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増田と医療に関するmisomicoのブックマーク (2)

  • 或る病院の一生

    救急を取る病院がまだまだ少なかった頃。 地域の基幹病院は県立病院。救急車で30分。救急対応も今ひとつ。 地域に「住民のための」新しい病院への欲求が高まった頃、200床程度の規模でその病院は開院した。 何もない開院したての病院。外来の棚の中は空っぽ。買ったばかりの備品は全てダンボールの中。事務も看護もみんな初対面。場所によっては、誰かが梱包をあけて棚に備品を並べてくれていたりするけれど、どれもビニールがかかったまま。洗面台の水は妙にシンナー臭い。 新しい病院を立ち上げる仕事は楽しい。医師の派遣元にも十分な人手はいないので、みんな交代で出張。 新しい病院。新しい町。医局の引継ぎノートには、新しく作った約束処方、備品のありか、地元に詳しい事務の名前や電場番号、近所のコンビニの場所などが記載されていく。遊びに行くにもどこにいっていいのか分からないから、医局の冷蔵庫には魚肉ソーセージと酒の瓶。毎晩野

    或る病院の一生
    misomico
    misomico 2008/01/05
    「食べられない」患者は見捨てられる。
  • かっこいい医師になりたい

    医療事故の遺族を招いたシンポジウムに参加した。けっこう有名な事件で、ネット上では遺族に対する批判がなされている。しかし、医者と患者が協力しなければ、病気は治せない。医師の卵として、遺族の言葉は胸に響いた。遺族は言う。たとえ結果が悪くても、ベストが尽くされていたら訴える人はいないと。その通りだ。ベストを尽くしても、患者側に伝わらなくては意味がない。患者は医学の専門家ではないのだから、ただ命を救おうと一生懸命に頑張るだけで気持ちが伝わると考えるのは、医師の傲慢だ。だから訴えられた。 その時点では、出来る限り早く搬送先を探すのが、患者の命を助ける可能性を最も高くする行為だった。だとしても、「他の病院に転送を依頼するのみで、何の処置をもしようとしなかった」ように患者側から見えるのでは、患者の気持ちがわかる医療者とは言えない。冷静に事態に対応するだけがプロの医療者とは言えない。患者側からは「緊迫した

    かっこいい医師になりたい
    misomico
    misomico 2007/12/26
    医師じゃなくて治療屋なんじゃ
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