阿部定事件(あべさだじけん)は、仲居であった阿部定が1936年(昭和11年)5月18日に東京市荒川区尾久の待合で、愛人の男性を絞殺し、局部を切り取った事件。「お定事件」とも。 犯行後、阿部定は行方をくらますが、事件の猟奇性ゆえに当時の庶民の興味を強く惹き、逮捕された際には号外が出された。また、本事件を題材にした小説、映画なども多く作られている。 犯人[編集] 阿部 定(あべ さだ、1905年(明治38年)5月28日生まれ)。東京市神田区新銀町(現在の東京都千代田区神田多町)出身。 概要[編集] 事件まで[編集] 芸者や娼婦などをしながら各地を転々としていた阿部定は、名古屋の小料理屋で働いていた1935年4月頃、客で来た大宮五郎と交際するようになった。初めは実名や身分を隠していたが、中京商業学校の校長で名古屋市会議員であった。大宮は定のことを真面目に考えており、将来はおでん屋のような小料理店