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ハフポストでの、髙崎順子さんとひろゆきさんの対談コラムの炎上が続いている中、後編がUPされました。 これを読み、「前編よりもずっと良い」と言う人もいましたが、わたしは相変わらず前編の何が一体ダメなのか、さっぱりわかりません。だって、ひろゆきさんは質問に対して個人の意見を述べているだけですよね。むしろ、後編はやたら注釈が多く、ハフポスト編集部からもナゾの謝罪文があり、フェミニストの逆鱗に触れないよう、気を遣って慎重に慎重に書かれていて気色悪く感じました。 (よろしければ、わたしの前編ついての感想 と オマケも併せてお読みください) フェミニズムへの思いを専門外の人が気軽に語ると、フェミニストに怒られる。 そしてメディアもそれに忖度する。 これでは、フェミニズムへの理解が深まらないのも当然です。 わたしはフェミニストの一人として、非常に情けなく思います。 怒って批判するにとどまらず、『一般の皆
ネットを漫然と見ていると、上野千鶴子・東京大学名教授の東大入学式祝辞の話題が流れてきた。というか、なにか話題らしいという様子が伺われた。すでに喧々諤々といった雰囲気も感じられた。こういうときは、原文を読んでみるに限る。ということで、該当の祝辞を読んでみた。 読んでみて思ったことは、論点としては私の関心を引く部分はなかった。ということが、まず最初の違和感だった。なんでこんな話が話題なのか?という違和感である。上野千鶴子さんらが言いそうなことが書いてあっただけに思えた。 一点、これは違うなということもあった。 そういうわけで、自分の関心事ではないので、それはそういうものかというふうに過ごしていたのだが、しばらくすると違和感は大きくなっていった。そしてその違和感はネットで共有される視点とも違うように思えたので、ブログのネタに書いてみる。 「これ東大生の印象と違うなあ」ということ 上野千鶴子さんの
フェミニストとしてトランス差別・排除に反対します。それについて以下で述べます。 ここでいう「トランス」とは、「性別を越境する」ことを指します。私たちの社会では、性別は「男性」と「女性」に分けられています。近年は「性同一性障害(GID)」という言葉もよく知られるようになり、「男性に産まれたが、女性として生きたい人」「女性として産まれたが、男性として生きたい人」の存在が可視化されました。そのような人たちに対して、(まだ多くの課題が残っているものの)性別移行手術や戸籍変更も認められることが増えました。こうした人たちは、「男性」と「女性」の性別を越境します。 性別の越境の仕方はそれだけではありません。たとえば、服装だけを変える「異性装」によって性別を越境する人もいます。また、アイデンティティについても、何度も「男性」と「女性」の間で性別を行ったり来たりする人もいます。「男性」と「女性」という二分の
いまツイッターで起こっていること 先日、ネットに投稿された「ツイッターのせいで高校からの友達が死んだ」という記事をご存知でしょうか。投稿者の友人であるトランス女性(生まれた時に割り当てられた性別は男性であったが、性別違和を感じ、女性として生きる人)が、2018年7月2日に発表されたお茶の水女子大学のトランス女性の入学受け入れをきっかけに、悪意あるツイートを向けられるようになり、その結果、自死されてしまったという内容です。 記事は匿名のものであり、真偽の程は確かめようがありません。けれど、私は、電車の中でこの記事を読みながら、涙を止めることができませんでした。記事の中の彼女のために、彼女と同じ苦しみにさらされているたくさんのトランス女性のために、そして、何もできていない自分の不甲斐なさが悔しくて申し訳なくて、泣きました。彼女の死は予測されるものでもあったのです。現在の、トランス差別があふれる
キズナアイ騒動から1か月が過ぎた。その間ずっと見ていたけれど最終的に主要メンバーが「オタクモドキを許さない」に集結するという茶番が発生したことで完全にオチがついたように思う。私はこの1か月間、ちまちまと本を読みながらフェミニズムについて勉強しながらネットの様子を見てきたが、1か月見続けて、これはフェミニズムや社会学の問題という以上に「最近の男オタクを嫌悪するオタク」の問題なのだなと感じるようになった。*1 「おまえは人間になれない...。おまえは、なまはげにもなれなかった......元の飼い主の史代さんを襲った時、猿であることもやめた.........。なまはげでもない、猿でもない...おまえはそこでかわいてゆけ」 (「うしおととら」4巻) そして、見事にそれを象徴する茶番で締めくくられたと自分の中では結論付ける。 「オタクモドキを許さない」「オタクモドキを許すな」の提唱者である絹谷たぬき
国連「UNウィメン」親善大使の女優、エマ・ワトソンさん。『ヴァニティ・フェア』誌の撮影でセクシーな服を着た彼女を「悪いフェミニスト、偽善者」と批判する声に対して「フェミニズムの本質は、女性に選択肢を与えること」と反論しました 。そう、着たい服を着ればいいのです。 「女らしさ」の押し付けに憤る人たちが、女性の権利について勇敢に語る女性に、紋切り型の「フェミニストらしさ」を押し付けてしまうのは、残念な事です。 ところで、男性はどうでしょうか。デパートのメンズ服売り場に行けばわかりますが、彼らは女性よりもはるかに選択肢が少ないですよね。女性はスカートもパンツも穿けますが、男性がスカートを穿くと「女装」と言われます。 男性にも、いろんな服を着たいと思う人はいるでしょう。なのに、「男なら、スカートを穿きたくないはずだ。穿きたいと思うのは、”普通”じゃない」と言われてしまうのです。 エマ・ワトソンさん
さすが多摩湖♡ナルコレプシー @tamako_han いや、あの、そもそもリプロダクティブヘルスについてが私の畑(?)でありましてな。リプロダクティブヘルス/ライツはフェミニズムと切っても切り離せないものでしてな、そして表現規制もフェミニズムとは切り離せないものなのだよ。オタクを安心させる前提でやっているわけではないよ。 2016-02-05 10:44:23 まとめ 緊急避妊薬ノルレボの市販薬化運動について 簡略版 ノルレボは緊急避妊薬として認可されています。 黄体ホルモンだけなので中容量×4のヤッペ法より副作用が相対的に少なくすみます。 日本での薬価は¥15,000以上しますが、欧米では1/10の値段で薬局で買えます。 29374 pv 281 4 users 28 さすが多摩湖♡ナルコレプシー @tamako_han 何故かオタクを懐柔するルリ子と多摩湖になってるけど、私はオタクでは
近年、BLややおいに関してはジェンダーに関心の高い層に支持され、盛んに考察されるようになりました。やおい少女漫画やBL漫画・小説というジャンルは、昔から男性ファンよりも女性ファン(いわゆる腐女子)の方が多い現状があります。それらのジャンルは時にゲイ男性らから「ゲイ男性に対する差別的な視点が含まれているのでは?」と指摘を受けることもありますが、他方で、BLを支持するゲイ男性らも存在し、BL・やおいへの欲望に関して、様々な視点から議論がされているようです。 一方で百合、とりわけヘテロセクシャル男性に支持される百合やレズものに関しては、「女性の身体を性的に消費しているからよろしくない。以上。」とでもいうかのように、手厳しいフェミニストが未だに多い印象を受けます。 レズビアンフォビアとは何か 百合作品の、ヘテロセクシュアル男性読者・視聴者に向けた女性キャラクターのサービスシーン(お色気シーン)に対
タイトルは、丸山眞男が「〔竹内〕好さんとのつきあい」という文章のなかで紹介している内村鑑三の言葉である。 これを丸山は「みごとなコスモポリタニズムだ」と言ってるのだが、私も本当にその通りだと思う。 要するに、日本人はしばしば「島国根性」を発揮して、「人類」というものをどこかよそよそしい、抽象的なものだと考えてしまう。 日本人には実感や内輪の論理によって支配される仲間内の世界と、外国や外国人と付き合うときに現れる外側の世界とがあって、後者の世界に立つときにだけ「人類」という観念が現れる。 そのため、「人類愛」を唱えるのと同じ人間が、自分の家庭では亭主関白であったりする。 しかし、本来、人類愛というのはそういう「内と外」を区別しない思想であり、別の言い方をすれば「自分がいま立っているここがとりもなおさず世界なんだ」という思想なのだ、と。 「人類ってのは隣りの熊さん八っつぁんのことをいうのだ」と
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