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東日本大震災と津波に関するkoichi99のブックマーク (18)

  • 「死ねない」と駆けた 津波、50人救った歩道橋撤去へ:朝日新聞デジタル

    宮城県名取市閖上を通る県道の五差路に、水色の歩道橋がかかっていた。海から1・8キロ。震災の日、50人以上が駆け上がり、間一髪で津波を免れた。周辺のかさ上げ工事が進み、歩道橋は近く撤去される。 閖上1丁目に住んでいた針生(はりう)留美子さん(66)も、助かった一人だ。 午後2時46分の地震から少したっていた。町内を避難の呼びかけに回り、自宅に戻った消防団員の夫(68)から「なんでまだいる」と怒鳴られた。避難所の中学校に向かおうと、通りに出た時だ。どこかの子が「おかあさーん」と叫ぶ声が聞こえた。人がどんどん走って来る。ちゃぷちゃぷ水が足元に近づく。遠くに水煙を上げる茶色の壁が見えた。 「ここで死ねない」。とっさに思った。 駆けだした。振り返れば足がすくんだだろう。床屋の奥さんが自転車で家に向かうのに行き会う。「あんた戻れないよ!」。中学校舎の裏側にも波が押し寄せていた。「歩道橋しかないっ」。2

    「死ねない」と駆けた 津波、50人救った歩道橋撤去へ:朝日新聞デジタル
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    koichi99 2017/11/20
    躊躇してちゃ助からないんだよなとあらためて思う。
  • 津波水没のビル 22人助かる NHKニュース

    おととしの津波でほぼ水没した、宮城県女川町の5階建てのビルで、中にいた22人が溺れずに生き延びていたことが、当時の映像や証言で明らかになりました。 窓がなく、空気の逃げ場がない部屋だったため、空気の圧力で水が一定以上侵入しなかったとみられ、専門家は「震災の重要な教訓であり、今後の津波対策のために細かく検証すべきだ」と話しています。 女川町の中心部にある「女川町生涯教育センター」は、鉄筋コンクリート造りの5階建てのビルで、東日大震災が発生した際、周辺から多くの人が逃げ込みましたが、高さ20メートルある屋根まで津波が達しました。 当時、町役場の屋上からこのビルを撮影した写真では、最も高い津波が押し寄せた際、屋根の先端だけを残してビルが水没した様子が分かり、撮影した役場の職員も「5階までは水没していた。中に人がいても生きていないと思った」と話しています。 ところが、5階の機械室に逃げ込んだ、高

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    koichi99 2013/06/12
    偶然の産物だったようだが、助かってよかった。回りは絶命したと思うわな。/水がひかないと、空気がなくなるのは怖いかも。
  • 朝日新聞デジタル:津波被害伝える遺構、後世に 防潮堤・ホテル跡… - 社会

    【動画】田老の津波遺構を後世に=瀬戸口翼撮影3階まで津波が突き抜けた、たろう観光ホテル=岩手県宮古市田老岩手県宮古市田老地区の防潮堤=2011年10月9日、朝日新聞社ヘリから2012年3月10日、完成した田老の平成の津波供養塔にお参りする人たち。左隣に明治、昭和津波の供養塔が並んでいる防潮堤の上から田老の町の跡をみる修学旅行生。町の跡を区切る道路はみな、まっすぐだ常運寺には明治三陸津波の慰霊碑(左)と昭和三陸津波の慰霊碑が並ぶ=岩手県宮古市田老、瀬戸口翼撮影防潮堤には津波で折れ曲がった照明灯の支柱が残されている=岩手県宮古市田老、瀬戸口翼撮影建物の2階まで骨組みだけになった、たろう観光ホテルが津波の威力を物語る=岩手県宮古市田老、瀬戸口翼撮影  【伊藤智章】東日大震災から2年の節目となったこの3月、集中的な震災報道が行われた。「ふだんからどんどん記事を書いて伝えたい」と願う現地の記者には

  • 朝日新聞デジタル:津波の脅威伝えた「共徳丸」解体へ 気仙沼 - 社会

    解体が決まった第18共徳丸=2月、宮城県気仙沼市  東日大震災の津波で宮城県気仙沼市の市街地に打ち上げられた漁船「第18共徳丸」(330トン)が、解体されることになった。船を所有する儀助漁業(福島県いわき市)が気仙沼市に無償で貸す契約は3月末で切れるが、これを更新しない意向を市に伝えた。4月にも解体手続きに入る。  共徳丸は気仙沼漁港から約750メートルの内陸まで押し流された。観光客が多く訪れ、市は津波の脅威を伝える震災遺構として残す考えだった。だが、儀助漁業の柳内克之社長は「地元は保存反対の意見が多い」として、解体させるよう市に求めていた。柳内社長は取材に「後世のことより、今を生きる人たちの心境を考えて決めた」と話した。

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    koichi99 2013/03/25
    「後世のことより、今を生きる人たちの心境を考えて決めた」
  • 石ノ森萬画館最新情報 MANGATTAN NEWS!: 石ノ森萬画館再オープンが11月17(土)に正式決定!!

    いつもたくさんの御支援&ご協力を頂き、誠にありがとうございます!! いままで積み上げてきたものが一瞬のうちに黒いヘドロとともに流され、茫然自失となったあの日から586日の日々が経ちました。 北上川の中洲にある当館は約6~8mの津波に晒されました。ほんの数分のうちにありとあらゆるものが津波に流され、一階部分は壊滅的な被害を被ったものの、奇跡的にも館体への損傷は最小限でくい止める事が出来ました。 震災後は全国・全世界のたくさんの方々より暖かいご支援を頂きながら、なかなか見通しが立たない再開に向けて進んでまいりましたが、今年の6月末からは待望の修繕工事も着手されました。 来ならば修繕工事も年末ぐらいまで掛かる大工事なのですが、行政&工事関係者の多大なるご理解と尽力の甲斐あって、この度ようやくもって石ノ森萬画館の再開日程の見通しがつく事となりました。 皆様お待たせいたしました。 石ノ森萬画館の

    石ノ森萬画館最新情報 MANGATTAN NEWS!: 石ノ森萬画館再オープンが11月17(土)に正式決定!!
    koichi99
    koichi99 2012/10/19
    ついに再オープンか。震災から1年半以上掛かったなぁ。
  • 朝日新聞デジタル:「避難に問題」七十七銀行員遺族らが同行提訴へ - 社会

    関連トピックス地震津波に襲われた旧七十七銀行女川支店(手前)と指定避難場所の高台に立つ病院=3月、宮城県女川町、小宮路勝撮影震災時の女川町中心部と七十七銀行女川支店の地図女川町中心部の3金融機関の避難行動  東日大震災で七十七銀行女川支店(宮城県女川町)の行員らが犠牲になったのは、同行が安全配慮義務を怠ったためとして、行員やスタッフ3人の遺族らが総額約2億3千万円の損害賠償を求めて提訴することを決めた。震災から1年半の11日、仙台地裁へ訴状を提出する。 ■あの高台へ逃げていれば  遺族側や銀行側によると、女川支店では昨年3月11日、地震直後の大津波警報を知った当時の支店長が、2階建て支店の屋上への避難を行員らに指示。13人が屋上に集まったが、津波は屋上に到達し、全員が流された。1人は救助されたが、4人が遺体で発見され、8人は行方不明となっている。 続きを読むこの記事の続きをお読みいただく

    koichi99
    koichi99 2012/09/10
    他行との比較があるだけに、これは訴えられても仕方がないな。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 書きかけてやめていた、 福島のことを、もう一度。

    震災からようやく1年が過ぎようとしていた 今年の3月5日、案内されて、 福島県の海沿いにあるいくつかの町を訪れた。 もう、4ヵ月以上が経ってしまった。 取材を終えた日、 見たこと、聞いたこと、感じたことを 大急ぎで原稿にまとめて、 一週間後にせまる「3月11日」に掲載しようと思った。 そうでもしないと書けない、と直感したからだ。 けれども、できなかった。 落ち着いてからゆっくりまとめよう、と、 ずっと思っていたけれど、 それもうまく運ばなかった。 何度も書きかけてやめた、 あの日の福島でのこと。 なんのきっかけがあるわけでもないけれど、 やっぱり書くことにする。 冒頭にそうでも書かないと、書きはじめられない。 2012年3月5日。 震災からようやく1年が過ぎようとしていたころ。 福島はまだまだ寒く、 雪ともみぞれともつかない冷たいものが 朝からずっと降っていた。 糸井重里がツイッターを通じ

  • 津波:到達前、電離層に「穴」…発生源上空の電子減- 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災発生から約30分後、津波発生源上空の電離層(高度80〜300キロ)を構成する電子の数が通常より30%減る異常現象が起きていたことを、北海道大学の柿並義宏・研究員(超高層大気物理学)と東京学芸大学の鴨川仁(まさし)助教(大気電気学)のチームが発見した。電離層の異変は、東北地方沿岸に大津波が押し寄せる前に始まっており、大津波の早期検出と避難指示に役立つ可能性がある。 この異常現象を「電離層ホール(穴)」と命名し、米地球物理学会誌に発表した。 チームは、全地球測位システム(GPS)に使われる電離層と地上の間を行き来する電波のデータを分析した。 その結果、地震と津波が発生した9分後の昨年3月11日午後2時55分から、津波の発生源のほぼ真上(北緯142度、東経38度)で電子の数が減少し始めたことが分かった。午後3時10分に減少率は最大30%に達し、徐々に元に戻った。一方、その周辺でも数が

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    koichi99 2012/06/12
    地震が起こってからの話?!そもそも瞬時に解析出来るものなのか!?
  • 【東日本大震災】震災直後の被災地と重なる…明治三陸大津波、116年前の惨状伝える48枚+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    明治29年6月15日に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚が確認された。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者が2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。◇ 東京都在住の古写真収集家、石黒敬章(けいしょう)さん(70)が保存。石黒さんの父親が、明治時代の著名な写真師・中島待乳(なかじま・まつち)の遺品として入手したアルバムの中にあった。 当時の被害を伝える写真は米メディアが報じたものなど他にもあるが、今回の写真は保存状態が非常に良好で「崎浜村(現・岩手県大船渡市三陸町越喜来の崎浜地区)被害の全景」などすべてに説明が付いている点で記録性が高い。 臨時病院での治療の様子や、病院の床に布団を敷いて座る被災者など東日大震災直後の被災地の状況と重なる写真も多く、専門家

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    koichi99 2012/05/08
    この教訓を生かせなかったところも多かったかもしれないが、このときよりさらに広範囲で規模の大きかったのが去年の震災。震災前にこの写真をみてにわかに信じれたかどうか!?実感わかないよなぁ。
  • シリーズ「震災1年」 旭市の津波のメカニズム解明 | これまでに放送した内容 | 首都圏ネットワーク | NHK@首都圏

    東日大震災からまもなく1年。 関東地方各地の被災地で、その後の取材から浮かび上がってきた課題を、シリーズ「震災1年」としてお伝えします。 今回は津波の被災地です。 関東地方沿岸で津波の犠牲者が最も多かった千葉県旭市では、地震発生から2時間半余りたって、高さ7.6メートルの最も大きな津波が襲い、被害が広がりました。なぜ時間がたって大きな津波が押し寄せたのか、そのメカニズムが明らかになりました。 千葉県の九十九里浜にある旭市では、東日大震災の津波で、13人が死亡、2人が行方不明となったほか、およそ1300棟の住宅が全半壊しました。 最も被害が大きかった旭市の飯岡地区には、地震発生から2時間半余りがたって、最大の7.6メートルの津波が襲いました。 この津波が襲った当時、いったんは高台などに避難したものの、その後、自宅などに戻り被害に遭った人も目立ちます。 津波で夫を亡くした宮内三代

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    koichi99 2012/03/09
    確かに、茨城なんかに比べても旭市だけ被害が大きかったのは謎だった。地形の関係で波が高くなるところがあるという事か。東京湾内も場所によっては要注意だな。
  • 第2回 実は“2つの津波”が重なっていた:日経ビジネスオンライン

    2011年3月11日、日の東北地方沖で発生したマグニチュード9の巨大地震による津波は、宮城県、岩手県、福島県の3県を中心に、東北地方、関東地方の太平洋岸に大きな被害をもたらした。場所によっては波高10メートル以上、遡上高40メートル以上を記録したというから、想像を絶する破格の津波だったといえる。 では、それはどのようにして引き起こされたのだろうか。 基中の基として……津波の原因となりうるものには、3つ代表的なものがあるそうだ。 「地震と火山と地滑りがよくある津波の原因です。津波は英語でもtsunamiと言いますが、もともとサイスミック・シー・ウェイブ(地震による海の波)だったんですね。1946年のアリューシャン地震のときに、ハワイが被害を受けました。その時の議論で、同じような波が、地滑りや火山噴火でも起きるのに、サイスミック(地震性)というのはどうか、というのがありまして。そこで日系

    第2回 実は“2つの津波”が重なっていた:日経ビジネスオンライン
  • 避難に落ち度…行員家族ら、七十七銀に検証要求 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    仙台市に店がある「七十七銀行」の女川支店(宮城県女川町)で、東日大震災の津波によって行員ら12人が死亡・行方不明となったのは「銀行側の対応に落ち度があったため」などとして、遺族らでつくる家族会が11日、当時の対応の検証などを求める文書を同行店に提出する。 同行が遺族らに行った説明によると、当時支店には14人の行員とスタッフが勤務。取引先から戻った支店長が午後3時前、屋上に避難するよう指示し、女性スタッフ1人は帰宅したが、13人は同3時15分に2階建ての支店屋上(高さ約10メートル)に避難を完了した。だが、同40分頃、屋上も津波にのまれ、4人が死亡、8人が行方不明となった。 文書では、支店があった地域の指定避難場所が、徒歩5分ほどにある高台だったにもかかわらず、屋上に避難したことや、店から避難に関する指示がなかった点などを問題視。銀行側に謝罪や、当時の対応の検証などを求めている。

    koichi99
    koichi99 2012/01/11
    結果的には、落ち度があったという事になるな。
  • 東日本大震災:津波の速度 流された巨岩などから計測 - 毎日jp(毎日新聞)

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    koichi99 2011/12/22
    走って逃げてちゃ追いつかれる!!
  • asahi.com(朝日新聞社):津波の記憶、桜に託す 到達地点に1万本計画 陸前高田 - 社会

    印刷 最初に桜を植える浄土寺は鐘楼(左)の1階まで浸水した。桜は横の丘に植える=岩手県陸前高田市  東日大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市で、津波が到達した最高地点を結びながら1万以上の桜の木を植えていく計画が動き始めた。毎春、淡いピンクが連なる「花の警戒ライン」で震災の教訓を風化させずに後世に伝えたい。地元被災者らの思いだ。  漁師佐藤一男さん(45)ら被災者やボランティアの10人が実行委員会を作った。過去の津波の到達点を知らせる石碑が各所にあったのに、忘れられて犠牲を繰り返したことの反省が出発点だった。毎年花を見て記憶を呼び起こせるよう、桜を選んだ。  津波が到達した線に沿って10メートル間隔で苗木を植える計画だ。市内で約173キロ。すべて植えれば約1万7300の桜が連なる。  実行委は、被災者を訪ねて津波の到達点を調べている。11月6日には同市高田町の浄土寺境内に最初の

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    koichi99 2011/10/28
    忘れちゃいけない記憶だが、思い出したくない記憶。将来桜の花が満開の並木道を見て、津波を連想する事はないかもしれないけど、記録としては残る。
  • asahi.com(朝日新聞社):津波2m以下に抑えれば、高台移転は不要? 宮城県分析 - 社会

    印刷  宮城県は、東日大震災で津波が直撃した県南部のうち、防潮堤を整備するなどして津波を2メートル以下に抑えられる地域では、高台に移転しなくても家屋の流失は防げるとの分析結果をまとめた。高台移転をしない場合、費用が少なくて済む効果もある。  県が東北大の協力を得て、県南部の岩沼市や北部の南三陸町について、津波被害を分析した。防潮堤や道路のもり土など「多重防御」を進めたと仮定し、今回の津波で家屋が流失した地域で家屋にどれだけの被害をもたらすかシミュレーションした。  その結果、なだらかな海岸が広がる県南部では、高さ約7.2メートルの防潮堤を整備するなどすれば、津波を2〜3メートル下げる効果があり、浸水が2メートル以下に抑えられるならば家屋の流失をほぼ防げると判断。県防災砂防課は「家屋に一部被害が出ても、2階などへ避難すれば犠牲者は出ない」としている。  県は、県南部の被災自治体にシミュレー

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    koichi99 2011/10/10
    2mの津波がくるんじゃ、いざとなったら1階は捨てる感じで建てなおさないとって事だね。
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    koichi99 2011/09/14
    「その彼女のひと言で、私も思わず涙を流してしまいました。泣いちゃいけない。私が泣く理由なんかない。泣くのは私じゃない。いくらそう思っても涙が止まりませんでした。」
  • asahi.com(朝日新聞社):「ピロティ住宅」津波に耐えた 1階は柱、波の力受けず - 社会

    印刷 1階が柱のみのピロティ式住宅。3メートル近い津波は床の下を流れていった=宮城県気仙沼市  東日大震災の津波で多くの建物が流失した中、1階部分が柱のみの「ピロティ式」の建物は津波に強かったことが、日建築学会東北支部長の田中礼治・東北工業大学教授らの調査で分かった。建物の構造によって津波から身を守れるのでは、と期待されている。  田中教授らは5月、仙台市若林区荒浜の約1200棟の建物を調査。4メートル以上の高さの津波が襲った地区では建物913棟がほぼ壊滅する一方、4メートル未満の波だった地区では301棟のうち289棟は屋根や柱などが残っていた。  このため、4メートル未満の波が襲った地区では建物の構造によって損壊状況に違いが出ると判断。青森県八戸市から宮城県山元町までの33カ所で、4メートル未満だった地域の建物を調べたところ、1階部分が鉄筋コンクリート(RC)の柱のみとなっているピロ

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    koichi99 2011/08/29
    阪神の時のような直下型じゃなかったてのもあるのでは!?と想像。壁を作って受け止めるんじゃなく、受け流すというのがよかったんだろうな。ただし、車は流されそうだが。
  • asahi.com(朝日新聞社):津波のスピードは115キロ デジカメ写真で判明 宮古 - 社会

    いったん波が引き、2分後に向かいの岬に白波が立った=3月11日午後3時18分ごろ、岩手県宮古市川代地区、大上幹彦さん撮影、岩手県立博物館提供すぐに激しい波が接近=3月11日午後3時18分ごろ、岩手県宮古市川代地区、大上幹彦さん撮影、岩手県立博物館提供陸地まで激しい波が押し寄せた=3月11日午後3時18分ごろ、岩手県宮古市川代地区、大上幹彦さん撮影、岩手県立博物館提供  東日大震災で岩手県宮古市を襲った津波の速度が、時速115キロに達していたとみられることが、岩手県立博物館の大石雅之首席専門学芸員の分析でわかった。  大石さんは、植物研究者の大上幹彦さんが宮古市川代地区で撮影した約70枚のデジタルカメラの撮影データを調べた。地震発生後約23分で潮位が高くなり始め、その7分後にいったん波が引き、さらに2分後には激しい津波が押し寄せていた。  この激しい波は、連続撮影の記録から、約800メート

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    koichi99 2011/04/22
    走って逃げてちゃ絶対追いつかれる。車で逃げても追いつかれる。近くに高台や高い建物がない場合は、どうしたものか・・・。
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