第弐拾伍話と最終話がテーマ的に充実したものであり、意欲的なフィルムであったとしても、ドラマらしいドラマを放棄してしまっているのは間違いない。劇中で提示された謎も、その多くが解かれてはいなかった。事実、このラスト2話に不満を感じたファンは多い。 『エヴァ』では「シンクロ」と「補完」といった劇中の用語が、作り手と作品の関係、作品とファンの関係について語る際にも有効であるのは、興味深い事だ。作り手が自分の心象風景や嗜好を作品に反映させ、作品とファンがシンクロする。いわば作品を通じて、ファンは作り手の深い部分とシンクロしていた。そういった構造が、当時の『エヴァ』人気の裏側にあったはずだ。勿論、僕もシンクロしたファンの1人だ。 心の欠落を埋める作業が「補完」であるならば、『エヴァ』はファンの心を補完する作品であった。いや、『エヴァ』に限らず、ありとあらゆる娯楽が心の欠落を埋めるものであるのかもしれな