タグ

footballとcopyrightに関するkitsのブックマーク (4)

  • A-League fans' protests

    川崎フロンターレのサポーターが、Aリーグのウェスタン・シドニー・ワンダラーズのサポーター連合Red and Black Bloc(通称RBB)のロゴを家の許可無くリタッチし、色をRBBが最も忌み嫌う水色に塗り替えてしまった一件について。 筆者はRBBの創設メンバーやサブグループに友人が多く、彼らの憂慮と怒りを日語の媒体で広めて欲しいと頼まれたため、まとめることにする。 RBBのロゴ 6月21日、ある川崎フロンターレサポーターによって以下のツイートがなされた。ゲートフラッグの作成経過を写真付きでつぶやいたものである。 作成途中ではあるものの、明らかにRBBのロゴのコピー作品であり、複数のアカウントからその事実を指摘され、拡散されることとなる。 てか川崎海外のウルトラスのロゴパクリすぎな。RBBの色変えただけってやってることくずいからな。 ― うぇる (@urj_this) 2016年6月

    A-League fans' protests
    kits
    kits 2016/06/26
    分かり易いまとめ。問題はロゴ所有者側の意思がゲーフラ作者に届くかどうかだが…。
  • サッカーのリーグ戦日程の著作権? - Copy & Copyright Diary

    興味深い記事を見つけた。 リーグ戦日程に著作権保護判決(サッカー) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/04/25/24.html 今のところスポニチの記事しか見つからなかったし、記事も短いので詳細はよく分からないが、 判事は国際試合やテレビ放送などとの複雑な調整が必要な日程編成は「重要な労働と技術が必要」とし、リーグの著作権を認めた。 http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2010/04/25/24.html とのこと。 正直かなり無理があると思う。 英国の著作権法については全く知識が無いので何とも言えないけど。 日の著作権法では、このような結論を導き出すことは難しいだろう。 追記 パテントサロンのtwitter英語版( https://twit

    サッカーのリーグ戦日程の著作権? - Copy & Copyright Diary
    kits
    kits 2010/04/26
    英プレミアリーグの判決
  • asahi.com:新名称案の「月山山形」すでに商標出願-マイタウン山形

    ∞登録なら発案の中山・芸工大教授保有 きょう臨時理事会で提案 サッカーJ2モンテディオ山形の新名称案「月山山形」がすでに商標に出願されていたことが17日、わかった。改称やチームカラー変更を含む「フルモデルチェンジ構想」発案者の中山ダイスケ・東北芸工大教授が3月、出願していた。構想は18日、県スポーツ振興21世紀協会臨時理事会で提案される。(藤木健) 特許庁によると、3月20日、中山氏が「月山山形フットボールクラブ」を出願した。現在、特許庁が登録の可否を審査している。 中山氏はデザイナーで、同大とクラブが昨年12月から始めた「スポーツを通じた地域デザイン」がテーマの共同プロジェクトに大学側の中心人物の一人として参加している。他クラブではクラブ名の商標権は、運営会社や経営陣が保有するケースがほとんどで、第三者が持つとなれば珍しい。 関係者によると、中山氏はプロジェクトの一環

    kits
    kits 2008/12/20
    先に商標を確保しておくのは当然のことで、そこだけ取り上げるほどの話ではないと思うのだが。
  • “人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03 - nakata.net -- 中田英寿オフィシャルホームページ

    ※nakata.net「Hide's Mail」では、抜粋版をお届けしています。全文および過去のMailはclub.nakata.netへ! “人生とは旅であり、旅とは人生である” 2006.07.03 〜1985年12月1日 - 2006年6月22日〜 俺が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。 8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。 あの頃はボールを蹴ることに夢中になり 必死でゴールを決めることだけを目 指した。 そして、ひたすらゲームを楽しんだ。 サッカーボールは常に傍らにあった。 この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。 山梨の県選抜から関東選抜、U−15、U−17、ユース、そしてJリーグの一員へ。 その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。 五輪代表、日本代表へも招聘され 世界中のあらゆる場所でい

    kits
    kits 2006/07/07
    許諾条件が掲載された。
  • 1