やべっ電子なのに同じ本2回買っちゃった 同じ出版社が同じ電書を新刊扱いで2回発売するのおかしいだろ …と思ったけどよく中身比べてみると 2021年版の電書「パルフェ2 おねロリ百合アンソロジー」には 2018年版の同書に載っている長代ルージュ先生の「でしいり!」8ページが含まれていないことが判明しました 何らかの契約トラブルかな?
電子書籍というのは、そのサービスが終了した場合、購入した書籍を閲覧する権利が無効になる。 これは是正するべき問題だろう。 これがあるから、値引き販売があったとしても大量に購入するのを躊躇する面がある。 Amazonのような存在であれば、潰れないし潰れることがあっても、引き継ぐ組織が必ず登場する。 しかし、国内企業の場合、今は潰れることなんて考えられないとしても10年後にはどのようになっているからは予想がつかない。 そして、10年後に潰れたして、引き継ぎをする組織が現れるかどうか予測がつかないところでの大量購入は、少し考えるのだよな。 心配しすぎだとは思うんだけど、大量に所有していると想定していた書籍が一瞬で御破算になったところを想像するとなあ。
本は本屋で買わないと、本屋がつぶれるっていうじゃん。 でも読みたい本全部買ってたら本棚から溢れ出るし、 一回電子書籍の便利さ経験したらもう戻れない。 でも本屋に貢献もしたい。 本屋に新刊チェックしに行って、 その場でamazonサイト開いてKindle化予定確認したりするの、ちょっと罪悪感あるんだよね。 いっそのこと、実書店をショーウィンドウみたいにして、 その場で電書購入したらその本屋に数パーセントでも利益計上される仕組みになってくれないかなー。 アフィみたいな感じで。 本屋で新刊見て、携帯かざしたら経由購入できるとか。 11/11追記。 紀伊国屋とか丸善で使いたいというよりは町の本屋で使いたいんだけどな、その仕組み。 あと、電子ペーパーでないと目がやられるから専用端末のKindlePaperwhiteからなかなか離れられんのよ。 Kindleストアの検索性はひどいもんだし実店舗の視認性
最近、部屋が本で埋まってしまうのが嫌で、電子書籍派になったのですけどね。そこで、電子書籍と紙の本で書籍のタイトルの意味合いが違ってきているなと思った。 紙の本というのは、マンガ本以外は全てのページを確認できる。小説を全て立ち読みで済ませるという人は、居るには居るのだろうけど少ないという観測的事実と、書店へ物理的に移動しないと立ち読みができないという物理的な制限から、全ページを公開していても全ページを立ち読みされて満足されるということはほぼないという判断で、全ページ公開されているのだろう。このような状況では、書籍のタイトルというのは、人に手にとってもらうための宣伝文句でしか無く、多少誇大的な表現でも許される傾向にある。例えば、「○○の全て」というタイトルの本が、実際には多少の漏れがあろうとも問題視されないし、「世界の○○」がほぼ欧米の内容であっても問題視されない。 一方、電子書籍では全ページ
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