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ぼくたちの来た道に関するsuganokeiのブックマーク (5)

  • 幕末から敗戦までざっと俯瞰 - 過疎の山里・春野町で暮らす

    このままじゃ日は列強の植民地になってしまう。隣の清国のように。いまの幕府じゃダメだ。「尊王攘夷」(天皇を中核として、異国を撃退する)を旗頭に、幕府をやっつけよう。さいわい、それが国学以来のブームとなって、水戸学、長州などから盛り上がってきた。 ひとつ小異を捨てて大同につこう。薩長が連合して、岩倉たちは宮中も巻き込んで「官軍」となって幕府をやっけた。しかし旗頭の「尊王」はいいが「攘夷」はこまる。日は近代化しないと、列強に負けてしまう。それは火を見るよりも明らか。 ----------------- 内実は「尊王開国」にしたい。ところが、孝明天皇は頑固な「攘夷思想」。これは困る。もっと操りやすい人物を天皇に据えて、天皇の権威によって国が治まるようにしたい。孝明天皇はなぜか急死された。 幕府に替わる「権威」は天皇しかない。新しい天皇(明治天皇)をもってきて、その方を神様に祭り上げよう。そして

    幕末から敗戦までざっと俯瞰 - 過疎の山里・春野町で暮らす
    suganokei
    suganokei 2019/05/15
    駆け足日本の近代史。よくまとまってます。日本の今を考えるためにも、ぜひ。
  • 織田信長の家来となった黒人奴隷(弥助)と本能寺の変 | ゆかしき世界

    はじめの一言 *江戸城で将軍(徳川家定)に会った時の感想 「想像されうるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイヤモンドをちりばめた刀もなかった。私の服装の方が彼のものよりも高価だったといっても過言ではない。 (ハリス 幕末)」 (逝きし日の面影 平凡社) 日人では身分が高い人でも質素であった。 このハリスというアメリカ人は、日史で習う重要人物だから覚えておこう。 ハリス 日の江戸時代後期に訪日し、日米修好通商条約を締結したことで知られる。 ハリス(ウィキペディア) 今回の内容 ・世界で一番「幸せな」黒人奴隷・弥助 ・能寺の変と弥助 ・世界で一番「幸せな」黒人奴隷・弥助 生まれて初めて黒人を見た織田信長は思った。 「肌の色が黒いのは、からだに墨(すみ)をぬっているからだろう」 そう思った信長は、その黒人のからだを洗わせる。

    織田信長の家来となった黒人奴隷(弥助)と本能寺の変 | ゆかしき世界
    suganokei
    suganokei 2018/02/16
    織田信長が、黒人を武士としてそばに置いていたとは、初めて知りました。
  • 「美化されすぎた明治維新」~明治維新以後150年の歴史が大きな節目を迎えている~ | 山本正樹 オフィシャルブログ

    戦後の国民作家である司馬遼太郎氏が創り上げた<明治維新の夢>から目を覚ます時を日人は迎えている。(もっとも十代、二十代、小生もその夢を事実だと思っていたのだが、)元スタンフォード大学の西 悦夫氏が「誰も知らない明治維新の真実」という講演で明治維新の真実を暴露したり、原田伊織氏の「明治維新の過ち~日を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~」というが出版され、結構売れているのもおそらく、そんな時代の大きな変化の現れである。 そう言えば小栗上野介忠順の甥である蜷川 新氏の「維新正観」という名著も年、再刊されたようである。知ろうと思えば、当の事を知ることのできる環境が整ってきたということであろう。まだ、一方でNHK大河ドラマ「花燃ゆ」のような明治維新勝利者側の官製プロパガンダドラマも相変わらず放映されているが、間違いなく日の長い歴史から考えても現在、日は大きな節目を迎えていると考えていい

    「美化されすぎた明治維新」~明治維新以後150年の歴史が大きな節目を迎えている~ | 山本正樹 オフィシャルブログ
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    suganokei
    suganokei 2016/12/27
    サイケデリクスの歴史と意義。
  • 世界一の火葬大国ニッポン、カブトムシも荼毘に

    戸田葬祭場のペット火葬炉。空間は明るく、あまり悲壮感は感じられない。天使の乗った台座に遺体を乗せて最後のお別れをすると、台座が下に降りて火葬される。 江戸時代から続く、火葬場の歴史 火葬場にはなぜ、公営と民間の2つの種類があるのだろう。 全国にある火葬場の大半は、公営である。だが、東京23区に限っては9カ所の火葬場のうち、民間の東京博善が運営する施設が6つを占めている。その理由を知るには、火葬場の歴史をひもとかねばならない。 火葬が庶民の間にまで普及し始めたのは江戸期だと言われている。江戸幕府の政策である檀家制度の下、ムラで死者が出れば、近くの寺の境内で火葬を実施することが多かった。そうした寺は「火葬寺」「火屋」などと呼ばれた。つまり、当時は寺院が、葬式、火葬、埋葬(墓)をワンストップで担っていたのである。 ところが明治に入ると、神道と仏教を切り分ける、いわゆる神仏判然(分離)体制が敷かれ

    世界一の火葬大国ニッポン、カブトムシも荼毘に
    suganokei
    suganokei 2016/11/01
    明治に入っての火葬禁止、それにともない寺院が火葬場の機能を失い墓地運営に移行など、興味深い話題あり。
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