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増田と考え方と世界に関するsds-pageのブックマーク (7)

  • 占いは信じないが「神様」を信じている。だから、日々の占いを好んで読む

    占いの手法はどれも胡散臭いと思う。 それでも私は日々の占いを好んで読む。 こう述べると相手は必ずその矛盾らしきを指摘してくるが、私の中では何も矛盾していない。 なぜなら、私は世界を統べる「神様」という存在を信じ、胡散臭い占いにも、その「神様」の意図が示されていると思うからだ。 さらに言うなら、「神様」には、世界を自分の思う方向へ向ける何らかの意図があり、 学習付けとして、その意図に沿う人間には何らかの利益がもたらされると思っているのだ。 つまり、占いの手法自体は信じないが、占いの結果に「神様」が好ましい意図を含ませていると信じているので、好んで読むというわけだ。 なお、世界を統べる「神様」を信じるということは、特定の宗教を信じることとは全く異なる。 どちらかというと、重力だとかの自然法則の存在を信じるのに近い。 なんでこの世界はこんな上手く回っているんだろう!と思うから、科学者が自然法則と

    占いは信じないが「神様」を信じている。だから、日々の占いを好んで読む
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    sds-page 2021/04/21
    インテリジェントなデザインをするラプラスの悪魔。神の振るサイコロによってラプラスの悪魔は死んだ
  • 天気の子みたいな身勝手な展開は許せない。多くの人を守れるなら喜んで犠牲になるべき。ウルトラマンとかもそうしてた

    もしも、主人公と同じ高校生の頃の自分が天気の子を見てたらそういう感想になったのは、多分間違いない。 その頃の自分は、皆が協力すれば皆が幸せになるし、そうして協力によって生み出された利益は自分にも返ってくるから自分も幸せになると思っていた。 ゲーム理論の一番簡単な部分を、上っ面だけで理解してそういう風な事をホンキで考えてた。 でも実社会でそれなりの時間を過ごして、功利主義を通用させられる状況の限界を知った。 自分が誰かのために犠牲になったとして、それが一時の不利益でしかなく最終的にはプラスに転じると言えるのは不利益の規模によるということだ。 友人のためにコーヒー代を貸す(おごる)ぐらいなら、すぐにそれは返ってくる。 でもそれがある程度の現金だとか、身分だとか、ハンコだとか、そういった物になっていくにつれて、巡り巡っても返ってこなくなる可能性が高くなる。 そして、そういった行為に対して返ってく

    天気の子みたいな身勝手な展開は許せない。多くの人を守れるなら喜んで犠牲になるべき。ウルトラマンとかもそうしてた
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    sds-page 2021/01/04
    天気の子は実質まどマギ。魔法少女の為にまどかが犠牲になるしほむらちゃんが「やっぱりまどか返して」って取り返しに来るし
  • 可能世界とともに生きる

    実はこの世に確率なんてものはありません。この世では、起きることは起きるし、起こらないことは起こりません。 愛する人を亡くしてしまった世界において、愛する人を亡くさなかった世界は起こりません。 ですから、私たちは確率とともに生きることはできません。当はこの世に確率なんてものはないからです。 この世では、起きることは起きるし、起こらないことは起こらないのです。 愛する人を亡くすことが起きてしまった世界では、愛する人を亡くすことが起こらないことはもう起こらないのです。 でも<この世界>ではないどこかに、<愛する人が未だ元気で生きている世界>というものがあるかもしれません。 少なくとも私たちはそれを想像することができます。 想像できるということは、そのような世界はありうるということです。 そのような世界がありうるということは、そのような可能世界とともに生きることができるということです。 私たちは

    可能世界とともに生きる
  • 死後の世界ってあると思う?

    俺はね、あると思う。 以前「自我がいつできた?」って増田があったように思うが 俺も自我というか、俺が俺であると認識できたのは小学生になってからだった。 それまでは、俺に主導権はなく勝手に行動しているのを見ているだけ。一緒に怒られているだけ。 AIが操作しているのを見ているだけ、という立場だと言えば分かるかもしれない。 体と心が別行動だったとでも言えば良いのか、心が2つあるような気がしたと言えば良いのか 何ていえば伝わるのか分からん。 それで、俺は「死後の世界はある」と思ってるんだ。 俺の魂が入り込むまでは「AI」みたいな勝手に操作してくれる 環境から構成される人格プログラムみたいなのが入り自動で操作されていて 途中から俺の魂および心と融合してどうなるか……みたいな感じだ。 環境で性格も操作されることもあるが、根は違うところからくるってのはこんな感じだと思う。 同じような環境で育てても、人

    死後の世界ってあると思う?
    sds-page
    sds-page 2019/11/21
    人間の魂は時間や空間に縛られない高次の存在で、それがダウンコンバートされて人体の中に入ってる。死後の世界が別にあるわけではなく死んだら認識の次元の制約が外れると思う
  • 自分が世界の主役じゃないって気づいたのはいつだったか。昔からわかって..

    自分が世界の主役じゃないって気づいたのはいつだったか。昔からわかってたような気もするし、最近になってようやく思い知らされたような気もする。facebookの自分のページを客観的に見ると、別にイケメンでも何でもなく、コミュ症っぽい雰囲気を全体にまとっている。さっきそれを見て、つくづく俺はこの世界の主役にはなれないんだなーって思って。脇役でも脇役なりにこれから何十年と生きていかなきゃいけない。脇役であることに慣れてしまえば、そんなこと気にもしなくなるはず。プライドを下げて、自尊心は保って、コツコツと小さな幸せを見つけながら脇役人生を謳歌するのだ。当なら自分が脇役であることなんか忘れるか、見て見ぬふりをしてがむしゃらに努力し続ける方がいい生き方なのかもしれない。でも自分に自信もないし、易きに流れる性格だし、感受性が強すぎて豆腐メンタルだから無理だろうな。ツイートする

  • この世界から武力を無くすために必要なのは、他者を圧倒する武力。 他者に..

    この世界から武力を無くすために必要なのは、他者を圧倒する武力。 他者にいかなる武力闘争も無意味であると畏怖させるほどの強大な武力。 その武力でもって、他者を武装解除させたうえで、自らも武装解除する。 その結果、無武装世界が実現するのだ。 繰り返すが、 この世界から武力を無くすために必要なのは、他者を圧倒する武力。 これ以外にありえない。

    この世界から武力を無くすために必要なのは、他者を圧倒する武力。 他者に..
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    sds-page 2015/12/02
    田中ぷにえですわ
  • 下の次元に移ると存在は弱くなるのではないかと思った。ということは

    下の次元に移ると存在は弱くなるのではないかと思った。 ということは上の次元では、存在はこの次元よりももっと強固なものなのではないか。 たとえば、2次元に描いたものは、それを表した素体が破けたり燃えたりすれば簡単に壊れてしまう。 バーチャルな世界を作ってもデータが消えればそれまでだ。 この3次元でも、破壊が起これば壊れるし、地球がなくなれば、宇宙がなくなれば、存在し続けることはできない。 では、今の次元よりも上の次元では? 地球がなくなっても宇宙がなくなっても存在は壊れない。 この3次元で認識されているような死ぬということは多分おこらない。 もっと高次元での死はあるのかもしれないけれど、物質的な制約からは解放されるのではないか。 もう一歩思考をすすめてみる。 たとえば、 紙の上に3次元のある1シーンが投影される2次元と、コンピュータの中で表現される仮想現実があって、 3次元からは完成された形

    下の次元に移ると存在は弱くなるのではないかと思った。ということは
    sds-page
    sds-page 2015/04/24
    「完成系に向かう」って考え方自体が一つの次元軸に囚われてるんじゃないかな。次元の上の方は終わりも始まりもないあらゆる可能性が詰まったカオスの海だと思う
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