戦前・戦時中世代の人達のように、自分たちが苦労して選挙権・被選挙権を手に入れた人間であれば、何があっても選挙に行くものなんだろうね。 しかし生まれた時から選挙権や民主主義が最初からある世代にとっては、選挙に行く意義がわからないのも事実。 そんな場合は「自分たちが民主主義の価値観を守る、継続させる」という運命を背負っているのだと自分に言い聞かせて、選挙に行くといいと思う。 民主主義も、日本人として生まれたことの「既得権」みたいなものだから、「既得権」は何が何でも死守しなきゃ。
戦前・戦時中世代の人達のように、自分たちが苦労して選挙権・被選挙権を手に入れた人間であれば、何があっても選挙に行くものなんだろうね。 しかし生まれた時から選挙権や民主主義が最初からある世代にとっては、選挙に行く意義がわからないのも事実。 そんな場合は「自分たちが民主主義の価値観を守る、継続させる」という運命を背負っているのだと自分に言い聞かせて、選挙に行くといいと思う。 民主主義も、日本人として生まれたことの「既得権」みたいなものだから、「既得権」は何が何でも死守しなきゃ。
感情論ばかりなんだよね。行く気が余計なくなるわ。 選挙って入れる人いないのに行くの? https://anond.hatelabo.jp/20190407215315
日本の有権者数は約1億人いるわけなんだけど、つまりそれって有り体に言えば、自分の意思が代議士を選ぶごときに1/1億に希薄化されるってわけだけど、それってなんか行く意味あるの? そう思って俺は全く行ってない。だいたいそういうことを言うと「そうやって行かない人が多いから政治がうんぬん」とか言われるけど、じゃあ俺が行くことによって何が変わるのか?この人が一番マシだなと思った人に票を入れて「ハイ、1票多くなりました」以外に何が変わるんだ? 俺がどれだけものすごく真剣に考えて、それぞれのマニフェストや実現性・政治家の人柄など、いろいろ精査してその上で投票しても、1/1億というのは変わらない。「お前頭おかしいだろ」っていうバカ野郎どもと全く同じ重み付けの1票を持つ。何も調べてない、ただの扇動されたクソ野郎とも全く同じ重み付けの1票を持つ。 もし政治を変えようと思うなら、俺が政治家になった方がよっぽど早
最近、選挙カーについて廃止を訴える候補者がぼちぼちと現れ、ネトウヨを中心とする?一部層に好評らしい。多くの人間には分かりきっていることだと思うが、選挙カーは有用だ。その理由を若干であるが綴りたい。 1. 潜在的関心層への興味関心を高めるのに有用 現代において、選挙というものは、知らずに始まり、気づいたら投票日という人ばかりだ。この傾向に歯止めをかけている最終防衛線が選挙カーといって過言でない。うるさいと感じるのはそもそもが選挙への無関心層であって、選挙カーによって候補者を知ってありがたいと感じる潜在的関心層は多いはずだ。 2. すべての有権者がネットを使えるわけではない この点は、極めて重要だ。ネトウヨさん達にしってもらいたいのは、普段外出がままならないあなた方のおじいさんが選挙カーでの演説をきいて投票しているという事実だ。有権者は、若者だけでなく、老人もそうだ。さらに言えば将来世代も選挙
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