ブリテイル @amphibianplane クッソ気の合う友人としか会話してない生活してるせいで異論への免疫がベコベコに落ちてる感覚がある 「いちご大福好きなんですよ〜」「そうですか? 私は嫌いですね」って返されたら泡吹いて倒れて5日寝込むと思う 2021-04-05 12:44:24
ブリテイル @amphibianplane クッソ気の合う友人としか会話してない生活してるせいで異論への免疫がベコベコに落ちてる感覚がある 「いちご大福好きなんですよ〜」「そうですか? 私は嫌いですね」って返されたら泡吹いて倒れて5日寝込むと思う 2021-04-05 12:44:24
先日、私は自分のブログにこんなブログ記事を書いた。 だけど、叱られない社会をみんなが望んだ。 相互不干渉の浸透した社会のなかで他人に干渉することはますます難しく、勇気の必要な、リスクを孕んだものになっているわけだから、私たちはおいそれとは他人を叱れないし、他人に叱られにくくもなった。 ここでいう「他人に叱られにくくなった」とは、他人に叱られる頻度が低下したという意味だけでなく、他人に叱られ慣れなくなった、という意味も含んでいる。 他人から鬱陶しがられそうな言動を繰り返していても、相互不干渉がマナーになっている現代社会では、誰かが叱ったり注意したりしてくれることは少ない。 自分を叱ってくれる人、それもちゃんと心に刺さるようなかたちで叱ってくれる人は貴重な存在だ。 先日AERA.dotに掲載されていた以下の記事は、まさにそのことを思い出させる内容だった。 66歳男性が風呂場で涙… 友人もいない
ツイッターもフェイスブックも、あれもこれも、ネットコミュニティが同じ意見の連中が集まるエコーチェンバーと化し、その連中がお互いをブートストラップしあって勝手に舞い上がり、威勢良くなって、するとますます引っ込みがつかなくなって中にははた迷惑な実力行使にまで及ぶバカがたくさん沸いてくる、というのはもちろん周知のこと。 で、これを抑えるにはどうしたらいいのかってことで、みんなで注意しましょうとか、理性的に説得しましょうとかいうのは正論ながら無力なのももちろんご存じの通り。すると、「運営に言って取り締まらせろ」なんてことをみんな言うわけだが、これまたむずかしい。いきなりアカウント停止にすべきなの?ゼロトレランスとか言ってそういうのをやるところもあるけど、結局何を許すか赦さないかは、かなり恣意的にならざるを得ない。やられたほうは、なんで自分だけが、と不満に思い、またどっちサイドでもかなりの人は「あれ
2016 - 05 - 08 豊かじゃないインターネットの話 ティム・オライリーがWeb2.0を提唱してからおよそ10年以上。いつでも誰とでも繋がれる、誰でも何でも言える、表現できる。そんな夢みたいな世界がやってきたけど、なんか違う気がする。すごい違和感を感じる。ツイッターを覗けば、毎日の様に何かしら何処かしらで火事が起きている。 見ず知らずの人に石を投げる人たち、投げ返す人たち。。そこに目的は無く延々と続けられる代理戦争のような状況。相手を再起不能まで論破するか、されるか、形勢が不利になったりすれば最終的にアカウントを消すか鍵をかけてハイ終わり。気持ち悪い。どこが豊かなインターネットなのだろうか。そもそもインターネットにおける豊かさは、人間的立場・地位によらず万人が無数の選択肢から選ぶ自由があることであろう。それには、自己というブランディングを成功させ、他者から自分を認知されること、また
対機説法、という言葉がある。 kotobank.jp リンク先にあるとおり、これは「相手の精神状態や理解力にふさわしい手段で説法すること」を意味する。世の中には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるので、通り一辺倒な説法ではうまく伝わらない。相手にあわせて説法するのが上手な説法、ということになる。 これはインターネット上で説法、いや、説法に限らず色々なアウトプットをやっている人にもある程度あてはまる。 ネットの読み手や視聴者には、理解力も精神状態もさまざまな者がいるのだから、ひとつの表現だけですべての読み手をカバーすることはできない。もし、自説をできるだけ広範囲の人に届けたいなら、わかりやすいもの~難しめだが緻密な内容のものまで、相手にあわせて提供する必要がある。あるいは、twitterならtwitterのフォロワーの、ブログならブログの読者の、動画配信なら動画配信の視聴者の理解力や精神状
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