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増田と読み物と人生に関するsds-pageのブックマーク (38)

  • 中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた

    悪友5人で集まって近所のショッピングセンターや野球場や図書館などの施設に行き、ミニスカートの若い女がエスカレーターに向かったら数メートル空けて尾行し、下から覗いてパンチラをハントするのだ リーダーのS君はボットン便所の市営住宅に住む貧しい家庭の子だったが、俺たちハンターは彼を慕っていた 研究熱心で、どこの店のどのポジションからパンチラが拝めるか常に研究し、情報を共有してくれていたからだ 俺たちは小汚い彼の家に集まって旧式のパソコンにS君が田んぼで拾ってきたエロの付録のCD-ROMを突っ込んで解像度の低いエロ画像を見るのも好きだった(まだインターネットは普及していなかった) そういう戦利品がなくても彼の家はパラダイスだった 彼の女子高生の姉の下着がそこら中に干してあって見放題だったからだ メンバーのうち二人は別の中学の生徒だった 小学校は同じだったが学区の関係で離れてしまったという経緯で、

    中学生の頃にパンチラハンターという遊びをしていた
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    sds-page 2023/08/04
    ギリギリタワマン文学になるかならんかという所
  • 無職、フライドポテト、ビール。

    この3つの言葉だけで今の俺の存在は表せる。情けないものだが、そんな俺でもフライドポテトとビールを飲みながら、公園のハトを見ることぐらいは許される世の中で良かったものである。 さて、日課のように貯金い潰してセブンのフライドポテトと銀色が多めのビールを買い、いつものベンチに腰掛ける俺であったが、なぜか今日は大学生風の青年に話しかけられた。 「あの……」 「ん?」 「お仕事は何をされてるんですか?」 いきなりその話題かよ。どんだけ俺は無職オーラが滲み出ているんだよ、と思ったがぐっと我慢して言葉を紡ぎ出した。 「……今は働いていないよ。今はね」 「え?今ってどういうことですか?」 ああもう!こっちも色々あるんだよ察してくれよ!と言いたくなる気持ちを抑えつつ、俺は答えた。 「今はニートなんだよね。あ、でも1年くらい前からだから。ニート歴はまだ浅い方だよ」 自分で言っておいて何だが、こんなことを見

    無職、フライドポテト、ビール。
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    sds-page 2022/09/05
    空が灰色っぽい
  • 唐突に子どもの頃のクラスメイトを思い出す

    子どもの頃に読んだサバイバル術ので「火の起こし方」を詳しく解説したページがあった 当時の私はとにかく好奇心旺盛で、「こんな方法で当に火が起こせるのか」と試したくなり、かといえ勝手に試して火事にでもなったら父親に殺されかねないと思い、一番身近だった大人である小学校の担任の先生に「この実験をやってみたい」と、とても熱くプレゼンをした 林間学校を翌月に控えていたことと、すでに着火している私の好奇心に引き寄せられた数名のクラスメイトからの懇願もあり、「やる方向で検討するから、どんなもの必要なのかまとめて欲しい」と言ってくれた 当時の小学校では担任の裁量で自由な使い方をしてもいい「学活」という時間があり、そこでは主にドッヂボール大会やお楽しみ会などのイベントが開催されており、私が提案した「火起こし」もその学活の時間で行われることになった とはいえ、人数分の木の板と手頃な棒を調達するには調整がなか

    唐突に子どもの頃のクラスメイトを思い出す
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    sds-page 2022/09/01
    きりもみだと紐付けて回す方法じゃないとなかなか難しいような
  • ぼったくりバーの店員だったことがある 其の三

    前パート https://anond.hatelabo.jp/20220830220250 わかった風に述べてきたが、俺自身はそこまでI店に貢献したわけでもない。最初の三ヶ月は時給800円以下の日払いアルバイトだった。社員の人や、キャストの女性が多くのお金をもらっているのを見て、自分もいつかはと考えていた。 キャッチ役になると、I店に連れてきた人数と支払額に応じてバックがもらえるが、代わりに固定給の時間換算が500円以下となる(実績主義)。閑古鳥が鳴くような平日火曜日とかだと、むしろ働くのが損みたいなことになる。 お客さんがゼロの日が三度あったのだが、さすがにキツかった。その日の給料は相当安いし、皆の目線もちょっと冷たい。でも、店長も、キャストの人も、ほかの人も、「ドンマイ!気にすんな」とか「お前は慎重だから」とか「あんたは人の表情を見る力はあるんど。今はそれでいいんじゃけ。焦るな」とかい

    ぼったくりバーの店員だったことがある 其の三
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    sds-page 2022/09/01
    女の子が付かない普通の居酒屋なら2000円で飲み放題はあるかな・・・3000円ポッキリとかは確実にその二倍を超えてくる
  • ぼったくりバーの店員だったことがある 其の一

    誰かに話したくなってきた。 まだ二十歳ほどの頃、地元の広島で特に定職に就くこともなくアパート暮らしをしていた俺は、昔からの繋がりの先輩に誘われて、客から高い金を踏んだくる店で働いていた。 福山駅の付近にある繁華街だった。福山といったら知名度はほとんどないが、桃太郎電鉄の青マスとして出てくる程度には良いまちのようだ。当時の俺は、そのへんのアパートで暮らしながら、昼はコンビニアルバイトで、夜はそのバーで働いて、それで明け方に自宅に帰って昼過ぎまで寝る。そんな毎日だった。 地元が懐かしい。もう6年は帰っていない。来年には帰ってみようか。増田民で、もしお勧めのスーパー銭湯とかラーメン屋とか焼肉屋とかあったら教えてくれよ。 すまないが推敲はほぼしていない。変な字があったらごめんよ。 ちょっと自分語りをさせてほしい。滅多にない機会なんだ。いいだろ? 正直、あまりいい門地の生まれじゃない。大きい河川沿い

    ぼったくりバーの店員だったことがある 其の一
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    sds-page 2022/08/30
    そういやぼったくりバーの話が無かったな
  • ベンチャー企業に就職させられて後悔している

    自称・ベンチャー企業に来て後悔している、というか恨んでいる。自分のいたベンチャー企業なんて、反社会的勢力 隠れ蓑でしかなかった。そこで得たもの、というものはなくて、むしろ父親と学歴と情熱を失った。 だからベンチャー企業とか NPO なんかに社会的な価値を見出して入社する必要なんてない、むしろ新卒採用では JTC に入れよーという話をしていこうと思う。 元スレは https://anond.hatelabo.jp/20220613020726 https://anond.hatelabo.jp/20220614002648 です。 国立医学部を目指して多浪し挫折したあとに入った大学は早慶未満マーチ以上の偏差値の大学だった。そのため、周りは年が若くなじめないままサークル勧誘期間が終わってしまったのであった。まちがいなく大学内では浮いた存在であったし、自分も馴染む気がなかった。当時の言い方をする

    ベンチャー企業に就職させられて後悔している
  • エヴァンゲリオンが嫌いだった。

    私はエヴァンゲリオンが嫌いだった。世間では凄い評価されてるけれども、私は嫌いだった。二週間ほど前、新しい映画がやることになったらしく、ネット中が騒ついてるが全く興味がなかった。 2021年3月22日に放送された『「プロフェッショナル 仕事の流儀」庵野秀明スペシャル』。たまたまテレビを点けていたらこの番組が流れた。あのエヴァンゲリオンの監督、庵野秀明氏のドキュメンタリー番組である。 エヴァンゲリオンの監督の人か。まあ他に見る番組も無いし、テレビ消すのも面倒だし、そのまま点けておくか。そう思ってぼうっとテレビを見ていた。 全て見てしまった。一時間と少しの間、釘付けだった。感銘を受けてしまった。作品に対してここまで命を懸けられる人がいるのかと。作品に対して真摯に向き合い、自分の理解を越えた先にある面白さを求める姿勢。恐ろしさを感じるほど素晴らしかった。 私は、この番組を見て感じた衝動を誰かに伝え

    エヴァンゲリオンが嫌いだった。
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    sds-page 2021/03/24
    福音は訪れるのか
  • 花のない生活

    ほどほどに陽当たりの良い台所で、小さな鉢の観葉植物を二つ育てている。 どちらも元々は実家にあり、伸びすぎた茎を切って分けてもらったものだ。自宅に持ち帰って水を入れた瓶に挿しておき、根が生えるのを待ってから鉢に植え替えた。 二つのうち、一つはブライダルベールで、札幌に住む祖母が、家で育てていたものを同じように切り分けて持って来たという。祖母は認知症になり、今は施設で暮らしている。もう何年も会っていない。 もう一つはポトスで、いつからあったのかはわからないが、物心ついた時から実家の景色の一部だった。 植え替えた鉢を、初めは自宅のリビング(と言うほどでもないが)に置いていたのだが、陽当たりが良すぎたせいか、見る見るうちに葉が変色してしまった。ほぼ枯れかけの状態だったが、よく見るといくつか新しい芽が出ていた。まだチャンスはあると思い、まずは鉢の場所を移し、元気のない葉を切り落とし、土の状態をこまめ

    花のない生活
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    sds-page 2021/02/04
    クーピー、ゴールド把握
  • 金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと

    地に足がつかない、とはこのことかと思った。 2月の終わり、寒い日のことであった。大学受験の二次試験前期日程の試験を終えた私は、試験会場の大学からバスに乗り、金沢駅のバスロータリーに降り立っていた。バスから降りた時、アスファルトがぐにゃんと歪んだような気がして、最初上手く歩けなかった。地に足がつかない、とはこのことかと思った。 二次試験は、よく解けたという気もするし、ダメだったという気もした。要するに何も分からず、前者であったと自分に言い聞かせるしかなかった。金沢駅の東口をとぼとぼと歩く。前期試験が終わった。そのことへの安堵と、もうこれで受験勉強をしなくていいかもしれないという期待は確かにあって、背中に羽が生えたような気分だった。 しかし、まだ合否は出ていない。もう動かせない結果は、どちらに転ぶか分からないのである。まだ何者にもなれていない、宙ぶらりんの状態は何とも居心地が悪かった。 バスか

    金沢駅のトイレで、e-maのど飴を握りしめたあの日のこと
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    sds-page 2021/02/02
    受験の時の記憶って割と強く残ってる。強く生きて
  • ハリボテ人生に絶望して発狂しそう

    約30年間自分の無能さ、凡人さに対して、必死で目をそらす事で保ってきた自我と精神がとうとう崩壊した。 今現在どうしていいかわからない状態なので吐き出させてほしい。 俺と同じようなタイプの人がいるかわからないけど、もしいたら反面教師にしてくれれば幸いです。 俺には少し年の離れた兄がいた。 その兄は色々あって10歳ごろで不登校になり、俺は常にそんな兄を反面教師にして生きた。 両親からは賢いと言われて育ったが、ただ異常なまでに俺を褒める教育方針だっただけだ。 それは所謂普通の人生から外れてしまった兄への当て付けであり、兄の教育を失敗した反省であり、 自分の子育てが間違っていない、自分の子供は優秀なんだと信じたい感情からだったと思う。 でもその教育方針は俺自身がなんとなく、他とは違う特別な人間で、なんとなく特別な事を成し遂げ、 人より素晴らしい人生を送るのだと思い込ませるのに十分だった。 自分は勉

    ハリボテ人生に絶望して発狂しそう
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    sds-page 2021/01/19
    人に取り入る営業の才能はありそうなので変に知ったかぶりしないで謙虚にやっていけばどこの企業でも重宝されると思う
  • 勤務先が清算となり、無職として放り出されてしまった

    勤務先の社長と取引銀行が協議した結果、会社が倒産して従業員全員が路頭に迷うのはまずいだろうということになり、大幅に事業規模を縮小することになった まず新会社を設立し、そこへ土地や建物などの資産と黒字が見込める一部の事業、一部の従業員だけを移管 そして新会社には今後10年間で返済出来るであろうと思われるだけの銀行借入を背負ってもらう 旧会社は残った借金だけを抱えたからっぽの箱になるので銀行が債権放棄したうえで清算というスキームである 新会社の事業は今の事業規模と比較すると10分の1程度であり、余剰不動産賃貸収入等が新たな柱となるので、あまり人員は必要ない というわけで下請会社などは全て契約を切られ、私たち正社員も新会社へ移ることが出来るのは1割にも満たなかった そうなると再就職が困難な高齢者や住宅ローンと家族を抱えた人たちがどうしても優先となってしまう この新型コロナ下では再就職先の斡旋も

    勤務先が清算となり、無職として放り出されてしまった
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    sds-page 2020/10/29
    風俗はGOTOじゃなくてリモートにして。DXに先駆けて一人一台VR時代じゃ
  • 耳かき革命

    このコロナの影響で、営業所の一つが閉鎖となった。もともと取引先の倉庫だったところを区切って、事務所を作り、倉庫の一部を駐車場にしていた。いよいろ片付けて、引き上げとなったので、ゴミや備品の整理のために、2週間近くその元営業所に通った。2000年ごろからずっと使ってきて、やたら倉庫が広かったためか、まぁゴミの多いこと。とりあえずここに持ってきて保管とか、納品先が潰れて、引き上げたモノを保管とか、そういう場所になっていた。得体の知れないパーツや商品もあり、適当に処分したり、使えそうなものならば取引先に連絡して引き取ってもらったりした。それらの中に、割に最近の品物であろう自動車や機械の整備に使われるファイバースコープがあった。長いワイヤーの先にカメラがついてて、奥まった所のものがみえるという機械である。一度は使われたことのある形跡があり、廃棄かなと考えていたが、電源を入れると普通に起動した。ふと

    耳かき革命
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    sds-page 2020/07/23
    このくらい緩さが許される会社は潰れないでいてほしい
  • 12年前に別れた彼女へ

    ウエエエエエエイ!!!!!!!!!! ウヒョウヒョヒヒョーーー!!!!!!!!!!!!! マジで嬉しいから書くわ! 34歳にもなって独身の俺だが、実は12年前の22歳のときに彼女という幻の存在がいたことがあるんだ。 お相手はマホちゃん(20)。当時入ってたよさこいサークルの後輩でタレ目で黒髪ロングで巨乳という童貞俺にとっては夢のような女の子! とくに好きだったのが暗い表情だ。 この世の終わりを23回は見ているに違いないというぐらい暗い。言葉の端からは「こいつは私より幸福だ」というふいんきがダラダラ溢れ出ていた。 俺は完全に一目惚れしてしまった。 ベラベラ過去を喋っていたところ、実はお互い両親に虐待されて児童相談所から養護施設にぶち込まれていたという過去まで一致! 意気投合してなんだかんだで付き合うことになった。あれほど施設送りの過去に感謝したこともなかったな。 当時、マホちゃんはいわゆるメ

    12年前に別れた彼女へ
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    sds-page 2019/06/16
    愛する人が石になった時、以前と変わらず愛し続けることはできるのかhttp://www2319.hatenadiary.com/entry/2017/06/09/143333
  • バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた

    自分語りしたくなった。 両親共働きで、ベビーシッターの人によくお世話されてた。それが普通だった。お世話になるのだから行儀良くしなさいと言われてたし、実際他人だ。冗談も言い合うし頼りもする、無理も言った。でも、それなりの距離感を取って暮らしてた。 他人が家にいるのもそれほど苦じゃなかったんだな。 暫くして弟ができた。俺が小学校にあがってすぐ産まれた。その数年はホントに幸せだった。帰ったら家に親がいて、色んな事を話したりした。 母のお腹がおおきい時は、一緒に名前を考えて、呼び掛けたりした。今の子はヒョンタなんて呼び掛けるのかな。俺の時代はそれが普通だった。 産まれたらオシメも替えた。うんちだったとき俺もビビって泣いたよ。小学生にうんちのショックは大きかったんだ。 成長して、母も仕事に復帰した。シッターさんと俺と弟で夕方まで一緒にいて、遅くに両親がそろう日常に戻った。 俺には日常だったが、弟には

    バカみたいだけど、弟と俺は違う人間だと気づいた
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    sds-page 2019/03/05
    押目やぞ
  • さしあたって。

    非常に言いにくいことで,しかしながら,ずっと言わなければならないと思っていたことを,伝えなければならない人(もしくは人たち)に,過不足なくそしてタイミング良く伝えることは皆が思っているよりもずっと困難である. 特に私のようなやらなければならないことを後回しにする癖を持っている人間にとってみれば,直接伝えることよりも間接的に目的の人(もしくは人たち)が伝え聞くように,その計画を時間をかけて用意し,数十年のスパンで実行する方がたやすいことのように感じられる. 最初の,そして最も基的な伝えたいことは,齢30を過ぎてから最近気づいたことだが, 私は,私の人生に興味が無い. 私の生きている理由はたった一つ.生まれてきてしまったからである.そして,私がこれまでに生きてくる上で大切に守っていたルールもたった一つ.敵も味方も作らず,ただ平穏に,喜びや悲しみや,それに付随して生じる感情の起伏もただひたすら

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    sds-page 2019/02/26
    文学の波動を感じる
  • ぼくが自殺を決行した話をする

    今だからあんまり気負わずに言えるけど、当時は人生に対して切実な思いを持っていた。もちろん自殺には失敗したから今生きている。 当時、ぼくは20歳でニート生活をしており、よくわからないまま何の目的意識もないまま、とにかくこの先の人生に絶望しながら生きてきていた。 ぼくはそのとき大学を中退してそれなりの年月が経過していた。大学に行ったのも特に目的は無かった。働きたくないし勉強もしたくなかったが、親が金を出してくれるということで、自分の人生に対して責任というものがなく、ただ言われるがままに進学をしていた。受験勉強は全くせず高校時代は家で勉強をしたことはなかったが、学校の授業を高校1年生から2年生まではしっかり受けていたこともあって、受験は成功し、ランクは落としたが大学に進学した。それでもそこそこの国立大学には進学したので、ぼくは同級生のほとんどを見下していたように思う。 大学に入ったときは「遊びま

    ぼくが自殺を決行した話をする
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    sds-page 2018/11/25
    「人は何のために生きるのか」は死に至る病。他力本願で宗教にはまるか、哲学で自力救済に至るか。「答えを先延ばしにする」が最適解だが人に言われて納得する答えでもない
  • ハムスターが死んだ

    少し前、彼女が死んだ。交通事故だ。 車線をはみ出した居眠り運転が対向車とぶつかってその巻き添えになった。事故に関わった人間はほぼ全員死んだ。 彼女とはまあまあ長く付き合っていて、恋人になる前から仲が良かったし、やはりめちゃくちゃショックだった。最初は何が起きたのか当に分からなかった。 病院で死んでいるという彼女に対面するまで、どっきりか何かだと気で思っていた。芸能人でもないのにそんなドッキリあるわけないだろ、と今なら思う。 彼女が死んで少ししてから、彼女の電話から連絡があった。 めちゃくちゃ驚いたが、相手は彼女の妹だった。彼女は元々遠方の地方都市の出身で、母親と妹で彼女が一人暮らししていた部屋を片付けに来ているという連絡だった。俺の私物(服とか)を見つけたが、どうしたらいいでしょうか?と聞かれた。向こうは郵送してくれるつもりのようだったが、女性二人で部屋を片付けるのは大変ではないだろう

    ハムスターが死んだ
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    sds-page 2018/05/10
    しんみりした余韻を味わいつつトラバ見たら割と酷かった
  • 祖母が施設に入る事が決まった

    今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まらず明日に響きそうなので吐き出しておく。 今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんがグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活からの解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いて

    祖母が施設に入る事が決まった
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    sds-page 2018/04/24
    たまに帰ってこれないもんかな
  • ささやかな この人生は どこへ続いてゆく

    3月末だというのに関東では週中雪模様。 底冷えする寒さのなか、どんよりとした空を眺めていると、何だか家から叩き出された子供の頃を思い出して、やるせない不安と寂しさが襲ってくる。まだ元気だった頃の親が懐かしい。 家に帰ってテレビをつける。画面の向こう側ではカラフルなひな壇で芸能人がバカ騒ぎしているというのに、俺を取り囲んでいるのは頭の油でギトギトに変色した枕、すえた臭いを発するビールの空き缶、何年も前のグラビア誌。グラビアの表紙を飾った子をスマートフォンで検索してみたが、その後それらしい活動をした形跡はない。主婦になったのかな。第二の人生を楽しく歩めているといいな。 鈍い音で独り言をつぶやき続ける冷蔵庫だけが俺の友だちだ。電気を供給してやるかわりに、彼はいつも俺のために冷凍品をサーブしてくれる。ギョウザ。コロッケ。冷凍品の賞味期限はあってないようなものだが、刻一刻と俺の賞味期限は近づいて

    ささやかな この人生は どこへ続いてゆく
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    sds-page 2018/03/21
    こういうのでいいんだよ
  • 人生何者にもなれなかった、けど

    お前、もうすぐ大学出て就職だけどさ、才能とかセンスとか、独特の感性とかさ。そんなもん自分にあるとまだ思ってるの?ないよ。あるわけないじゃん。自分にしかない何かがあるとかさ、マンガの読み過ぎなんだって。思い出してみてよ、子供の頃とか。何かで他人に褒められた事、ある?ないよね?でしょ?やっぱり。 昔からそうなんだよ。運動だって何にも出来なかったし、勉強だって頑張らないとできなかったし、頑張っても結局数学とか全然わかんなかったし、結局入ったのはその辺の私立文系大学だよ。頭が悪いの、地頭が。 勉強だけじゃないよ、とか読んだり何か意見を求められた時に内容が全然理解できなかったりさ、ゲームだって下手だったでしょ?格闘ゲームとか思い出してみ?友達と対戦して、友達だって別に上位ランカーとかでも全然ないのにすぐ対応されてさ、でもこっちは何十回、何百回対戦しても相手の効果的な対策とかひとつも思い浮かばないの

    人生何者にもなれなかった、けど
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    sds-page 2018/02/19
    器用貧乏と言うか多才だな