※初めての方はこちら「プロローグ」、「このblogの趣旨」からお読みください。 ******************************************** 1999年に公開された、ウォシャウスキー兄弟の脚本・監督によるアメリカ映画「マトリックス」をご存じでしょうか。 キアヌ・リーブス演じるプログラマー「トーマス・A・アンダーソン(ネオ)」が真の自分に目覚め、モーフィアスやトリニティをはじめとした仲間達と共に、コンピューターが作り上げた仮想現実からの解放を目指す物語です。 平面的に捉えると、派手なドンパチや、斬新なコンピューターグラフィックスを効果的に利用した映像で描かれるSF超大作、となってしまいますが、この映画で描かれている本当の意味は、別なところにあります。 カンのいい方はすでにお気づきかと思います。 そう。実はあの映画、「目覚め」を描いた宗教ムービーなんです。 派手な演
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
発明家ドクター・中松氏(81)が9日までに、インドでチベット仏教最大宗派「ゲルク派」トップから「金剛大阿闍梨(あじゃり)」の位を授与されたことが分かった。同氏によると、チベット仏教指導者として最高ランクという。世界的な知名度などが評価され、いきなり“特別選任”された模様。同氏は「平成の弘法大師になる」と宣言。近々、都内に「中松寺(ちゅうしょうじ)」を設立し、創造や頭脳に御利益があるパワースポットにしたいという。 中松氏によると、同氏は現地時間8日午前、インド・デリーの寺院で、チベット仏教ゲルク派のトップ(教主)である第102代ガンデン・ティパから「金剛大阿闍梨」に認定された。ティパから「『活仏(かつぶつ)』として仏教を日本に広めてほしい。そのため仏教界の最高位を授けます」という趣旨のことを言われたという。 同氏によると、金剛大阿闍梨とはチベット仏教の指導者として最高ランクの位。ゲルク派側か
約500年の歴史があるとされる寺に放火したとして、埼玉県警は8日、寺の住職だった同県小川町、僧侶西原弘道容疑者(53)を非現住建造物等放火などの容疑で逮捕した。 捜査関係者によると、西原容疑者は火災前日に約3億円の火災保険に入り、家財道具などを運び出していた。西原容疑者には数千万円の借金があったといい、県警は保険金目的の放火とみて調べる方針。 関係者によると、西原容疑者は昨年11月5日夜、同県東秩父村安戸の聖岩寺で、本堂や隣接する自宅に灯油をまいて火を付け、4棟約460平方メートルとリースの乗用車を全焼させた疑い。 出火当時、各棟から同時に火が出たとの目撃情報があり、県警は放火の疑いもあるとみて捜査。本堂や西原容疑者の寝室など数か所から油性反応が検出されたほか、西原容疑者が火災前日、本堂や仏具などに約3億円の火災保険をかけていたことも確認された。 県警が放火容疑で西原容疑者の親族宅を捜索し
玉城康四郎『仏道探究』より、以下、引用する。 「実際、われわれ凡愚のものは、ともかく死んでみなければ、死後の世界のあるのかないのか、皆目わかりません。死の不安は最後までつきまとってはなれません。この不安を除くものこそ、「生前にもブラフマンと一つとなり、死後にもブラフマンと一つになる」というあのブッダのの言葉です。 なぜか。ブッダの禅定を学びつづけていくうちに、入定ごとに顕わになってくるのは果てしなき宇宙そのものです。すなわち、ブラフマンです。いいかえれば如来の世界です。まったく形を離れきった、いいかえれば、この世を根絶した、生きているままでもっとも深く安らえる世界、つまり如来の国土、いいかえれば浄土です。死後にはそこに生まれること必定です。 これは入定時のことですが、出定して日常にあるときも、心が静まってくると自然に如来が憶念されます。すでに如来が私の体に通徹しているという事実に出会うと、
長滝白山神社(ながたきはくさんじんじゃ)は、岐阜県郡上市白鳥町長滝に鎮座する神社である。霊峰白山を御神体とする。日本各地に分布する白山神社の中心的な神社の一つで白山信仰における美濃国側の中心である。 概要[編集] 明治維新以前は白山中宮長瀧寺(はくさんちゅうぐうながたきでら)と称したが、明治時代の神仏分離により、長滝白山神社と長瀧寺に分離された。神仏分離後も長滝白山神社と長瀧寺は同一境内にあり、参道も同じである(参道から左側が長瀧寺、右側が長滝白山神社)。 社号は白山長滝神社と呼ぶ場合もある。宗教法人としての登録名は「白山神社」。旧社格は県社。 明治期には火災に見舞われ一部の宝物を失うが、現在も長瀧寺と共に白山信仰に関わる国・県・市指定の多数の文化財を伝えています。 祭神[編集] 菊理媛神(白山比咩神・白山権現) 伊弉諾尊 伊弉冉尊 沿革[編集] 霊峰白山を神体山と仰ぎ、白山信仰の表日本に
岐阜県郡上市白鳥町長滝の長滝白山神社別当寺。 瀧宝殿の釈迦如来、四天王像が美しい。国の重要文化財でもある。 福井永平寺をあとにして、西国三十三観音巡拝の結願寺、華厳寺へ向かう途中、山間の国道が崩落で通行止めになっいたため、回り道した際偶然立ち寄ったお寺。当日は雨の中、突然の訪問で、責任者と会えず、仏像撮影を断念して華厳寺に向かった。翌日、総代の方から携帯に電話が入り許可がおりた。感動のあまりすぐに100キロの道を戻って、半日近く撮影に没頭したのを覚えている。このときのお寺の方の親切な応対に深く感動した。
輪廻と業と因果、そして善悪 仏教で語られる教説に「輪廻」があります。これは簡単に言ってしまえば、生まれ変わり死に変わりを繰り返すことです。また、どこにどのように生まれ変わるかは、生まれ変わり死に変わりする当事者の、存命中の行いの善し悪しによることになります。この「行い」の善し悪しの「結果」という部分で、「業(=行い)」の教説と結びつき、「業・輪廻説」という具合に、同じ観念として扱われることもあります。 私が思うに、「生まれ変わり死に変わり」で「輪廻」を考えるなら、どう考えても、仏教の「無常・無我・縁起」の教説とは両立しないでしょう。なぜなら、、「生まれ変わり死に変わり」と言う以上は、それが何であれ、「生まれ変わり死に変わり」する当の何ものかの同一性を前提にしないわけにはいかないからです。 この問題は、何も私だけが感じる矛盾ではなく、「無常・無我・縁起」説と「輪廻」説をどう折り合わせるかが、
すべてを捨ててただ南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えよと説いた時宗の開祖・一遍(1239〜89)が作ったとみられる「踊念仏和讃(おどりねんぶつわさん)」が記された室町時代(15世紀ごろ)の写本が、大阪府河内長野市の真言宗御室派大本山金剛寺で見つかった。 一遍は、所持していた経典類を死去の前にほぼすべて焼いたとされ、著作は残されておらず、現存するのは後世の伝記や法語集などわずか。新史料が見つかることはないと考えられてきた。 落合俊典・国際仏教学大学院大学教授らが、2003年から本格的に実施している金剛寺の総合調査でわかった。 和讃は仏教讃歌の一種で、仏や菩薩(ぼさつ)などを褒めたたえた七五調の句であることが多い。節をつけて歌ったとされる。 木版刷りした法華経の裏面を半分に折って15枚を袋とじした冊子本で、縦26センチ、横20センチ。空也(903〜72)や源信(942〜1017)の教え、浄土
鎌田東二編著『モノ学の冒険』という本が最近出た。本屋さんで見つけた。購入するほどに心が惹かれなかったので、立ち読みで済ませた。 あれあれ、井上ウィマラさんも書いている。 以前のエントリーで書いたA先生が、玉城康四郎のダンマの顕現の体験を井上ウィマラさんの説く悟りと混同しているかのような理解に基づいて、玉城仏教の講義をしているように私はそれを聞きつつ感じたわけであるが、それはきわめておかしいことである、と私はこのブログで批判することになった。そうした経緯がある。 そのような訳で、A先生のこの件とは関係しないであろう井上さんに対して、申し訳ないのであるが、感情的に、悪いイメージを持つことになってしまった。 そのような気持ちを持ちつつも、井上さんの書いている箇所を読んでみた。 私も関心がある心理療法や精神医学の知見を披露し、論を展開している。 井上さんは心理療法を学ばれているそうですから、正しく
禅定において、ダンマを見るということもなく、ダンマを体得するということもなく、ただひたすらに、ダンマ・如来の独り働き。ダンマ・如来に任せるということもない。ただひたすらに、ダンマ・如来の独り働き。 これが終地の禅定の基本である。 まったく何もしない。そのままがダンマ・如来の独り働きとなっている。何もしないこと。ひたすら何もしないこと。 ダンマ・如来はひたすら働いている。ありとあらゆるものを目覚めさせようと。 すべては如来さまがしてくださる。少しの【私】があってはならない。だから、その働きに従うということもない。 自己放棄。すべてを捨ててしまっている。だから、捨てるということもない。 目覚めるということもない。目覚めさせられているということない。 ただひたすらに、ダンマ・如来が働いているのである。 これが如来の働きである。われわれが知ろうと知るまいと。そのようにしておられるのである。 われわ
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