井筒俊彦の文章は決して難解ではない。論旨は明快である。私たちが踏み留まることを強いられるのは、文脈ではなく、彼独自の術語の前なのである。術語の表記が難しいのではない。コトバ、意識、文化、意味など彼が選ぶ表現もむしろ平易だといっていい。問題は意味の広がりと深さ、あるいは多層的次元に波及する力動性にある。ことに若いときの論考はそうだ。 『神秘哲学』(1949年)はその典型。表現者としての出発点となったと彼自身がいう、この著作を読み始めると読者は、まず鍵概念の反芻を求められる。最重要な術語の一つが「神秘道」である。 この一語を井筒俊彦は「神秘主義」と別に用いる。命題が神秘である以上、別な意味というのは存在の位相もまた異なることを指し示している。 「神秘道」という言葉も見慣れない表現だが、この一語を中核的術語として、最初に、かつ積極的に用いたのは井筒俊彦ではない。柳宗悦だったと私は思う。最初期の作