「興味の薄いコンテンツも吸収しないと自分は愚かなままだろうな」という気持ちと「吸収するコンテンツを極端に偏らせた方が個性に繋がるかもな」という気持ち 年も年なので、興味ないもんに触れてももう仕方がない、興味ないもんに触れても仕方がない可能性が高い。
昭和生まれのオタクだ。 私の学生時代、オタクであることが周囲に知られることは社会的な死を意味した。私はオタクであることを隠して生きていた。 部屋でどハマりしている漫画を読み、多少同好の士と話す機会はあったものの、基本一人専門書籍を漁っていた。ひとつの漫画に対して熱は何年も続いた。当時ハマった漫画は歴史物で調べようと思えばいくらでも調べられたため、専門書を読み漁った。高い本は買えず、書店でよく立ち読みをした。二、三時間も立ち読みをしている私はきっと迷惑な存在だっただろうに、見逃してくれた書店員さんには感謝しかない。 最近になってSNSを使ってオタク活動を始めた。同好の士と繋がっていくと中・高生とも話す機会が増えた。今までオタク趣味をオープンに話す機会もなかったので純粋に嬉しかった。 しばらくして違和感を感じ始めた。その違和感の正体がなんとなく分かってきたので、このエントリーを書いている。好き
もうプロのコンテンツもアマチュアのコンテンツもぜんぶごちゃまぜに横並びにされちゃうでしょ? 最初のしばらくは金にならないからとかそういう理由でプロの参入は少なかったわけじゃん。 だからネット独自のアマチュアリズムが発達してブログもニコニコ動画も面白かったわけだけどさ。 今みたいにハリウッド映画もネット配信で全部見られるとなるともうニコニコ動画がなんか面白くなくなっちゃうんだよな。 単体だと面白いなぁって思えていたものも横並びにされちゃうとなんか違うんだよ。 アマチュアならではのユニークなピアノ演奏をやっている人がいたとして、その隣で坂本龍一が演奏していてそっちの方が盛り上がっているのが真横にいるともうアマチュアの演奏も耳に入ってこないし、小さい盛り上がりの輪に入ることになんか冷めちゃうというかさ。 おれバカだからうまく言葉にできねえんだけど。 ブログも同じでアマチュアならではの面白さがあっ
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