戦前の1934年、斎藤内閣が総辞職する大事件に発展 帝人事件は1934(昭和9)年、当時の斎藤実まこと内閣が総辞職する要因となった戦前最大の疑獄事件である。大蔵省幹部や閣僚経験者など、政財官界要人が株取引にまつわる不正を問われて起訴されるが、公判の過程では検察による自白の強要、自殺防止を名目とした革手錠の使用、劣悪な収容環境が明らかとなり、「検察ファッショ」「司法ファッショ」の言葉を生む。 のちに被告人全員の無罪で結審するが、判決文は検察側の主張を「空中楼閣」「あたかも水中に月影を掬きくせんとするの類」とまで評した謎多き事件である。当時、日本は1932(昭和7)年の五・一五事件によって政党内閣時代が終わり、非政党代表者を首班とする挙国一致内閣時代に入っていた。 このうち、1936(昭和11)年の二・二六事件以前に政権を担った斎藤内閣と岡田啓介けいすけ内閣はいずれも海軍出身の穏健派を首班とし