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歴史と戦争に関するosaanのブックマーク (73)

  • ネットで「うそつき」と書かれても 語り続ける元731部隊員の覚悟:朝日新聞デジタル

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    ネットで「うそつき」と書かれても 語り続ける元731部隊員の覚悟:朝日新聞デジタル
  • 戦時中はどこでも食べ物が不足していたと思いきや、地方だとそうでもなかったりして温度差を感じた話「お米が余っていた」「旅行計画してた」

    すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig うちの出身は教育水準の低い金持ち農家で空爆もない地域だったので、戦時中もずっとイワシが余ってて畑に肥料として撒いてたし、人前では芋ってるフリして普通に白米ってて、韓国中国の区別もついてないまま米帝と戦うため竹竿を振っていた。こういう地域差、温度差も語りつぐ必要はあると思う。 2023-08-09 14:49:30 すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig 人によって学校教育をやらずに竹竿振ってた世代ギャップがあって、ほぼ同年代同士でお前教育ちゃんと受けてない世代じゃんみたいなマウント?があったりする 2023-08-09 14:52:04 すきえんてぃあ@書け @cicada3301_kig そんだけ距離感あっても当然出兵してるんで「ここから見送ったよー」って場所が今もそのままクッソ草が茂ってる山の中にある 帰ってきて

    戦時中はどこでも食べ物が不足していたと思いきや、地方だとそうでもなかったりして温度差を感じた話「お米が余っていた」「旅行計画してた」
    osaan
    osaan 2023/08/10
    現代のエネルギー摂取量は終戦直後よりも低い、なんて話もありますし。  https://flour-net.com/health/tour/entry-26.html
  • https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427

    https://twitter.com/yu77799/status/1573781597970919427
    osaan
    osaan 2022/09/25
    フィリピンでの憲兵は本来の職務に忠実で、皇軍による現地住民への横暴を取り締ったため、陰で「アカ憲兵」と仇名されて軍から嫌われてたそうな。
  • ゴールデンカムイ20巻 史実解説! 世界史における「日露戦争」後の日本

    せがれの音之進はいずれ 指揮官になっち 決まっちょります 指揮官には大勢の若い命を預かる責任があっど せがれには我から進んで困難に立ち向い ふさわしい男になっくんやせ 鯉登平二(『ゴールデンカムイ』第139話より) ※この記事はネタバレを含んでおりますので単行20巻読了の方のみ、読み進めてください。 『ゴールデンカムイ20巻』は、前を見据えて進む杉元が表紙です。 彼が進みゆく道に待っている冒険の結末は、どうなるのか? それはこの先を読み進めねばわかりませんが、金塊争奪戦以外の未来はわかります。 現実に起きたことを見直せば、見えてくるのです。 彼らの過去、そして未来について、区切りとなるこの機会に考えてみましょう。 【TOP画像】ゴールデンカムイ20巻(→amazon) 幕末から明治、日が直面した国際情勢幕末に直面した欧米列強の圧力は「黒船来航」が起点である――。 アメリカを皮切りにして

    ゴールデンカムイ20巻 史実解説! 世界史における「日露戦争」後の日本
    osaan
    osaan 2022/08/20
    漱石の『それから』は日露戦争勝利による社会の分断を背景としている。そうして読むと別な味わいがある。
  • 【メモ】「モンゴルはなぜ強かったのか」…というか本当に「強かった」のか(杉山正明) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    何度か紹介した「興亡の世界史」モンゴル編 興亡の世界史 モンゴル帝国と長いその後 (講談社学術文庫) 作者:杉山正明講談社Amazon 著者は杉山正明。 この第3章で「モンゴルは強かったか」という身も蓋もない小見出しがある。 以下引用 チンギスとモンゴルを語る時、とにかくやたらに強かったというイメージがある。 だが当にそうか。 モンゴル騎馬軍団と言っても所詮は人間である。 耐久力はあるがスピードは出ない小型のモンゴル馬に乗り、確かによく飛ぶ短い弓で短い矢を射る。……要するに馬と弓矢の軍団にすぎなかった。 破壊力など、実はたかが知れている。 機関銃も鉄砲もない。 モンゴルを未曾有の強大な暴力集団であるかのように言うのは間違っている。 東西の記録で共通して語られることがある。 それは、モンゴル遊牧民族達は、極めて純朴にして勇敢、命令・規律によく従ったというのである。 彼らが淳良・忠実であった

    【メモ】「モンゴルはなぜ強かったのか」…というか本当に「強かった」のか(杉山正明) - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    osaan
    osaan 2022/05/19
    弱兵の尾張を最強にしたのは信長の厳しい規律、という司馬史観を思い出す。
  • bibibi on Twitter: "70年代に庶民の間に反戦思想なんかろくになかったこと、大和や武蔵や飛燕やゼロ戦のプラモデル、もちろんナチスのティーゲルや米軍のグラマンまで子供に大人気だったことからもわかる。 https://t.co/peYR8ebqYO"

    70年代に庶民の間に反戦思想なんかろくになかったこと、大和や武蔵や飛燕やゼロ戦のプラモデル、もちろんナチスのティーゲルや米軍のグラマンまで子供に大人気だったことからもわかる。 https://t.co/peYR8ebqYO

    bibibi on Twitter: "70年代に庶民の間に反戦思想なんかろくになかったこと、大和や武蔵や飛燕やゼロ戦のプラモデル、もちろんナチスのティーゲルや米軍のグラマンまで子供に大人気だったことからもわかる。 https://t.co/peYR8ebqYO"
    osaan
    osaan 2021/09/13
    小学校の頃男子の間ではゼロ戦・大和が大人気。特攻隊なんか超絶無敵戦法みたいになってて、「でも原爆が」などとおくびにでも出そうものなら、「ざんねんでした!原爆は特攻隊がやっつけちゃうんでした!」
  • (砂上の国家 満州のスパイ戦)打ち立てた傀儡、謀略の最前線 将校ら178時間の証言録音:朝日新聞デジタル

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    (砂上の国家 満州のスパイ戦)打ち立てた傀儡、謀略の最前線 将校ら178時間の証言録音:朝日新聞デジタル
    osaan
    osaan 2021/08/15
    偽情報と現場が判断したものを上層部が信じてしまうとか、つい最近も聞いたような話。
  • 圧倒的な戦力差にも関わらず勝利・善戦した戦い

    戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側 多くのコメント・ブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございます。https://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください 古代・テルモピレーの戦い B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下 スパルタ王レオニダス指揮下のギリシア連合軍がペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。 参考作品「300(ザック・スナイダー監督)」 ・彭城の戦い B.C205 楚漢戦争 ★楚3万vs漢56万 漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽は精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略

    圧倒的な戦力差にも関わらず勝利・善戦した戦い
    osaan
    osaan 2021/07/08
    仔細に見ると、だいたい多数の方が自分で自分の足を踏んづけてずっこけてるんだけどね/読返してみたらヘミングステットの戦い(1500年)がないな。デンマーク軍1万を小作農の集団5百が打ち破った。
  • 鎌倉武士に誉などなかった…恐ろしい戦術の数々『船に牛の死体を投げ込んでくる』『鎧着てるのに音もなく泳いでくる』

    すぅ@穏やかな人 @otyMPCwmO98T3Mk @o_o_season @AstalteFRs 毒は最悪触らないってのができますからね 湿潤な日の気候に晒されて丸ごと腐っていく牛の死体は病原菌をばら撒くし、そんなもん身近にあったら士気も下がる 2021-06-19 20:36:22 トーテンコップ @opblau @gasukona 牛を使った戦術は ある随筆にも書かれてますね 人的資源が乏しかった地方では古くから導入されてたそうです 有名な戦いでは源平合戦にも描写がありました 牛の角に松明を括り付けて相手陣地に猛進させ 続いて兵が追撃するのですが かなり効果があったようです 2021-06-19 19:07:54 にゃる @Nyala33114 @gasukona 蛮族蛮族というけども、鎌倉武士はなぁ…… 「天皇の名の下で幕府という統治機関を有して、一定の統率がある上に知恵がやたら

    鎌倉武士に誉などなかった…恐ろしい戦術の数々『船に牛の死体を投げ込んでくる』『鎧着てるのに音もなく泳いでくる』
    osaan
    osaan 2021/06/20
    一方モンゴル軍は、ペストで死んだ仲間の遺体を投石機で敵陣に放り込んでいるが。(元寇ではやってないみたいだけど)
  • 世界史上の名将3傑

    当時としてはあり得ない規模の軍団による連携攻撃を戦略的に行えた、オゴデイが死ななければヨーロッパ制圧は確実だったモンゴル帝国の最高の名将スブタイ このスブタイが現れるまで1400年は誰も勝てないと言われた、マケドニアの軍制を作ったアレクサンドロスⅢ世 この二人までは、戦績も革新性も獲得領土の広さでも、稀代の戦略家であり、傑出した戦術的な指揮官でもあったので誰も文句ない筈 あと一人は?と言われると難しい。 カエサル?アルワリード?李靖? 火砲登場以降の近代戦であればグスタフ二世? 好みが分かれる所よな。 (PS) 日は地理的な特性から、対外戦争を殆どやらなかったけど、日人から無理してでも一人選べと言うなら児玉源太郎しかいないのではないか。 圧倒的な軍事力の差がある近代戦の日露戦争で講和まで持って行った功績はデカい。

    世界史上の名将3傑
    osaan
    osaan 2021/05/19
    彭徳懐とか誰も評価せんだろうな、と思ったら一人いた。平時においても大躍進政策に反対。委員達が皆沈黙する中でただ一人立ち上がり「そんな馬鹿げた政策に賛同できるか!」と毛沢東を面罵した。
  • なぜナチスは「音楽」を使って大虐殺と集団レイプを「盛り上げた」のか? | ナチスの「大虐殺カーニバル」を研究した歴史学者が紹介

    「NO MUSIC NO LIFE」といった宣伝文句もあるくらい、音楽は人類にとって不可欠の芸術だ。だが、音楽が人の生を奪う現場で活用されることもある。ナチスのアウシュビッツ強制収容所などでの事例を研究した歴史学者が、その不穏な調べを紹介する。 1943年12月、20歳のルツ・エリアスは、家畜運搬車でアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所に到着した。 彼女が割り当てられたのは、「ブロック6」のバラックだった。そこには、若い女性たちと男性捕虜の楽団員たちが収容されていた。 その楽団は、バイオリン奏者、クラリネット奏者、アコーディオン奏者、打楽器奏者のアンサンブルで、捕虜たちが日課の強制労働に向けて隊列行進するときはもちろん、むち打ち刑に処されるあいだも演奏させられた。 ナチス親衛隊(SS)の気まぐれで、楽団が即興演奏させられることもあった。エリアスは、戦後のインタビューのなかで、酔っ払ったSS

    なぜナチスは「音楽」を使って大虐殺と集団レイプを「盛り上げた」のか? | ナチスの「大虐殺カーニバル」を研究した歴史学者が紹介
    osaan
    osaan 2021/04/30
    ♪半鐘じゃんじゃん神田のホテルがくずれっぽう♪すっちゃんポンプがまわらんかいのう♪おっぺらぼうに燃えるぞよ♪
  • 米軍側から見たレイテ沖海戦はまったく様相が違っていた - 読む・考える・書く

    弱小部隊だった「タフィー3」 1944年10月、フィリピン奪還を目指して殺到する米軍機動部隊とこれを防ごうとする日軍連合艦隊が激突したレイテ沖海戦。 日側では、航空支援のない連合艦隊が多数の米軍機による激しい攻撃にさらされ、武蔵をはじめ多くの艦艇が沈没、連合艦隊は一方的に叩かれて事実上壊滅した、というのが一般的な認識だろう。 全体としてみればそのとおりなのだが、レイテ沖で数度に渡って繰り返された戦闘のすべてがそのような経緯をたどったわけではない。 最近、ディスカバリーチャンネルで米軍側から見たレイテ沖海戦についての番組(戦場の真実#6「レイテ沖海戦」)を見たのだが、10月25日に日の第一遊撃部隊(栗田艦隊)と米護衛空母部隊(タフィー3)が戦った海戦(サマール沖海戦)について体験者の元米兵たちが語る様相はまったく違っていた。 何よりも驚いたのは、栗田艦隊に比べてタフィー3があまりにも弱

    米軍側から見たレイテ沖海戦はまったく様相が違っていた - 読む・考える・書く
    osaan
    osaan 2021/03/22
    大岡昇平の『レイテ』を読み返したくなった。
  • 知られざる第二次世界大戦中のイギリスの生活が「地獄」だと話題に

    世界平和を祈願する枢密院勅令 @order1914 「お宅のペット、まだ生きてるの?」「転職したい?投獄な」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス②第二次世界大戦編~|枢密院勅令 @order1914 #note note.com/wa8492/n/n709c… Welcome to this crazy time 基的人権もクソもないイカレた時代へようこそ 2021-01-04 19:00:37 リンク note(ノート) 「お宅のペット、まだ生きてるの?」「転職したい?投獄な」~ブリテン島から自由が消えた日 戦時下のイギリス②第二次世界大戦編~|枢密院勅令|note 戦時下のイギリス①第一次世界大戦編はこちら 究極の緊急事態「第二次世界大戦」 我々日人にとっての第二次世界大戦とは、ご先祖様がドイツ語で書かれた誇大妄想パンフレットに騙された挙句の果てに焼きたてジャぱんにされ

    知られざる第二次世界大戦中のイギリスの生活が「地獄」だと話題に
  • ベトナム大飢饉を知っとるけ? : ネトウヨの寝耳にウォーター

    軍の南進は、資源と領土を奪う目的があったことが、前回の記事で分かったで。 今回は、インドシナにおける日仏二重支配がもたらした大惨事について調べてみるわ。 超長い記事になるけど、日人として知っとかなあかん歴史や。 とくに、大日帝国を崇めとるウヨちゃんに「大東亜共栄圏」の実際を知ってほしいねん。 まずは、前回の復習を兼ねて、ベトナム独立宣言を読んでクレメンス。 出典・参考「ベトナム独立宣言」1945年9月2日(Wikipedia)「Võ An Ninh」ベトナムの著名な写真家。(ベトナム語版 Wikipedia)「古田元夫」ベトナム現代史研究者の論文。(CiNii)『私のなかのヴェトナム』小林昇/1968年(未来社)『写真週報 180号』Ref. A06031077500(国立公文書館アジア歴史史料センター)『ベトナム“200万人”餓死の記録 1945年日占領下で』早乙女勝元/199

    ベトナム大飢饉を知っとるけ? : ネトウヨの寝耳にウォーター
    osaan
    osaan 2020/12/02
    「戦争は腹がへるものだと思っていたが、ここベトナムでは違っている」と開高健が書いていたっけ。悪名高きベトナム戦争よりさらにとんでもないことをしていたわけだ。
  • 戦争証言に「嘘は明白」との指摘が拡散「731部隊は大学卒のみの採用」は誤り、少年隊の実態は?

    生物兵器などの研究にあたったとされる旧日軍の「731部隊」に所属していた男性の証言の記事に対し、「嘘」だと指摘するツイートが拡散している。 記事内で男性は14歳で入隊したと語っているが、ツイートではそれに対し「731部隊は大学卒のみの採用でした。嘘は明白」などとしている。 だが、この指摘は「誤り」だ。731部隊(関東軍防疫給水部)には、14歳でも入ることのできる軍属の組織「少年隊」が存在していたことが、公文書や証言などから明らかになっている。BuzzFeed Newsは、ファクトチェックを実施した。 731部隊の正式名称は関東軍防疫給水部。中国東北部(旧満州)で、感染症やワクチンなどのほか、細菌の研究をしていたとされる。捕虜を用いた人体実験や生物兵器の開発、細菌戦に関する証言も多く残されてきた。 そのうえで、指摘を受けているのは、現代ビジネスが終戦の日、8月15日に配信した《731部隊の

    戦争証言に「嘘は明白」との指摘が拡散「731部隊は大学卒のみの採用」は誤り、少年隊の実態は?
    osaan
    osaan 2020/08/22
    「嘘は明白」という明白な嘘
  • 日本への原爆投下は必要なかった…アメリカで急拡大する「新たな考え方」(飯塚 真紀子) @gendai_biz

    アメリカに起きている変化 なぜ、アメリカは原爆を投下したのか? そう問われたら、アメリカ人の多くはこう答えるだろう。 「ハリー・トルーマンが原爆を投下したのは、できるだけ早く戦争を終わらせ、日土侵攻により、100万人もの米兵の命を犠牲にしたくなかったからだ」 原爆は戦争を早期に終結させるのに必要だった。アメリカ人はハイスクールの歴史の授業で「原爆投下の正当性」をそう教えられてきた。 元大統領補佐官のジョン・ボルトン氏も、オバマ元大統領が2016年5月に広島を訪問した際、フォックスニュースのインタビューで「原爆投下の正当性」を主張している。 「トルーマンがしたこと(原爆投下)は、私からしてみれば、軍事的に正しかっただけではなく、道徳的にも正しかったのです」 しかし、アメリカでは常識となっているそんな歴史に“NO” を叩きつけるような「戦争を終結させるのに原爆は必要なかった論」を米紙ロサン

    日本への原爆投下は必要なかった…アメリカで急拡大する「新たな考え方」(飯塚 真紀子) @gendai_biz
    osaan
    osaan 2020/08/17
    自己弁護に陷らず自らの非を明らかにするのを歴史修正主義と呼ぶのは、無用な混乱の素ではないか。
  • 「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

    第二次世界大戦における旧日軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。 インパールを知らぬ世代、必読! シリーズ第3弾『全滅・憤死 インパール3』より、インパール盆地の湿地帯に投入された戦車支隊の悲劇を描く「全滅」の冒頭を一部紹介する。 (全3回の1回目。#2、#3を読む) ◆ ◆ ◆ 早々に過半の兵力を失う状況下で流れた噂 それまで勇将として畏敬されていた将軍が、暴将とか狂将といった評価に急変した。 ビルマ方面の日軍を指揮した、第15軍司令官・牟田口廉也中将である。 昭和19年3月、多くの反対を押し切って、牟田口軍司令官がインパール作戦を強行した時は、一部で

    「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
    osaan
    osaan 2020/08/16
    牟田口一人ではなく、軍人という人種は基本的にこういう輩だ、ということを、軍人性善説を信じがちな自称リアリストの方々は知っておいて欲しいものだ。
  • 若林 宣 on Twitter: "東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX"

    東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX

    若林 宣 on Twitter: "東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX"
    osaan
    osaan 2020/08/10
    復員した夫に妻が抱きつくのは嘘。まず玄関先にタライを設え、素っ裸にひんむいて隅々まで洗ってから家に上げた。元軍曹の奥さんから聞いた話。
  • 特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン

    パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初

    特攻隊員の自爆機が敵に突っ込んでいく時、なぜ基地の無線で「最後の瞬間」を聞いていたのか | 文春オンライン
    osaan
    osaan 2020/08/08
    特攻隊の話に接した時、ふと思うのは自爆テロのことだ。そして、それを日本文化につなげる考えに触れると、戦争で爆弾を抱えて敵陣に身を投げるやり方は、ロシアも中国もベトナムもやっていたがな、と思う。
  • 「聖戦完遂」を叫んだ東條英機……敗戦後に見せた「躊躇なく『私』を選ぶ精神性」 | 文春オンライン

    戦時下の首相であり、陸相である東條英機は、「太平洋戦争に勝つ」ことと、「敗戦」という事態をどのように受け止めていたのか。日経済新聞がスクープした、昭和20(1945)年8月10日から14日に書かれた東條の手記にはこうある。 然(しか)るに事志と違ひ四年後の今日国際情勢は危急に立つに至りたりと雖尚(いえどもな)ほ相当の実力を保持しながら遂に其(そ)の実力を十二分に発揮するに至らず、もろくも敵の脅威に脅(おび)へ簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりし処之(これ)に基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深く其の責を感ずる処、上御一人に対し又国民に対し申訳なき限り…… (半藤一利、保阪正康、井上亮『「東京裁判」を読む』) 日の軍事指導者たちの戦中・戦後の態度、敗戦の理由について、作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争

    「聖戦完遂」を叫んだ東條英機……敗戦後に見せた「躊躇なく『私』を選ぶ精神性」 | 文春オンライン
    osaan
    osaan 2020/08/07
    今更デマを流してまで東條を持ち上げようとする心性は、ちょっと権力者の似顔を描いただけで「一生懸命やってる人を批判するなー」という気持ち悪さに、真っ直ぐつながっている。