あまちゃんの北三陸鉄道が谷川町が俺の理解不足か、あるいは俺がちゃんと向き合ってなかったのか。川本くんのtwitterが人を減らしたのか?いい大人(俺は除く)たちのなんと無責任な発言だろう!せめてtwitterをやっていない人間に対してだけ「あんたは何考えてるの?どうせ騙される!」とか言うな!いまその発言を読んで Anond AIで作成
川本くんが生まれた理由はついにわからなかったけど、死んだ理由はわかってる。皮肉なことに。何に対する皮肉なのかは、わからないけど。 孤独。漠然とした不安感。救いようのない、耐えようのないもやもやっとしたものが、川本くんの心にはあった。 なんでそんなこと僕がわかるのか、それとも決めつけることができるのかって? そりゃ、生前彼の言葉を聞いていたからさ。川本くんは言っていた。「ちゃくせき」以外にも言っていたんだよ。驚くことに。 川本くんはだいたい黙っていて、だいたいクールだった。けど、しゃべるときには、驚くほど饒舌になった。 もちろん、誰に対してもってわけじゃない。いや、誰に対してもってわけじゃないって感じさせるだけで、誰に対してもそうだったのかもしれない。 川本くんの心のなかの断絶がそうさせたのかもしれない。ほら、饒舌なときと、クール、寡黙なとき。 ときどき、同じ人間をみているとは思えないときが
川本くんには生まれた理由があって、そのひとつは、母親なんだけど、その話はしないでおこうと思う。彼の母親のことをそんな風には言いたくないんだ。 それに、川本くんが生まれた理由は、そういうことじゃない。川本くんは、三人兄弟の末っ子で、誰からも愛されずに育った。 とにかくクラスでも浮いている存在で、何を考えているかもわからないし、そもそも何も考えていなさそうだし、 でもときおりすごく考えてるような言葉をいうので、やっぱり考えているんだろうな、という感じだった。 ある日川本くんがいったことがある。 「なぁ、知ってる、人生に意味なんてないんだ」 そんなセリフを言う川本くんは、今で言えば中二病なんて言われるのかも知れないけど、僕にはそうは思えなかった。 (僕は後にあのことを知ったのだし、そのときは感覚でしかなかったけど、やっぱり何か感じていたのだと思う。) 今でも覚えているのが、川本くんが先生と言い争
妻の元彼から久しぶりに電話があった。 俺「もしもし?」 妻元彼「君の家の方角にハヤブサが飛ぶのを見た」 俺「それは文字通りの意味か?それとも何らかの…」 妻元彼「鳥類のハヤブサだ。君は見ていないか?」 俺「見てないが、心当たりはある」 妻元彼「カラスか?」 俺「そうだ。普段うるさいカラスの声が聞こえなくなった」 妻元彼「ビンゴと見ていいだろう。君にはハヤブサを守ってほしい」 俺「俺はハヤブサの守りかたを知らない」 妻元彼「ハヤブサが存在する痕跡を消す事だ。例えば羽根とかフンとか食べ残した小動物だ」 俺「俺にはそんなもの見分けられそうにない」 妻元彼「食べ残しはわかりやすい。小鳥やネズミの頭が食べられずに捨てられる」 俺「そんなものを拾っていたら、あらぬ疑いを受けかねない」 妻元彼「そこは慎重にやらなければならない」 俺「俺は不器用だから無理だ。そもそも何から守ろうというんだ?」 妻元彼「悪
9月の夜は、だんだん肌寒くなってきた。 碌に仕事をしない職員の代わりに、店内の施錠や点検を終わらせて、外周巡回に出た。最低賃金で24時間ぶっ通しで働く、警備員の仕事。初めは本当に辛かったが、慣れてくると肉体的にはどうということはない。寧ろ、これだけ働いてもまともな給与を貰えない現実を肌身に感じるにつけ、モチベーションの維持が難しくなっている方が問題だ。 銀行で働いていたとき、上司に言われた言葉がある。 「仕事に身が入っていない」 「お前は、自分で判断が出来ないから、何をやっても無駄に終わるだろう」 簡単にできると思って嘗めてかかっていた警備員の仕事だが、今の上司からも同じ事を言われ続けていて、また社内で崖っぷちの状態に立たされている。 集中力、判断力が無い。自らの仕事ぶりを振り返るに、確かにその通りだと思うのだが、自分が何故これほどまでに仕事が出来ないのか、30歳になるまでずっとよく分から
これは信じていいことなんだよ。 何故って、花見で人通りが多いところに屍体を埋めるなんて信じられないことじゃないか。 俺はあの小説のいうことが信じられないので、この二三日不安だった。 しかしいま、やっとわかるときが来た。 桜の樹の下には屍体は埋まっていない。これは信じていいことだ。
ひよこを飼っていた事がある。 脂ぎっているような白熱灯の元で、うじゃうじゃとまるで「蜘蛛の糸」を待つカンダタのような感じで、糸が垂れてくるのを待っている、縁日で売られていたひよこである。 なぜ、俺がひよこを欲しがったのかわからないし、付けた名前も忘れたが、とにかくひよこを飼った記憶がある。 ところで「ひよこ」と普段キーボードで打つことが余り無いので気付かなかったのだが「ひよこ」とタイプすると、なぜだかわからないが心がとても落ち着き、非常にピースフルな気分になる。皆さんもぜひ試してみて欲しい。 縁日の夜、我が家にて飼われる事になったひよこは、段ボールを改造したひよこハウスに入れられる事となった。 ひよこハウスの中は、柔らかいタオルケットのようなものが敷かれ、湯たんぽが安置されるという豪華暖房付きで、ひよこも心なしか居心地が良さそうだったのを覚えている。 こうして小さなワンルームの住人となった
今からお話することは、この夏に私が体験したお話です。 私は基本インドア派なのですが、夏ということもあり最近はサーフィンをするようになったんです。徐々についていく筋肉や黒くなっていく肌に、我ながら健やかさを感じたものです。 その日もサーフィンは満喫できたのですが、帰路の途中に雲行きが怪しくなってきました。天気予報を見逃したことを後悔しながら、私は自転車を漕ぐスピードを少しだけ速めます。しかし、その甲斐も空しく、家まであと半分くらいの距離まで到達した頃に、雨は降り出してしまいました。 「くそっ、徐行じゃなきゃ間に合ったかもしれないな」 雨は徐々に勢いを増し、着ていた服や荷物がびしょ濡れになるのも時間の問題でした。 「こりゃズブ濡れ覚悟で帰るしかないか」 諦めかけていたとき、建物が眼に映りました。公共施設でしょうか。そこに建物があるだなんて普段は気にも止めていませんでしたが、渡りの船とはこのこと
このご時世、水物の本業だけで生きていくのは大変だ。 まあ、衣食住だけでいいのなら何とかやっていける。 しかし、それだけで生きていけないのが現代人の贅沢な悩みだ。 そうして始めたスーパーのアルバイトも、板についてかれこれ数ヶ月が経つ。 慣れてくると余裕も出てきて、その余裕は欲へと変換される。 これは先日、店長に時給を上げてもらうよう交渉してみることにした話。 昼休み、店長が暇そうなタイミングを見計らい、話しかける。 「店長、ちょっといいですか」 僕の怪しい敬語も、開き直ってからだいぶ板についてきたものだ。 「ああ、何や」 店長は弁当を食べながら休憩をとっていた。 店長の手作りなのか、それとも嫁さんが不器用なのかは分からないが、無骨な弁当だったことは覚えている。 もちろん、店長の弁当はどうでもいい。 僕が店長に話しかけたのは時給を上げてもらうためで、弁当の中身を覗くためではない。 遠まわしに、
女の子が地べたにうずくまっていました。 女の子は「死んじゃいたいよ」と泣き叫びました。 実は女の子は死にたいとも思っていましたが、生きたいとも思っているのです。 きっと、生きたい気持ちが彼女を叫ばせたのでしょう。 すると、通りかかった美しい女の人が少女に話しかけてきました。 「自殺はやめなさい」 「誰も死んで悲しんでくれる人なんていないし、苦しいもん」 「貴方は美しくないから悲しんでくれないのよ いい?お化粧なり、縮毛矯正なり、整形なりをしなさい 私も死んじゃいたいと思った時があったでも、それは自分の容姿の良さに気づいていなかったからなの 私は整形なんてしなくても容姿が良かったから、整形がどういうものかわからないけど 私は美形で幸せ」 と言って何処かへ行ってしまいました。 女の子は呆然としました。 励ますように見せかけて、自慢話をされたのです。 昔、近所に住んでいた同い年の男の子のお姉さん
うちの金魚は5歳である。名前はあるが、個魚情報なので一応伏せておく。うちにやって来たときには生まれていたから、正確な誕生日はわからないけれど、まあとにかく大体5歳である。金魚の年齢で5歳というと、まだまだ生きられそうに思えるが、実のところすでに寿命は近い。うちの金魚は金魚すくいでよく見かける赤いやつではなく、背ビレのない、背中が丸みを帯びているあの形である。たまにテレビに映る何十歳のでっかい老魚とちがって、このタイプは比較的るい弱だし、体もそこまで大きくはならない。ましてうちの子はあまり食べずに育ったから、年のわりに貫禄がなく子供っぽくみえる。 でも小さいくせしてなかなか骨の折れる魚生を送ってきた。うちの水槽に来た当初は2匹の仲間と一緒に泳いでいたが、いつか彼らはこの世を去り、今では大きすぎる住処に1匹で生活している。氷水みたいに冷たくなった冬の水中で、じっと身を縮めるところなどを見ると、
もう7年位前になる、当時はガールズバーって単語はなかったが女の子とお喋り出来るバーだったのでガールズバーと言った方が今語るにはしっくりくると思う。 そこには社会人になりたての僕と職場の先輩の二人で行った、駅の近くの雑居ビルの2階だったか3階だったかにそのバーはあった。 僕はその頃まで女の子と親しく話した事はあまりなく、またそのバーでも上手く話せなかった。 そこではカラオケを歌う事が出来た、他の人は演歌等の渋い歌を歌っていた、僕はその中でBUMP OF CHICHIKENを歌った、 特別好きとまではいかないけど、僕の少ないレパートリーの中では比較的マシに歌えるバンドの歌だった、 ただあまり上手に歌えなかった、普段カラオケにいかないってのもあるが、人前で歌うってのに慣れていなかった。 歌い終わった後、ガールがBUMP OF CHIKENについて話題を振ってきた、彼女の話はチームの歴史や歌手の歌
深夜にこっそりベーコン巻かれたスリープ状態のPCってどんな夢みてんのかな
彼女は精神的に弱いヒステリー持ちだった。 普段するなんとない会話で楽しく笑っていたかと思えば、ふとした言葉に引っかかって急に表情を暗くしたり怒り出したり、最終的には泣いたりする感情の起伏がジェットコースターのような人間だった。 とにかく言葉の中に地雷が多い。カンボジアも驚きの地雷原である。 その日も家で何の話をしていたか全く覚えていないくらい何のとりとめもない話をした後、ふとリストカットの話になった。 どうやら彼女は、リストカットをするくらい追い詰められたことがあるけれど、結局怖くてできなかったらしい。 僕はというと、リストカットをしたこともなけば、しようと思ったこともない。 ぶっ殺してやりてえとは良く思う。 予備校時代、両腕とも手首から肩にかけて何重にも切り刻まれたゴスロリの少女がいた。 その傷を見るたび、僕はポルナレフに切り刻まれた呪いのデーボを思い出した。 別にそのゴスロリちゃんと話
2年前、私は不良ってやつだった。 学校には行くけど授業中は寝てすごしていた。 夜になると仲間とつるんで夜通し遊んだ。 遊ぶ金は体を売って稼いでいた。 ある日、なんとなく学校近くのコンビニで万引きをした。 始めはドキドキしたが、慣れるとただの日課になった。 毎朝おにぎりかパンを盗んで昼に食べた。 帰りも食べ物とヘアスプレーとかを盗んで仲間とわけた。 店員の目線や監視カメラの角度には気をつけていたし、バレやしなかった。 私の事を不良と呼んで、劣った存在だと思っている奴らの方こそマヌケでバカなのだと思った。 店長との出会いのきっかけは後輩だった。 不良仲間の後輩が万引きを教えて欲しいというから、一緒に万引きしたら、後輩がヘマをして捕まった。 私達は控室に連れて行かれて、店長がやってきた。 いかにもダサイ、オッサンだった。 この手のオッサンならいつも客として相手している。 手慣れたもんだ。 「やは
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