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宗教とキリスト教と聖書に関するsds-pageのブックマーク (3)

  • 今日も返事書く書く - 続・ カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)

    [今日も聖書を読む読む] 思った事 因果応報への徹底的すぎる否定と2.「そんなときは自然を見よう!神の偉大さが分かるし、自分が神の下僕でしかないことにも気づくはず」と書いてある、いわゆる「一般啓示」。 考えてみれば、ヨブ記に限らずこの世の誰にでも理解出来ない悲しみが襲ってくる。その時、この世の中で起こってしまう事に対して、原因を探る事が生きる事なのだろうか。私は逆に、この先もどうやって生きていけば良いのかを与えられたい。事後的な考え方かもしれないが、この世でどうしても起きてしまう悲しみに対して、むしろ悲しみの中にいる人に対してこそ神が必要で、神はいてくれると考えたい。 「良い人には良い事が、悪い人には悪い事が」と言ってしまうと、むしろ最も神を求めている悲しみの中にいる人に対して「あなたに原因がある」と、逆のものを提示してしまうかもしれない。それはねじれだ。この世界で起きてしまう事に対して、

    今日も返事書く書く - 続・ カッコつけるのは、もうヤメだ。ダラダラと生存報告。(仮)
    sds-page
    sds-page 2016/08/18
    ヨブさんが最後に報われる部分、因果応報だから蛇足だって議論あるの面白いけど、報われなかったらひたすらしばき倒すだけでモズグス感半端ない
  • 『ヨブ記』 - ボヘミアの海岸線

    しかし わたしは全能者に語りたい、わたしは神に抗議したいと思うのだ。——『ヨブ記』 理不尽な神に抗う 神様はあなたたちの行いをすべて見ています、だからいい子でいるのですよ、そうすれば神様は神の国へ迎えいれてくれますという言葉が、百歳のシスター・イメルダの口癖だった。教会の幼稚園にかよっていたころ、いたずらをすると百合に囲まれたマリア像の前でひざまずき、わたしたち悪童どもは許しを乞いたものだった。 神への畏怖は教育に組みこまれていたが、五歳のわたしにとって神の千里眼への恐れや天国への憧れはあまりなく、むしろまばゆい五月の木漏れ日の下で、わたしは神の存在を信じた。こんなに美しい世界をつくれるのは、神だけではないかと。 無邪気だった。わたしの目には、血で血を洗う闘争も、緑色の目をした嫉妬も、力を欲する弱さも、愛を求める咆哮も、望んで叶わぬ痛みと悲しみも、痛みと怒りの連鎖と負債の継承も、なにも見え

    『ヨブ記』 - ボヘミアの海岸線
    sds-page
    sds-page 2015/03/27
    人は神を試してはならないが、神は人を試してもいい
  • 聖書によれば野兎は反芻し、イナゴは4本足 - 忘却からの帰還〜Intelligent Design

    忘却からの帰還〜Intelligent Design 創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など トップページページ一覧メンバー編集 聖書によれば野兎は反芻し、イナゴは4足 最終更新: transact 2014年12月06日(土) 08:47:03履歴 Tweet 関連ネタ>聖書によれば 聖書によれば野兎は反芻し、イナゴは4足 Farrell Till(1990, 1991)などが指摘するように、古来より、聖書には奇妙な生物が登場する。 反芻する「野兎」と「岩狸」 反芻する動物には、4つの胃を持つRuminantia[反芻亜目](シカ、キリン、ウシ、ヤギ、ヒツジ、カモシカなど)と3つの胃を持つTylopoda[ラクダ亜目](ラクダ、ラマなど)がある。しかし、レビ記11章及び申命記14章では、「野兎」と「岩狸」が反芻すると書かれている。 岩狸は反すうするが、

    聖書によれば野兎は反芻し、イナゴは4本足 - 忘却からの帰還〜Intelligent Design
    sds-page
    sds-page 2015/03/03
    イナゴ食べていいって言われてる割にはキリスト教圏でメジャーな食べ物じゃないな・・・
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