社会が弱者男性にしてやれるのは女をあてがうか殺してやることだけよ
人権同士が衝突することも多いってのを勘案してくれ。 世の中はままならないので、増田のような、人権侵害は迷うことなく拒否してよいしそれでうまくいく、って整理では片付けられないのだ。 たとえば要介護者の世話は、家族など周囲の人間が担わねばならんのだが、やりたくもない介護をさせられるってのは周囲の人間の人権を侵害している。 公的にも私的にも扶助はあるが、それでもきょうだいに障害者を持って生まれた辛さ、親の介護の辛さ、みたいな記事がたまにバズるよな。 これは要介護者と健常者の人権がぶつかる中で、妥協点を探って暫定的に今の仕組みになってるわけだ。 万人の人権を万全に守ることは残念ながら不可能! なので、仕方ないけど周囲の健常者や国民の税を要介護者にあてがいましょうという仕組み、これが現時点での対処法である。 だが、増田のような考え方では、介護や公共のためであっても、人権制限に繋がるあてがえ論はノータ
障害者施設がある地域は性犯罪が多いという直球の差別が話題になっていたけど、 障害者による加害行為が無罪でやりたい放題なのも事実なんだよな。彼らには責任能力がないから。 俺が通っていた小学校は養護学校と隣の場所にあって、隔週で養護学校の子と一緒に給食を食べるスケジュールになっていた。 同学年の養護学校の子は2人いて、俺の通ってる小学校は1学年2クラスだったので、1クラスに1人ずつ養護の子が来る。 2人のうち1人は知的障害があり喋れないがおとなしい子だった。 もう一人は喋れないし大音量の奇声をあげて誰彼構わず殴りまくる子だった。 殴りまくる子が来るときは付き添いの養護の先生、担任、クラスの誰かが殴られる。 養護の子が来る週は、「おとなしいほうが来てくれ!」と祈ってたし、殴るほうが来るときは「ハズレ回だ…」と絶望してた。 俺も殴られたことあるし、友達も殴られたし、女子が殴られて号泣してたりもした
自分のような超絶ブサイクな女子とか身長150cmの男とかが必死に婚活頑張っても誰からも相手にされずに 最後は後悔と劣等感に苛まれながら一人で野垂れ死んでもポリコレに言えることって「貴方が胸を張って寂しい独り身生活を遅れる社会を目指そう!」であって ただ醜いだけで全ての異性に差別されてる存在であっても「あなたを差別する異性の認識を改めさせよう!」にはならないんだよね 企業が身長や容姿で採用可否を決めることは不当な差別であっても、結婚相手として全ての異性が個人として特定の属性の人間を相手しなかったとしてもそれを咎めるのは原理的にどうしようもないし なんなら有能/無能という判断だって脳という機関の先天的な性能が大部分を占めてて、それによって苦しんでる奴らは決してポリコレの救済にはならない 必死に頑張ってもパートナーを得たいなんてちっぽけな望みすら叶わない人間なんて世間で騒がれてる大抵の弱者なんか
去年地元の幼馴染みAが結婚した。 地元は都内から特急電車で三時間かかる。しかも、スタートが日曜日の15時からだ。仕事が忙しかったものの何とか片付け、月曜日に有給を取って参加した。 結婚式にはもう一人の幼馴染みBと参加した。彼女は地元の隣県に住んでおり、新婚だった。隣県では有名企業に勤め、旦那さんも有名企業勤めだ。Aの結婚式とBの入籍でWでおめでたく、私は嬉しかった。 披露宴が始まるまでBと談笑していたところ、Aの姉が挨拶に来た。Aの姉はBを褒め始めた。大手に勤めていること、結婚が決まったこと、これからが楽しみだとお祝いし沢山褒めて笑っていた。私も二人の様子を和やかに見つめていた。 「で、あんたは何してるの?」声のトーンが低くなって、険しい顔つきで非難の声を向けられた。一瞬何のことか分からなかった。良い年して結婚はまだなのかと言われ続けた。曖昧に笑って特に予定は無いと言った。すると、だから駄
暴力性ってか批判される要素はいくつかある。 ①弱者救済を言いながら、特定の弱者には「緩やかに滅べ」と言い放つそのダブスタ。「女性」という特定の「弱者」(実際は違う)の救済を訴え男性にも負担を求めながら、 片や別の弱者については「平和に滅べ」と言い放つ。 ここに人権意識はあるのか?これはつまり「女性の人権を守るため、お前らは人権を捨てて滅べ」と言い放ってるのだが。 ここに暴力性がないといえるのか? ②二次元コンテンツをすら殺しに来る同胞フェミを放置して何を言っているのかもうおなじみの件ですね。 現実から排斥された弱者男性のよりどころたる「オタクコンテンツ」をも、フェミは攻撃する。徹底的に。 全年齢ライトノベルの撤去を要求したり、専門店にまで踏み込んできたり。(そもそも連中のいう「ゾーニング」が噴飯ものだが。) 本邦フェミの巨魁たる上野はこうした同胞の追撃に対して何を言ったか。何も言ってはいな
自認によって性別は分けられるらしい。誠に正しいとと思う。我々はなりたい自分になり、正しい存在へとなるべき。 思春期に皆が疑問に思うように、自分は何者かと常に疑問だった。いい年してからも疑問だったけど、とうとう理解した。私は犬だ。 きっかけは実家で暮らしてたパウチと戯れてた時だ。パウチは犬の名前な。両親が亡くなったらパウチは私が養うのかと思ったとき、ボスとしての天啓を得た。 勿論パウチと血の繋がりはない。両親は人間だ。でも産まれながらの男女より、自らが信じる性を選べる時代なら、私の性は犬であるのだから犬として暮らせるはずだ。 犬として暮らす上で、人間の体で犬として自然に振る舞うことが、人間側のコストになることよくわかる。でも人間の持つインフラに嘘をついてただ乗りすることは正しいことだろうか? 日本国籍は確かに持ち、税金を納めてもいるが、全てやめるつもりだ。ただ、私が動物愛護法などに基づいて排
こないだ金玉とダイバーシティの話が増田で述べられていて、もとの金玉の話はまぁ作り話だとは思うけど、ダイバーシティってそういう側面もあるよなって感じだった。 で、現実の話として煽り魔の石橋容疑者ってまさにダイバーシティの典型だと思う。 あれは個人の悪意とかで裁断できるものではなくて、おそらく遺伝的な脳要因に加えて環境要因によるものであって、おそらくほぼ全員が同じ遺伝子同じ環境に生まれたらあーなっていただろう。 最近仕事をできないやつや共同生活をこなせない一昔前なら困ったちゃん扱いされてたやつもADHDなーんていって社会で受け入れるようになってきた。 石橋容疑者みたいなのも適当にカテゴリーを作って社会で受け入れ、彼の問題行動を未然に防ぐべく社会がケアするべきではないだろうか? そもそも被害者をひき殺したのは前見ずに運転してたトラック運ちゃんだしな。
安楽死がだめな理由ってないよね。 死ぬ自由も認められるべき。 殺人がだめなのは、個人の所有物である身体を、他人が財産権侵害してるから。 安楽死は個人の所有物を処分するだけだから個人の自由であり、権利として認められるべき。 「他人から安楽死しろと圧力をかけられる!」とか言う人もいるけど、 圧力をかける連中を生んでるおまえらの問題であって、安楽死の問題じゃないよね。安楽死という人権を侵害する理由にはなってない。 それに、早く死ね圧力をかける人は安楽死がない現在でも存在してるので、問題にするなら今すぐ解決してこいよ、って話だよね。 要は、自殺という形で隠蔽されていれば自分は気分が悪くならないで済むからそう主張するんだろなぁ。 社会厚生的にマイナスだ!って人がいるけど、教育等はサンクコストだし、まともな連中を生むためのシステムと考えれば成立してる。 経済的に消費が減る!つってる人もいるけど、それが
自分の観測範囲だと、女性専用車への抗議を非難したり女性専用車の必要性を訴えている人の多くはいわゆるお気持ちフェミニストだし、お気持ちフェミニストの多くが女性専用車への抗議を非難して女性専用車の必要性を訴えている。 (フェミニストなら女性専用車には反対するのが筋では?という議論は置いておく。また、女性専用車両の存在自体は法的にはグレー、ただし差別的であることは明らか、ということは前提としておく) お気持ちフェミニストはリベラルと非常に相性が良くて、彼女ら/彼らは基本的に差別に反対していて、デモやストは民主主義の重要な道具だと理解している。 ここ数日の議論を見ていると、どうもお気持ちフェミニストの心のなかでリベラルであることとお気持ちの矛盾による葛藤が生じていて、多くがお気持ちを優先してしまっているようにみえる。もしくは、お気持ちフェミニズムのために都合よくリベラル仕草をしているだけであること
職場の人権研修で、障害者だ貧困だ難病だ、話を聞いたり動画を見たりして気になったのは、いずれも「偏見に晒されたり不当な不利益を被る人達がいかに立派な人か」という擁護?が混じっていることだった。ホームレスの中には少し前まで大きな会社にずっと勤めてたという人がいるんだとか、足の悪い○○さんだけ津波に飲まれたけど優しい人でとか。 じゃあ人間の屑だったらどうなんだと私はそっちよりだったんで思ったし、生活保護の支援団体の人までそういうくちっぷりだったのは少々辟易した。中には運命の歯車がほんの少しずれてしまっただけの人だっている、それはその通りだ、でも中には居るだなんて言ってたら、本当にただただ働くとかそういうの面倒くさいだけのテンプレなずるい人だっているだろう。障害ゆえに津波に飲まれた人は性格が悪くて周りから嫌われていたなら割り切りがつくのか。手を差し伸べる人を傷つけるような弱者に、差し出された支援に
俺は右翼の国家主義者なので憲法九条を廃止してはやく戦争をはじめるべきだと思っているしその際は従軍するつもりであるが、一点その前提として絶対にやらねばならないことがあると思っている。それは満員電車の解消である。というよりも、満員電車を当然と思う国民の意識をまず改革しなければならない。 何故なら自国民をあのような非人間的な環境で扱うことを何の問題とも思わない国民は、捕虜をあのような待遇で扱うだろうからである。戦争をする以上は勝敗は時の運であって負けることもある。勝てばこっちのものであろうが、また負けたとき、捕虜をあのように扱っていればまたぞろ捕虜の虐待だのなんだのと突きまわされるのは明らかなので、この点をどうにかしていかなければならないだろう。
ブコメでもよく見るよ。「老人は正直全員死んでほしい」みたいなコメント。スターもいっぱいついてる。老人へのヘイトコメントにもバンバン星ついてるよね。 これで賢くて平和主義なアタクシたちヅラしてんだから笑えるよな。同じ弱者なのにねえ。 あ、経済的に負担となる年齢層は自己責任で死んでも仕方ないって考えてる長谷川豊レベルの人が多いのかな? そして少子化対策に貢献してる子供たちは経済的に優先されるべきと。 うわー、すげー、はてな民って長谷川豊さんと同じ考えだったんだー。なるほどねー。 賢いはてな民の考える社会福祉すげー。弱者救済(ただし老人は死んでもしかたない)。 信じられないくらいリベラルだ-。ポルポト並みの革新派やでー。はてな民ってー。うけるー。
http://anond.hatelabo.jp/20150124122808 ブコメはありがたく全て目を通させて頂きました。考えはまだ拡散してまとまりません。 男性支援はアンチフェミニズムではないフェミニズムの延長として、男性にも抑圧されてる面があるんじゃねって視点が出てきたわけで、実はこれはフェミの成果でもあるのよ。 http://b.hatena.ne.jp/entry/239953973/comment/c_shiika 『男性権力の神話』の著者ワレン・ファレル氏は元々フェミニストであり、女性の社会進出を助ける活動を行っていたそうだ。 彼が目指しているのは女性差別と男性差別の双方を撤廃することであり、アンチフェミニズムではない。 フェミニズム議論は「男性は女性を抑圧する加害者である」に留まりがちだが、復讐から一歩進んで、 「なぜ男性は女性を抑圧してきたのか」「男性が抑圧されていなけ
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