の大規模対外戦争「白村江の戦い」が起こった理由と後世の影響 https://kusanomido.com/study/history/japan/asuka/54963/ 敗戦後、日は何度も遣唐使を派遣し、唐も日に使節を送りました。唐からの使者である郭務悰(かくむそう)は、当時の日人にとってマッカーサーのような存在だったと言えます。 しかし郭務悰の名前は、中国の史書には残されていません。日中戦争のように近代史で起こった出来事

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    kazgeo 2024/03/15
  • 【光る君へ】 藤原氏の血を引く紫式部は、なぜ源氏を称える『源氏物語』を書いたのか? - 草の実堂

    光る君へ 【光る君へ】 藤原氏の血を引く紫式部は、なぜ源氏を称える『源氏物語』を書いたのか? 光る君へ 紫式部 コメント: 0 投稿者: 村上俊樹 2024/1/9 最終更新:2024/1/10 始まったばかりのドラマに水を差すかもしれませんが、『源氏物語』には大きな謎があります。 『源氏物語』が書かれたのは、政権争いにおいて源氏が藤原氏に敗れて、中央政権から完全に駆逐された時期になります さらに物語の内容を簡単にまとめると、源氏が藤原氏を蹴散らし栄華を極めるストーリーなのです。 なぜ藤原氏の血を引く紫式部が、ライバルであった源氏を称える作品を書いたのか。 そして藤原道長は、そんな作品が世に出ることをなぜ認めたのでしょうか。 今回の記事では少し時間をかけて、日を代表する名作『源氏物語』が誕生した真相について迫っていきたいと思います。 日人が競争を嫌うのは「怨霊」が怖いから 古来から日

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    kazgeo 2024/01/10
  • 「別班」の存在が知られるきっかけとなった金大中事件とは 【韓国大統領の拉致に加担?】 - 草の実堂

    エンタメ 「別班」の存在が知られるきっかけとなった金大中事件とは 【韓国大統領の拉致に加担?】 エンタメ, 大正&昭和, 犯罪&事件 VIVANT, 陸上自衛隊 コメント: 0 投稿者: 村上俊樹 2023/8/15 最終更新:2023/8/16 衝撃的な展開を迎えている『VIVANT』 日曜劇場『VIVANT』第5話が放送されました。 日でテロを計画する「テント」のリーダー・ノゴーン・ベキ(役所広司)が、乃木憂助(堺雅人)の父親であるという衝撃的な事実が判明したのです。 日で起きるテロを防ぐ「別班」の乃木と、テロを計画する父…。 このあとの親子対決がどのように描かれるのか、次の放送に向けて、ネットでは様々な考察が飛び交っています。 乃木が所属する「別班」ですが、実際に存在する諜報組織であることは、以前の記事で書かせていただきました。 【自衛隊の闇組織】 諜報組織「別班」は当に存在し

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    kazgeo 2023/08/16
  • 二千年の時を越えて生き返った兵馬俑 「一体の兵士が突然動き出した信じられない事件」 - 草の実堂

    中国史 二千年の時を越えて生き返った兵馬俑 「一体の兵士が突然動き出した信じられない事件中国中国, 兵馬俑 コメント: 0 投稿者: 草の実堂編集部 2023/6/16 秦の始皇帝を守るように、共に埋められた兵馬俑(へいばよう)は、今でも多くの歴史ファンを魅了してやまない。 中国の陝西省に位置する秦始皇帝陵は、秦の軍事力と威厳を象徴するものとして、世界中で知られている。 兵馬俑は、紀元前246年から紀元前208年にかけて造られたと推定されており、秦の軍事的栄光を守るために建設された。 兵馬俑の発見は、考古学と歴史研究にとっても画期的な出来事だった。それまでの文献や伝承による知識に基づいていた中国古代史の理解が一変し、新たな洞察がもたらされたのである。兵馬俑は、秦朝の歴史を再評価するきっかけとなり、その後の研究に大いに貢献した。 とはいえ、その謎はまだまだ解明途中で、発掘調査も進行中

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    kazgeo 2023/06/18
  • 明治維新後の勝海舟 【福沢諭吉からは嫌われていた】 - 草の実堂

    幕末明治 明治維新後の勝海舟 【福沢諭吉からは嫌われていた】 幕末明治 コメント: 0 投稿者: 草の実堂編集部 2022/7/24 最終更新:2023/5/8 勝海舟(かつかいしゅう)と言えば坂龍馬の師であり、幕臣として西郷隆盛との歴史的な会談を成功させて江戸城の無血開城を実現した人物としてよく知られています。 しかしその癖のある性格故か批判にさらされることも多く、有名なところでは福沢諭吉が大の勝嫌いであり、幕臣でありながら易々と江戸城を明け渡したことや、維新後は明治新政府に出仕したことなどを痛烈に批判されています。 幕臣としての勝は最期まで徳川幕府に忠義を尽くし、徳川慶喜の赦免に奔走した人物でもありました。 そんな勝の維新後はどのような感じだったのでしょうか? 新政府での勝海舟 勝は慶応4年7月に水戸で謹慎していた慶喜が駿府へと移された後、新政府との折衝の窓口となりました。 同年10

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    kazgeo 2022/07/28
  • さすが俺たちの北条泰時?鎌倉時代の武家法「御成敗式目」は何が凄いのか、その歴史的意義3ポイント - 草の実堂

    鎌倉時代 さすが俺たちの北条泰時?鎌倉時代の武家法「御成敗式目」は何が凄いのか、その歴史的意義3ポイント 鎌倉時代 北条泰時, 御成敗式目 コメント: 3 投稿者: 角田晶生(つのだ あきお) 2022/7/2 最終更新:2022/7/3 御成敗式目(ごせいばいしきもく)。特に日史ファンでなくても、歴史の授業で「いー(良い)兄さんに(1232・貞永元年)」なんて語呂合わせを覚えた方も多いのではないでしょうか。 テストに出るから、何となく呪文のように覚えた(させられた)この単語。何かの法律であろうことはうっすら覚えています。 しかし、なぜこれを学び覚えるべきなのか(日歴史においてどのような意味を持つのか)、その価値を教えてくれる先生はまれでしょう。もしいたら、よほど教育に情熱を持っているはずです。 みんなが解る、公平なルールづくりを 御成敗式目の何が凄いのか。まずは結論から行きましょう

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    kazgeo 2022/07/03
  • 日本vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説 - 草の実堂

    江戸時代 日vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説 江戸時代 アイヌ, 北海道, 松前藩 コメント: 1 投稿者: 草の実堂編集部 2022/2/10 現在の北海道が日人による統治を迎えたのは日歴史の中で見れば比較的最近のことで、1885年(明治18年)のことである。 それまでは、日人(和人)は「松前藩」にとどまり、また外の藩からは交易という形で現地の人々「アイヌ」と関わりを持ってきた。しかし、交易は双方の利害に関わることであり、片方が損失を被るような交易はもう一方への敵対心を煽ることになる。そしてそれがこじれれば戦争に至ることもある。 比較的文明の進んだ国が、自己の勢力下にない場所で現地住民と「交易」という名の不平等な取引を持ちかけ、最終的にその地を支配するというやり方は人類の長い歴史においていくらでもその事例が挙げられる。 今回は、北海道に住

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    kazgeo 2022/02/17
  • 千利休はなぜ秀吉に切腹させられたのか? 「木像事件説、三成黒幕説、利休の娘説~」 - 草の実堂

    安土桃山時代 千利休はなぜ秀吉に切腹させられたのか? 「木像事件説、三成黒幕説、利休の娘説~」 安土桃山時代 千利休 コメント: 0 投稿者: rapports 2022/1/16 最終更新:2024/4/7 天正19年(1591年)2月28日、1人の茶人が切腹して果てた。侘び茶の完成者で「茶聖」と称された「千利休(せんのりきゅう)」である。 その首は無残にも京都の一条戻橋のたもとに置かれ、木像の足に踏み付けられるようにして晒された。 そんな惨いことを命じたのは時の天下人・豊臣秀吉である。 しかし、元々信長時代3番目の茶頭だった利休を筆頭茶頭に取り立てて重用したのは秀吉である。 「秀吉はなぜ一介の茶人・利休に近づいたのか?」 そこには茶の湯と政治の驚くべき関係があったようだ。 「北野大茶湯」という1,000人もの客人をもてなした秀吉主催の世紀の大茶会、その目玉は「黄金の茶室とくじ引き」であ

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    kazgeo 2022/01/19
    中村修也先生の「千利休 切腹と晩年の真実 」と比較されたし。 https://www.amazon.co.jp/dp/4022950102/ref=cm_sw_r_tw_api_glt_i_GSCQS0EQA8AFSPSZXNB7
  • 家康の黒歴史・徳川家のタブー「信康切腹事件と築山殿殺害事件」の真相について - 草の実堂

    戦国の世を制し、260年間の天下泰平の世を築いた徳川幕府初代将軍・徳川家康には、黒歴史・徳川家のタブーとされている事件がある。 それは、家康38歳の時に起きた「嫡男・信康切腹事件と正室・築山殿殺害事件」だ。 通説では同盟を結んでいた織田信長の命で、「仕方なく二人を殺した」とされているが、これは家康が天下人となり死後に神格化されていく中で「殺し・嫡男殺し」が汚名とならないように、後世に書き換えられたとも言われている。 家康の黒歴史・徳川家のタブーとされる「信康切腹事件と築山殿殺害事件」の真相について調べてみた。 通説 家康の正室となる築山殿(瀬名姫)は、元々駿河・遠江の大名・今川義元の義妹の娘である。 二人は家康が今川家の人質であった弘治3年(1557年)に政略結婚したが、3年後には嫡男・信康が生まれ、翌年には娘・亀姫が生まれた。当時二人は仲が良かったという。 桶狭間の戦いで義元が討たれ、

    家康の黒歴史・徳川家のタブー「信康切腹事件と築山殿殺害事件」の真相について - 草の実堂
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    kazgeo 2021/07/02
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