タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

心理と信仰に関するsds-pageのブックマーク (2)

  • 安全基地を持たなかった人間はどうしたらいいんだろうな

    自分を全肯定してくれる家族がいた、帰ることのできる安全基地があったから今の自分がある。 うろ覚えだけど某有名人の著書にそんなことが書かれていた。それを読んだ時私は絶望した。 その人は自他共に認める愛されキャラのコミュ強だ。大ファンという訳ではないのだけれど、以前TVで人付き合いに対して自分にはないマインド語っているのを見て以来この人の思考が知りたいとずっと思っていた。 人付き合いが苦手で慢性的な生き辛さ感じている自分が何か得られることがあるかも知れないと思ったからだ。先日その人のが出版されたと知り早速読んだ。そこにあったのが冒頭に書いた内容だ。 「ああ土台が違う」そう思った。 私の読むべきではなかった、所謂『毒親育ち』の私は安全基地なんて今も昔も持っていないのだ(当然この著者は悪くない、私のマインドの問題だ) あの眩しい明るさの根っこは無条件で愛されたという記憶なのだ。もちろんそれだけ

    安全基地を持たなかった人間はどうしたらいいんだろうな
    sds-page
    sds-page 2021/03/21
    人や場所じゃなくても「これだけは自分を裏切らない」という概念を心の中に持つ。それが信仰。正しく生きる事を信念にしてもいいし力こそが正義だと信じてもいい
  • "推し"のために生きられるオタクが羨ましい

    自分には生きがいが特に無いし、いつ死んでもいいと思っている。 仕事においては無能だし、精神が不安定だからこの先家族を持つ予定もない。ペットにも特に興味がない。 趣味はいくつかあるが、今夜死んだところで惜しく思えるほどのものでもない。 それでも(自殺か病死かはわからんが)いつか死ぬまでは生きているのだから、何か生きがいが欲しいと思っている。 時折、"推し"が生きがいだというオタクを見かける。 自分にも好きな作品やキャラクターなら山程ある。しかし、好きなキャラを"推し"にするほどの熱量はない。 かつてよく言われた"俺の嫁"みたいに「お前の推し3ヶ月で変わってんじゃねえか」ということもあるのかもしれないが、それにしたってその時の熱量は多分物なのだろう。 その対象を"推す"ことがどういう回路で生きがいに繋がっているのか理解できたわけではないが、「自分の応援がその対象の利益になっている」と思い込め

    "推し"のために生きられるオタクが羨ましい
    sds-page
    sds-page 2020/11/09
    推しとは信仰の一形態である。宗教を馬鹿にする気持ちもわかるが「いつ死んでもいいと思っている」と増田も言ってる通り信仰を持たない人間の自殺率は高いのではないだろうか
  • 1