写真提供:折橋大貴 新型コロナウイルス(以下、「新型コロナ」)の感染が拡大していた2021年1月、福岡のある飲食店が、食事中の会話を控える「黙食」を勧めるポスターを作成・配布したことが話題となりました。それ以降、様々なお店で黙食を勧める掲示が増えてきています。 ところで、この黙食という概念、実は仏教には古くからあったということをご存知でしょうか? 禅宗、特に曹洞宗の修行道場では、坐禅堂・風呂・トイレで余計な言葉を発してはいけないという規律があり、それが坐禅堂で行う食事にも当てはまるため、必然的に黙って食事=黙食となっているのです。 そんな曹洞宗の黙食について、話題の黙食ポスターと絡めたコラムを執筆したお坊さんがいます。神奈川県にある曹洞宗・養食山常泉寺の副住職であり、フレンチの料理人でもある折橋大貴さん(32歳)です。 今回は折橋さんに、古くからある黙食とは一体どのようなものなのか、そして
一週間から十日後の死 父が心筋梗塞になり、救急車で運ばれた。 ICUで鎮静剤を注入され、数日間意識を失っていた。 検査によって腎臓にも問題があることがわかった。 父には持病があるが、あらゆる病院に行き、あらゆる病院とトラブルを起こすような人間であった。 医師というものを嫌悪し、見下し、薬というものを嫌った。 いわゆる迷惑老人というものだろう。 やがて行くことのできる病院がなくなった。 そんな人間だけに、常日頃「延命措置などしない」と言っていた。 が、意識が戻り、「人工透析をしなければ一週間から十日で死ぬ」ということを医師から伝えられると、「それでは仕方ない。お願いします」と言ったということだ。 それを伝え聞いたおれは、「やっぱり人間というものは弱いものだな」と思った。 あるていど健康に生きているときに、「延命措置なんて不要だ」、「ぽっくり死んでやる」と思っていても、具体的に一週間から十日で
本記事は、浄土宗・月仲山称名寺の稲田 瑞規(いなだ みずき)さんよりご寄稿をいただきました。彼岸寺のコンテンツ「 お寺の未来 」の記事に刺激を受け、書かれたものとなっております。若いお坊さんの問題提起を、多くの方に共有していただければと思います。それでは皆さま、どうぞご一読くださいませ。 ------------ 未来の話。もし仏教を学ぶ人工知能が誕生したら、仏教は、僧侶は、いったいどうなってしまうのだろうか。 未来といってもそう遠い未来の話ではない。近年、人工知能の技術は目まぐるしいほどに発展している。例えば、人工知能(AI)が映画の脚本を製作したり、人工知能が大喜利をするようになったり。 ※参考記事 「AIが脚本を書く時代、「クリエイティビティ」はいつまで人間の特権か」 「【世界初】大喜利ができる人工知能の開発者に会ってきた」 これらの人工知能のテクノロジーに共通するのが、インプット
無宗教な自分が辛い タイトルは無宗教を嘆いているが、前半パートは「自分が死んでしまった後、自分自身の有意味性が確認できなくなる不安」が優勢に感じられた。 しばしば宗教は、「死後の世界」や「輪廻転生」を説く。あるいは教理に含む。だから、死後の問題や死への恐れを和らげる“手段”として宗教を求めるのはわかるような気がするし、間違ってもいないのだろう。 でも、宗教に片足 or 両足を突っ込んでいるからといって、「死後の世界」「輪廻転生」「西方浄土」を信じられるものだろうか? 例えば私は仏教を信奉しているつもりだし、浄土真宗に親しんで育ったほうだとも思う。じゃあ、私が西方浄土を信じているかというと、そんなに信じていない。「もし、信じざるを得ない境遇に追い詰められたら」すがりつくつもりでいるけれども、普段は意識していない。輪廻についても同じ。そういう考え方があるのは知っているけれども、じゃあ、本腰を入
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