最近本当に多いんだけど、「Xは、~だ」という文章における「は」を限定用法と勝手に思い込んで噛み付いてくる、知的能力に問題がある人が多い。 「明日は晴れですね」に対して「へー!明後日は晴れじゃないんだ!」っていう煽り(と自分は思ってる)を返してくる人。
最近本当に多いんだけど、「Xは、~だ」という文章における「は」を限定用法と勝手に思い込んで噛み付いてくる、知的能力に問題がある人が多い。 「明日は晴れですね」に対して「へー!明後日は晴れじゃないんだ!」っていう煽り(と自分は思ってる)を返してくる人。
一人称ひとつとっても私、僕、俺、わし、小生…といろいろあって日本語は豊か!みたいに言うけど、人称それぞれひとつかふたつくらいしかないほうがよくない? 役割語とか使っちゃって呼びかけ単体で関係性が見えるのって趣がないだろ 同じyouなりtú(usted)なり你(您)なり、かなり広く使える人称代名詞のなかにいろんな感情が含まれうることを楽しむのが奥ゆかしさってものなんじゃないですか
我々日本人は横書きで文章を書く場合、左から右へ書くのが普通だ。 戦前は右から左へ書くのが主流だったが、戦後からは西欧に習って左から右へ書くのが主流になった。とウィキペディアに書いてあった。 先日横書きで「右から左へ」と書かれた文を読んで一瞬違和感を感じた。 左から右へ「右から左へ」という文を読んだことでどちらが右でどちらが左かわからなくなったのだ。 我ながら阿呆だとは思うが、きっと全く同じような現象で左右がわからなくなった阿呆も存在するだろう。いなかったら少し悲しい。 アラビア語では横書きは右から左へ読むそうなので、アラビア語で「左から右へ」と書いてある文章を読んだアラブの人たちの中にもきっと同じ阿呆仲間がいるに違いない。 ここで少し脱線するが「左右」という熟語は現代に適していると思う。 横書きの場合左から右へ「左」「右」という漢字が続くので先述のように混乱する阿呆もでまい。脱線終わり。
追記誤用ではありませんでした 「恣意的の誤用」という記事は誤りです http://anond.hatelabo.jp/20161119102702 謹んでお詫び申し上げます 本文最近「恣意的」の本当の意味を知りました 「恣意的 誤用」で検索すると非常に沢山の記事が出て来ます、もう何年も前から有名な話なんですね こんな有名な誤用も知らずに自分は今の今まで、ドヤ顔で「恣意的に~」とか使っていたわけです 正しい意味を知っている人たちは誤用を見るたびに内心笑っていたことでしょう 本当に恥ずかしい…… 以下正しい使用例です ▼はてなキーワード - 恣意 「恣意的」であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%F3%B0%D5 ▼ニコニコ大百科 - 恣意的 『恣
文字種が多いから日本語ダメというが、文字種によって文法的な役割が大体推測できるので読むのが速くなるという利点がある。例えばカタカナならほとんど名詞だと推測できる。 さらに日本語は単語についている助詞によって語の役割が決まる(そのため語順は比較的自由になる)ため、タグである助詞を見つけるのがとても大切になる。かな漢字混じり文によって漢字やカタカナの間に助詞が浮び上がって見えるために助詞を見つけやすくなっている。 またfMRIで脳を観察してみると、表音文字と表意文字では処理する領域が分かれており、これらを併用することにって効率的に脳を使えている可能性がある。 一方で、音声に関していえば、日本語は音素が少ないので単位時間当たりの情報量は減る。結果として同音異義語が多くなり文脈を読む必要がある。 まとめると、日本語のかな漢字混じり文は視認性、情報密度に優れており、速く読むことができる。しかし話し言
英語のアルファベットは簡単な形を26個覚えれば問題なく読めるし書けるのに、日本語は平仮名だけでもまず46ものややこしい形を覚えねばならず、さらに濁音半濁音拗音などいくつ覚えないといけないんだよと切れたくなるくらい覚える事が多い、しかもカタカナまであるのでこれらが倍になる。 それらを覚えても平仮名カタカナだけでは日本語は読めないし、平仮名カタカナだけの文は読みにくいので漢字を覚えなければならない。 漢字の形は死ぬほどややこしく膨大にあり、ほとんどの日本人は全ての漢字を読み書きする事は出来ない。 英語圏に比べて言語の習得に割かねばならない労力と時間が桁違いな上に世界には通用しない。 日本語と似た言語は少ないので外国語を学ぶのも難しい。 終戦後日本語を捨てて英語を使おうぜ的な主張があったらしいが、マジでそうしといてくれれば語学の勉強にここまで苦しまなくてすんだし日本人は今より国際社会に出れてたよ
若者を中心にやたら『ですけど』という言葉を使っている。日常生活における『ですけど』の登場率は半端ではない。主人公並みの登場率である。 その言葉の汎用性の高さゆえ、我々はその言葉を多用し便利さの恩恵にあずかるようになった。 (例)旅行に行ってたんですけど、昨日帰ってきたんですけど、新幹線が激混みでした。 (例)明日、試験を受けに行くんですけど。◯◯という試験なんですけど。 というような具合だ。これらは氷山の一角でしかない。 俺はこのように『ですけど』を多用することに少し違和感を覚えていたわけだが、『ですけど』の便利さは認めざるを得ない。この言葉には色んなニュアンスを含ませることが出来るのだ。 1. 『私の思いを察してください』というニュアンスを含ませることが出来る。 (例)私、ダイエット中なんですけど…お中元でアイスクリームもらっちゃったんですけど…アイスクリームはダイエットの大敵らしいんで
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く