永らくこちら、はてなのサービスで運用していた「*魂の次元*」ですが、hugo生成の静的サイトとして再出発することになりました。 こちらのはてなサイトは、 https://dimofsoul.hatenablog.com/ として残しておきますが、今後の更新はいたしません。 新サイト http://dimofsoul.mitona.org/ をよろしくお願いしまーす。
1月1日に起こった能登半島地震の影響はいまも続いている。 2月には、被害が大きかった石川県珠洲市でボランティアの人手不足が起こっていると報道された。3月には、ボランティア不足を解消するため、石川県輪島市の団体が全国の大学教授と協力して学生を受け入れる取り組みを始めた。 震災発生の当初、石川県は「受け入れ態勢が整っていない」として、ボランティアが個別に来ることは控えるよう呼びかけた。馳浩県知事も、1月5日の時点で「能登への不要不急の移動はくれぐれも控えてください」と自身のX(旧Twitter)アカウントに投稿している。被災地での本格的な受け入れが始まったのは、1月27日からだ。 現在のボランティア不足の背景には、SNSを中心に巻き起こった「ボランティア・バッシング」も影響しているだろう。災害当初から、SNSではボランティアが被災地に行くことを批判する声が広がっていた。 今回の地震では被災地の
西洋スポーツが、暴力性を排除する形で発展してきたのに対し、なぜ日本の学校の体育部活動では、スポーツ選手は理不尽な体罰や暴力的支配を受容して、部活動に順応し続けるのだろうか。本稿の目的は、ブルデュ―の理論と方法を用いて、日本の体育会系ハビトゥスの特徴を、大学生への混合的手法による調査により明らかにすることである。得られた知見は、以下のとおりである。 自分を体育会系だとアイデンティティ自認する大学生は、全体の41.6%で学生の中の一つの大きなカテゴリーである。体育会系ハビトゥスの特徴は、性役割分業の肯定、勝利至上主義、権威主義への賛成傾向、伝統主義と地位の上昇志向である。 体育部活動経験者の多くが、指導者やシニアメンバーから体罰や過度の制裁をうけて、連帯責任で「理不尽な」経験をする。彼らは体育部活の1年目に「理不尽さ」を多く経験し、それを受容することで、権威に従属するハビトゥスを学習する。しか
ベンゾジアゼピンは抗不安薬や睡眠薬として処方されてきた歴史がある。年配の精神科医はベンゾジアゼピンの処方経験の多さと副作用で困った経験が稀なためか、ベンゾジアゼピン処方に対し若い精神科医より抵抗がない。 ここで言う若い精神科医とは40歳代以下くらいであろうか? 近年は不安障害に対し、安易にベンゾジアゼピンは処方しない方針で治療が行われることが多い。ベンゾジアゼピンではなく、SSRIが主流になっているからである。 このブログでは、不安障害に対してベンゾジアゼピンを全面的に否定しないポジションで記載している。僕があまりベンゾジアゼピンを不安障害に使いたくないのは、次第に処方錠数が多くなりかねないという気持ち的な部分が大きい。処方はシンプルな方が良い。また全面的に否定しない別の理由として、日本人はSSRIを副作用的に服薬できない人が少なからずいることも関係している。 また、SSRIは服用し続けて
明和5年(1768)に面山瑞方和尚(1683~1769)が著した「桃水和尚伝賛」によると、桃水和尚は、60代の半ばに、「放下著(ほうけじゃく)」に代表される”無所有の境地”を実践すべく乞食(こじき)の群れに身を投じている。宮崎 安右衛門氏が著した大正10年1月初版、昭和33年(1958)最終版の「野聖桃水和尚」の序文には、(.)釈迦もキリストも乞食した。真の出家者は乞食する。その辺の路傍で通行人から物や金銭を貰う乞食は、乞食の部類に入らない。(.)真の乞食は精神的な糧を与えるものだ。釈迦やキリストによって救われた人々が心から感激して財や物を捧げる。(.)それを受けてゆく。それが真の乞食だという。今日の僧はどうか。仏心より欲心のほうが盛んである。(.)宗教への関心より経済運動に熱心である。世間でもこうした俗僧を問題にしてはいない。むしろ軽蔑している。(.)桃水和尚が360年前に桃水が常に疑問
東京都小金井市の東京学芸大学こども未来研究所内に、『変人類学研究所』が設けられている。この研究所は、「誰もが保持する生得的で個別の潜在能力・創造力を維持し、伸ばすための方法を模索するための、実践型の研究機関」である。 変人類学研究所が定義する変人学とは 「変人学」とは、以下の通りである。 1.「変」という語に集約されてきたような異常性やマージナリティ(境界性)、マイノリティの持つ特異な視点が、社会・文化空間においてどのように扱われてきたのかを研究することにより、インクルーシブ教育(包摂する教育)に向けた基礎研究を促進する。 2.周縁化されたこども達の独自の能力の源泉や、その維持力・拡張力のメカニズムを明らかにし、急激に変動する現代社会に適合的な、次世代のクリエイティブ教育(=変人教育)の構築を目指す。 偉人と変人は紙一重だがその後の人生は大きく異なる 一般に「変人」「変わり者」というと、ど
桃水雲渓 ~乞食として生きた禅僧~ 江戸初期の時代に、桃水雲渓(とうすい・うんけい)という禅僧がいた。 現在の福岡県に生まれた人物で、子どもの頃に出家し、20歳を過ぎた頃から諸国を行脚するようになり、多くの禅師に歴参した禅僧である。 桃水はいくつかの寺院の住職を勤めたのだが、島原の禅林寺での勤めを最後に出奔して乞食に身を投じ、以後寺院での僧侶としての生活には戻らなかった。 晩年を乞食として生きることに志したのである。 そのような人生を指して、世間の人々は後に桃水のことを「乞食桃水」と呼ぶようになった。 畑に肥をまく 桃水にまつわる逸話は、やはり乞食になってからのものが多いが、それ以前の話もある。 たとえば桃水が熊本の流長院で修行をしていたときのこと、ある日桃水は肥たごを担いで畑に肥をまいていた。 すると、その姿を見た住職が桃水に声をかけた。 「これ、桃水。清浄であるべき僧侶が、そのような汚
前回天人社の鎌田敬止については名前を挙げるだけにとどまってしまったが、彼もずっとプロフィルがつかめない人物で、それがようやく判明したのはまったく偶然ながら、矢川澄子の『野溝七生子というひと』(晶文社)を読んだことによっている。何と鎌田は野溝の共同生活者で、矢川の著書には野溝のみならず、鎌田の写真も掲載され、また巻末には「野溝七生子・鎌田敬止付略年譜」まで添えられていたのである。 野溝はすでに矢川の「解説」を付した『野溝七生子作品集』(立風書房、昭和五十八年)が編まれ、その特異な夢幻的世界は再発見されるに至っていたが、鎌田はここで初めて編集者、出版者としての軌跡が明らかになったといえよう。ただ間違いもあるし、天人社に関しての言及もないのだが、昭和三年に野溝が『女人芸術』に参加し、この頃鎌田と相識るとの記述を見ると、前回の中本たか子も『女人芸術』に小説を寄せていたことからすれば、中本の『朝の無
kkcの情報って検索しても結構少ない。やっぱ使ってる人少ないのかなぁ? NTEmacsを使う場合、特に NTEmacsと linux上の emacsも使う様な人は 日本語FEPに kkcの採用を検討する価値はある。 Wnn、Canna、SKK、ATOKなど FEPに対して拘りのある人はともかく(?) MS-IMEで満足できるなら kkcでも問題ないと思う。 確かにバカ(失礼、シンプルな…)な FEPだけど、なんと言っても emacs標準搭載。 Windowsだろうが、linuxだろうが、Mac(多分同じ…触った事ないけど)でも、別途何かをインストールする必要もなく、使い方も同じである。 日本語入力への切替 ・C-\ を押す度に ON/OFする。 ・漢字変換は MS-IMEに近い。ひらがな(ローマ字)入力 →スペースで変換。 例えば「歯科医」を変換してみる。 C-\ 「しかい」SPACE →
記事の内容 この記事では、『因果推論の科学』という本の内容を紹介する。 本のエッセンスをできるだけ抽出したい。 なぜ、データだけで因果は分からないのか なぜ、因果を表現するモデルが必要なのか 因果を表す数式の導入という革命の凄さ 因果と確率の違い これらが気になる人には、ぴったりな本になっている。 因果という概念をめぐる科学と哲学の挑戦と混乱を本書は整理してくれる。 とくに、因果を3段階に分けて整理してくれるのはとても分かりやすい。因果と確率の違いが分かるはずだ。 それでは、目次をどうぞ 記事の内容 データ、因果モデル、do演算子 因果のはしご 1 関連付け Xを見たら何がわかるか? 2 介入 Xをすればどうなるか? 3 反事実 もしこうしていたら、どうなったか?なぜ? 確率という概念は、因果を扱えない ベイジアンネットワークの真価と限界 パターン1 チェーン パターン2 フォーク パター
ロシアのプーチン政権をロシア・ウクライナ戦争へ駆り立てたナショナリズムの思想はどのようなものなのでしょうか。長引くロシア・ウクライナ戦争の思想的背景について、近代ロシア文学・思想を専門とする、総合文化研究科の乗松亨平教授に聞きました。 イリヤ・レーピン〈トルコのスルタンに手紙を書くザポリッジャ・コサック〉(1880-91) ©Ilya Repin プーチン政権の帝国的ナショナリズムとロシア民族主義 ―― 今回の戦争をどのようにご覧になっていますか? 従来、プーチン大統領は現実判断に基づいてプラグマティックな行動をとる冷静な政治家であると一般的に評価されていましたが、2014年のウクライナ危機以降、今回の戦争に至るまでを見ると、その評価を変えざるをえません。プーチンのこうした変化の一因として、ロシア・ナショナリズムの思想が注目されています。 プーチンは、9月30日にウクライナ4州の併合を宣言
高見順の「昭和文学盛衰史」 https://amzn.to/3D250hk を読んでいる。 キンドル unlimited https://tinyurl.com/u4note で何か文学系のおもしろい本がないかと探していてたまたま見つけたのだが、なかなか勉強になる。 「昭和文学盛衰史」といっても、大正の終わりから太平洋戦争が始まる頃までの昭和初期の「暗い時代」の話であり、その頃の世相を反映しての文学を志した作家や詩人たちの離合集散の歴史の思い出話でもあるので、聞いたこともない人物や雑誌の名前をたくさん並べた部分など、読み飛ばしたくなるようなところも多々ある。 けれども、当時の芸術と政治の関わり、戦前の左翼運動の実態、そして全体主義化する国家体制からの抑圧によって左翼的思想・行動を捨て転向していく人々の様子など、1960年代半ばに生まれたぼくには初めて知ることも多く、例えば雑多な記述のうちに
異国の暮らしにも少し飽きて、 ちょうど荷風の「あめりか物語」など読んでいると、 せっかく洋行したのにふた月もすると経退屈になる男の話などあって、 いつの時代も人間というものは、 贅沢なことを言って刺激を求めて、 煩悩三昧の俗物根性、 少しは曇りを払いたいものだと重い腰を上げて、 言の葉を紡いで無相の想いをつづる次第。 寄宿しているヒンズー寺の、 行者たちが一昨日は集まって、 何やら偉い坊さんの話を聴いておりました。 鮮やかな橙色の装束に身を包み、 髪や髭を茫々と伸ばした行者の群れは、 とうに見慣れたとは言うものの、 やはり異世界を現前させるもので、 ぱちりと写真に取ってみると、 ああ この人たちがインドという国を、 ある意味支えているのだなと、 感無量な気持ちにもなりまして。 昨日はパイロット・ババジという有名なグルのアシュラムから、 ロシア出身の蒼い目の女性の行者が、 ベイロウ寺の儀式に
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