江戸時代、日本に西洋医学を伝えたドイツ人の医師のシーボルトは、医療のかたわらで日本の植物の研究にも取り組んでいました。その研究のさなかに交わされた直筆の書簡が見つかり、研究者は日本の植物学の原点を記した貴重な資料だと話しています。 今回見つかった書簡は、千葉市美浜区にある神田外語大学が保管していたシーボルトの資料の間に挟まれていて、別の文書の筆跡との比較などからシーボルトの直筆と確認されました。 書かれたのは文政11年、西暦1828年で、植物研究の協力者だった日本人の教え子、賀来佐之にオランダ語で「日本の植物の目録をどうか努めて完成させてほしい」と強く呼びかけています。 当時、シーボルトは滞在期間の終わりが迫っていて、書簡の文末では「私の仕事を終える前に出発しないように」と弟子に長崎にとどまるよう求め、帰国までに研究をやりとげようとした強い執念がうかがえます。 その後、シーボルトは1600