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考え方とインターネットに関するsds-pageのブックマーク (8)

  • 「味噌汁にパン浸す」否定され公開説教 土井善晴が一般ユーザーに「イエローカード」出した理由(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース

    お茶の間でお馴染みの料理研究家、土井善晴さん(64)が、味噌汁にパンを浸した写真をツイッターに投稿したところ、その取り合わせが嫌かもしれないとのリプライが来た。 【写真】「味噌汁にパン」の写真を投稿すると… 土井さんは、このリプライを取り上げ、「イエローカード」に値すると説いて、ネットで注目を集めている。 ■「べてみると意外とイケるんですよね」と支持もあったが... 「ごぼう こんぶ おみず おきなわのおみそ このまえ炊いたプルーンのジャムあったけど グリルで焼いたバタートースト こないしてべるのが好きかな ごぼうの香りがいいわ」 土井さんは2021年9月15日、こんな紹介をして、洋のパンやジャムのほか、和の味噌汁も並べた写真などを投稿した。その中には、トーストを味噌汁に浸す様子を収めた一枚もあった。 このツイートには、「バターが味噌に溶け込んでマイルドになりそう」「べてみると意

    「味噌汁にパン浸す」否定され公開説教 土井善晴が一般ユーザーに「イエローカード」出した理由(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
    sds-page
    sds-page 2021/09/16
    バズったツイートにぶら下がってるクソリプ見てうっとうしいなと思うでしょ?そういう事
  • いまどきのインターネットは文脈文盲状態が当たり前 - シロクマの屑籠

    1000リツイートを越えるとtwitterの闇が迫ってくる - シロクマの屑籠 上記リンク先の続きとして、いまどきのインターネットでは文脈が読み取りにくいことについて記しておく。 かつてのインターネット、ネットサーフィンするインターネットには文脈があった。それぞれのウェブサイトの構造がツリー状であったこと、ハイパーリンクをとおして他のウェブサイトへと繋がりあっていたおかげで、その書き手・その文章がどういう文脈に位置づけられているのかがハイパーリンクの次元で明らかになっていた。ネットサーフィンという行為、リンク集を辿る行為が、そのまま書き手の文脈を理解する助けになっていた。 ところがいまどきのインターネットは違う。ブログは記事単位で読まれ、グーグル検索などをとおして流入する人々の大半は書き手の文脈など調べるまでもなく、検索文字列と一致した情報の断片だけ持ち帰ろうとする。 このブログのトラフィ

    いまどきのインターネットは文脈文盲状態が当たり前 - シロクマの屑籠
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    sds-page 2019/09/25
    浮かんでは消える奇妙な泡。ぼくは自動的だからね
  • インターネットではかつて、“普通の人”の日常の話が読めた - マイルドヤンキーにさよならを

    先日書いたこちらの記事の補足です。 nectaris.hatenablog.com どうにも誤解されている感じなので書いておきますけれども、自分が、そういう風に自分の話を書けなくなって嘆いているのではなく、どこか、知らない誰かが、自分の日常の些細な、けれどもどこにも日常では吐き出すことのできないそういうシコリや思いのかけらが、放流されていたのがかつてのインターネットで、そして、そういうインターネットを僕は愛していて、そしてそのようなインターネットがなくなってしまったことを嘆いているのです。 自分の経験の話をします。 かつて、自分の好きなサイトがありました。そのサイトは、70代の方が運営していたブログで、毎日のちょっとした思ったこと、感じたことを日記にして書いているブログでした。特に落ちもなく、他人に見せるための書き方の文章でもなかったので、日々の記憶のメモだったのでしょう。そこで書かれてい

    インターネットではかつて、“普通の人”の日常の話が読めた - マイルドヤンキーにさよならを
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    sds-page 2016/12/12
    生暖かく見守るヲチ文化よりのりこめー文化の方が優勢になってしまった。しかも正論だから反論できないという
  • 正義の人たちがインターネットを殺した - マイルドヤンキーにさよならを

    こことは別に、自分の日常を描いた日記があったのですが、消しました。 1999から、いろんなサイトを作っては消してきました。 いろんなところで書いては捨てとしていた文章です。おもに日記であったり、自分の周りで起きた出来事について、思ったことや感じたことをオチもなくつづった文章です。 特に見て楽しいものもないけれども、生きてきた記憶として。 昔は、一日の辛いこと、人生で考えること、どうしようもなくなった憤りや苦痛を、全部文章に書き起こして、それを外部化していたのだけれども、最近、それがうまくいかなくなっていて。 それは自分が昔に比べて物を考えなくなったのもあるだろうし、インターネットが変わってしまって、自分の考えや、気持をうまく表現する場ではなくなり、自分のことよりも、みんながみていて、役に立つことや、考えのヒントを各場所になってしまったからだろうと思う。 自分のブログは、自分のブログではなく

    正義の人たちがインターネットを殺した - マイルドヤンキーにさよならを
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    sds-page 2016/12/12
    Twitterが流行り始めたあたりからインターネットがフラットになりすぎたように感じる。昔はもっと文化圏ごとの垣根とか紳士協定みたいなものがあった
  • 「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 - いつか電池がきれるまで

    ブログなんてものを書かずにはいられない僕という人間は、北条かやさんと、五十歩百歩だよなあ、なんてことを考えてしまう。 しかも、彼女の場合は収入につながっているのだが、僕の場合は、ほとんどお金にもならない。 ある意味、よりいっそう病んでいる、ともいえる。 そういえば、一昔前(十数年前くらい)のインターネットには「閉鎖芸」みたいなものが蔓延していた。 ちょっとイヤなことがあると「閉鎖します」と宣言して、閉鎖・移転を繰り返すサイトが少なからずあったし、それに対して、取り巻きたちが「閉鎖なんて悲しいです!」とコメント欄に書き込む。 そのコール&レスポンスには、様式美のようなものがあった。 4月1日のネタとして、「閉鎖します」をやる人がいなくなってから、もう何年経つのだろうか。 サイトやブログにとっての「閉鎖」というのはプチ自殺みたいなもので、自分の葬式に参列できないことの代用なのかもしれない。 し

    「人の気持ちがわかる」と自信を持って言い切る人は、こわい。 - いつか電池がきれるまで
    sds-page
    sds-page 2016/04/20
    ヒラコーが閉鎖芸の使い手だったな。今は鍵垢で楽しくやってるんだっけ
  • インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠

    これに類することは沢山の人が書いているし、私だって書いていそうだけれども、反復的になったって構わないから書いておく。 たぶん、昔インターネットをはじめた人が考えていた自由とは、「自分の表現したい事を、誰にも文句を言われることなく表現できる」自由だったのだと思う。少なくとも私がネットサーフィンしていて感じたのは、それだった。あとは「表現されているものを誰にも文句を言われることなく閲覧する自由」。世間に対する呪詛も、いかがわしいエロも、書いたって構わないし眺めたって構わない――「インターネットは自由だ」と言った時に多くのユーザーが無意識のうちに含意していたのは、表現するにせよ、閲覧するにせよ、そういった「誰にも文句を言われることがない」という修飾語のついた自由だった。イコールではないけれども「無責任」というレトリックにも近かったかもしれない。 現在もインターネットには表現の自由がある、と思う。

    インターネットの自由と世間様 - シロクマの屑籠
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    sds-page 2016/03/29
    Twitterは特に厳しいイメージ。LINEとかmixiとかで閉じた中なら割とのびのびやってるんじゃないかな
  • なぜ一般人はネット史を捏造するのか - 夏男ノート

    以前嘘のテキストサイト史を喧伝していたヨッピーが、また同じことを繰り返している。 とりあえずおかしな箇所を指摘しよう。 前述したYahoo!BBによるインターネットの普及率の底上げが何をもたらしたかと言うと、 荒っぽく言えばインターネットが「オタクのオモチャ」から「一般人のたしなみ」に変化した事だと僕は思う。 それまでのネットと言えば何事にもこだわる、マニアックで専門的で少し気難しいオタク層が主流を占めていた記憶があるのですが、インターネットの普及によってなだれ込んできた「一般人」がすごい勢いで幅をきかせはじめた。 2003年のYahooBBのモデム無料配布によるネットの普及がユーザーの一般化を後押ししたかのように 述べているが、これは明らかに嘘。 私が自分のPCを買ってネットを始めたのは98年だったが、当時はヤフー掲示板をよく見ていた。 野球やJリーグ、芸能人のゴシップなどのカテゴリが盛

    なぜ一般人はネット史を捏造するのか - 夏男ノート
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    sds-page 2015/09/10
    Windows95の頃からの新参なんでパソ通時代を知ってる人に頭が上がりませんわ
  • 変化しないという勇気

    最近、大事だなと思うのが、変化しない勇気です。 僕には、バーグハンバーグバーグの社長のシモダくんという友達がいます。おもしろい広告のページを作れる、という非常にオリジナリティがあり、かつ才能にあふれた人なのですが、彼のいってたことが非常に印象にのこっています。 それは「3年間同じスタイルでやる」ということでした。彼いわく 「バーグハンバーグバーグのコンテンツは、1年目は、インターネットの玄人からおもしろいと言われると思う。ただし、2年目は、いつも同じようなコンテンツで飽きた、と言われるはずだ。ここで、クリエーターとしては、新しい、尖ったことをやりたいと思ってしまうのだけど、ここでスタイルを崩してはいけない。3年目になってきてから、ようやく普通の人たちが、おもしろさに気づいてくれる。2年目はつらいかもしれないけど、そこでやり続けることが重要だ。」 とのこと。 これは結構すごいなと思って。地獄

    変化しないという勇気
    sds-page
    sds-page 2015/03/02
    「語尾に勇気を付けるとなんでも恰好良くなる」というクソリプを敢えて書きこむ勇気!
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