「主語がでかい」というtwitterでよく見る意見。「主語がでかい」のではなく、「述語が粗い」と言ったほうがいいと思っている。哲学だと「世界は」とか「存在は」とか最大級の主語を立てる代わりに、述語をいかに精確に論ずるかを試みて知を発展させてきた。主語の撤退ではなく、述語の洗練を。
「命より大事なものがある」というのは危険なイデオロギーなんでやばいというのが20世紀の哲学の基本的な論調だったんだけど、21世紀の哲学は「命より大事なものはない」というイデオロギーも同じくらいヤバイぞというのを言語化してかないといけないんじゃないかな。最近そんなことを考えてます。
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