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ヴィパッサナーと瞑想に関するsuganokeiのブックマーク (12)

  • 『ネガティブなことへの対処法』

    ウ・ジョーティカ師(Sayadaw U Jotika)の法話、“Dealing with Negativity & Aggravation” の全訳です。 タイトルどおり、私たちが日常生活で出会う「ネガティブなこと」への対処法を、 仏教的・瞑想的な視点から解説した法話です。 教理的な難しい話はほとんどなく、短くわかりやすい法話ですので、どなたにもおすすめ。 下のリンクより、PDFファイルをダウンロード(右クリックからリンク先を保存)してご利用ください。 ウ・ジョーティカ『ネガティブなことへの対処法』 (13031)

    『ネガティブなことへの対処法』
    suganokei
    suganokei 2019/05/22
    マインドフルネスの立場からのポジティブ思考のすすめ。ついネガティブなことばかり考えてしまうあなたにおすすめです。pdf文書なのでダウンロードしてゆっくりお読みください。
  • ミャンマー仏教書ライブラリー ~英緬仏教書の翻訳・公開~

    『スノー・イン・ザ・サマー』 ウ・ジョーティカ師(Sayadaw U Jotika)の主著、 “Snow in the Summer” の全訳です。

    ミャンマー仏教書ライブラリー ~英緬仏教書の翻訳・公開~
    suganokei
    suganokei 2019/05/22
    ヴィパッサナー瞑想関連文書。
  • 【シェア】来日されたスカトー寺僧侶方の1日瞑想会に参加しました(午前の部)1 - コマメディア 〜史上最弱の仏弟子コマメ〜

    このゴールデンウィークにタイのスカトー寺、およびウィリヤダンマ・アシュラムで修行と指導に励む僧侶方が来日し、関西と北陸で瞑想会や法話会が開催されました。 私は5月5日に石川県かほく市で行われた「気づきの瞑想会(チャルーン・サティ)1日瞑想会」に参加しました。 気づきの瞑想会(チャルーン・サティ)1日瞑想会 日時 2019年5月5日(日・祝) 10:00〜16:00 場所 石川県西田幾多郎記念哲学館 指導僧侶 スティサート・パンヤーパティポー師(スカトー寺副住職/ノース師) サンティポン・ケーマパンヨー師(トゥム師) 進行 浦崎雅代さん(翻訳家) 上の写真の左からノース師、トゥム師、ジョー師、浦崎さん。 タイの僧侶は出家順に左から並んでいきます。 大学を卒業後、すぐに出家され僧歴19年のノース師が一番左。大学卒業後は建築デザインの世界で活躍され、50歳を越えてから出家されたトゥム師は僧歴16

    【シェア】来日されたスカトー寺僧侶方の1日瞑想会に参加しました(午前の部)1 - コマメディア 〜史上最弱の仏弟子コマメ〜
    suganokei
    suganokei 2019/05/18
    「自分自身の心を理解して自分とともにいられるようになれば、他の人の心も理解できるようになります」タイのお坊さん、ノース師の言葉。
  • マインドフルネスもヴィパッサナーもこれだけ分かれば上等です - 簡単すぎる仏教と瞑想の話 - *魂の次元*

    どうしてマインドフルネスの練習をすると人生が楽しくなって、仕事もできるようになるのか、今日は超絶簡単に説明してみます。 好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 なぜ「好き嫌い」をなくすと、「悩み」もなくなるのか。 「好き嫌い」をなくすなんてできるの? 「好き嫌い」をなくしたら、人生味気なくなりそうなんだけど……。 はじめは3回の深呼吸だけでオーケー。マインドフルネスの練習の基礎の基礎。 仏教と瞑想・ヴィパッサナー・マインドフルネスの関係。 最後にひとつだけ注意点を。魔境に入り込まないために。 好き嫌いをなくせば、人生は楽勝モードになります。 マインドフルネスという方法論は、 「今自分に起こっていることを、価値判断せずにただ観察すると、悩みはやがて消え去っていく」 という、あまりに簡単すぎて 「いきなり信じろと言われても困っちゃうなー」 的な人間心理の原則にもとづいています。 「価

    マインドフルネスもヴィパッサナーもこれだけ分かれば上等です - 簡単すぎる仏教と瞑想の話 - *魂の次元*
    suganokei
    suganokei 2018/11/12
    マインドフルネスと初期仏教のヴィパッサナー瞑想について、初歩の初歩を分かりやすく書きました。
  • ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(1)

    テーラワーダ仏教協会(渋谷区 宗教法人)の編集局長として、仏教や瞑想に関する情報発信を長年続けてきた佐藤哲朗さんに、ヴィパッサナー瞑想法のあらましと、実践にあたって理解すべきポイント、また初心者が陥りやすい誤解などについて伺いました。4回にわたって連載します。 日テーラワーダ仏教協会:アルボムッレ・スマナサーラ長老の指導のもと、お釈迦さまの教え(初期仏教)を社会に紹介し、人々が法を学び修行できる環境を整え、生きとし生けるものが幸福に達するためのお手伝いをする目的で活動している。 佐藤哲朗氏(幡ヶ谷・ゴータミー精舎のブッダ像 前で) Q1   こちらの協会では、ヴィパッサナー瞑想を指導しているそうですが、なぜ、今、注目されているのですか。 ヴィパッサナー瞑想は、観察瞑想とも言われます。経典に使われるパーリ語から説明しますと、「ヴィ」というのは「よく・詳細に」、「パッサナー」は「観る」と

    ブッダの瞑想法――その実践と「気づき(sati)」の意味(1)
    suganokei
    suganokei 2018/10/26
    ヴィパッサナー瞑想についての分かりやすいインタビュー記事。マインドフルネスも気づき・念・サティのことなので、基本は一緒。
  • トグルスイッチ - 瞑想オカン

    思考することと「今」に意識を置くことは、トグルスイッチで切り替えられる電気回路の流れに似ていると思います。 思考モードにはまっている時は、「今」に意識を置けていない。今、この瞬間に留まっている時は、思考は姿を潜めている。 瞑想実践を始めたばかりの頃、このスイッチはほとんどの時間「思考」側に倒れていました。そのうちに目まぐるしくオンオフを繰り返すようになり、最近は自分の意思でどちらかに倒すことができるようになりつつあります。 道を歩いている時、キッチンで皿を洗っている時など、ふと気づくと思考モードにはまっていることがある。それが必要な思考であれば考えるべきことだけ考えて、考え終えたら「思考したい」という欲を手放すことでスイッチを「今」の側に倒すのです。 「今」に意識を置き続けるということは、思考したいという感情への執着を手放し続けるということでもあるかもしれません。 瞑想修行とは、究極的には

    トグルスイッチ - 瞑想オカン
    suganokei
    suganokei 2017/09/14
    瞑想を練習する日々の、透明感のある記録です。/ そうか、「分かってもらいたい」という気持ちに成仏してもらう必要があるのかな……。
  • 孤高に生きる!支配社会よサヨウナラ・半隠遁の暮らし・仙人、スローライフへの道! | 瞑想するたびに、思い出さなくてはなりません | Facebook

    瞑想するたびに、思い出さなくてはなりません。 「私は何かをしようとしているわけではない。 私はどこかに至ろうとしているわけではない。 私は以前に経験したことを経験しようとしているわけではない。 私はただ、いま起こっていることに気づいていようとしているだけだ」  (ウ・ジョーティカ師)

    孤高に生きる!支配社会よサヨウナラ・半隠遁の暮らし・仙人、スローライフへの道! | 瞑想するたびに、思い出さなくてはなりません | Facebook
    suganokei
    suganokei 2017/02/04
    「私はただ、いま起こっていることに気づいていようとしているだけだ」ビルマのお坊さんウ・ジョーティカさんの言葉。
  • 悟ってしまえば「悪」なんてなくなるんです

    般若心経というお経があります。 このお経の内容をひと言で説明すると、「この世のすべては空(くう)である」ということになります。 と、そのように言うことは簡単なのですが、ここで「空とは何か」というのが難しいところで、というのも、これは言葉では説明できない、自ら経験して、体感しなければならないことだからなのです。 もちろん般若心経の中でも「空」とは何かが説明してあり、例えば「無老死亦無老死尽」とあります。 これは「老死もなく老死が尽きることもない」と読むわけですが、これが「老死は空である」ということの説明になっています。 ふつうに「空」というとき、例えば「空洞」という言葉は「中が空っぽ」ということですから、「中がない」ということです。 けれども、般若心経が説明するのは、あるものが「空である」ということは、それが「ない」と同時に、そのないものが「尽きることもない」というのですから、普通に考えれば

  • ヴィパッサナ-瞑想合宿 感想と報告 - コミュニケーション心理学研究所 / 橋本文隆

    ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想合宿(全12日間)に参加してきました。 ヴィパッサナー瞑想については、このブログでも何度か書いていますが、お釈迦さんが悟りを啓くのに使われたと言われる瞑想法で、今でもテーラワーダ仏教で伝統的に行われています。 (厳密に言えば、現在のヴィパッサナー瞑想と、ブッダの瞑想法は異なりますが。) ヴィパッサナー瞑想のメッカはミャンマー。そして近年アメリカでもかなり普及してきていると聞きます。アメリカは元々「禅」がかなり普及していますが、ヴィパッサナー瞑想は非常に論理的であり、その辺りがアメリカ人に受けているのではないかと思います。 ひと口にヴィパッサナー瞑想といっても、実はいろんな流派があります。ミャンマーには多くの瞑想センターがあり、各自が自分にあったセンターを探し、そこで修行しているようですが、日ではまだヴィパッサナー瞑想を教えるところは数少ないようです。 今まで

    ヴィパッサナ-瞑想合宿 感想と報告 - コミュニケーション心理学研究所 / 橋本文隆
    suganokei
    suganokei 2016/12/19
    ヴィパッサナ瞑想について、ゴエンカ式とマハシ式の違いが簡単にまとめられている。
  • ヴィパッサナーと慈悲の心 - 瞑想オカン

    このところ「他者の心の流れを観る」ということにチャレンジしている。 「観る」といっても他者の心が実際に読めたりするわけではないため、正確には「想像する」というのが近い。 「視覚が何かを捉え、捉えたことを認識し、認識したものを判断し、そこから何らかの感情が生まれる」…そういう、自分の心に生じる流れと同じことが自分以外の生命にも起きているのだと仮定して他者の姿を眺める、というようなことだ。 たとえば、会議中にAさんとBさんの意見が合わずに口論が始まる。 Aさんがなにか言いかけたのを畳みかけるようにしてBさんが反論をし、それをまたねじ伏せるようにしてAさんが言い返す。 その様子を眺めながら、 「今、Bさんの声が耳に触れた。触れた声を言葉として認識した。認識した言葉が解釈された。記憶の回路がその言葉を自分への攻撃とみなし、反撃の意思が生まれた」 …というように、Aさんの心の流れを想像してみるのであ

    ヴィパッサナーと慈悲の心 - 瞑想オカン
    suganokei
    suganokei 2016/11/21
    人の愚かさってものは、ほんとに困ったもんですよねぇ、ご隠居。
  • 外側と内側 - 瞑想オカン

    心の流れを慎重に観察しつづけていると、外側から受ける刺激と、それによって内側に生まれる感情とが別のものだということが徐々に分かるようになってくる。 それはたとえば、電車の中で電話している人を見て不愉快な気持ちになった…という時に、「電話をかけている人を見た」ことと「それを受けて不愉快に思った」ことが不可分なひとつながりのものではなく、別々のタイミングで生じる独立した感覚だと分かる、というようなことだ。 「大声で電話をかけている人がいて不愉快になった」という一つのできごとに見えていたものが、実は刺激と反応という二つの要素から成り立っていたのだと気づく。 私がそのことにはじめて気づいたのは、自宅の台所でシンク台の角にしたたかに足の小指をぶつけた時だった。指がぶつかり、痛みが生じ、 「なぜこんなところにシンクがあるのよ!」 と身勝手な怒りが生まれるまでの流れが他人事のように見えたそのとき、 「い

    外側と内側 - 瞑想オカン
    suganokei
    suganokei 2016/10/08
    今まで「敵」だと思っていたものが、実は最高の教えをもたらしてくれる「友」だと気づく。そんな瞬間に立ち会いたいものです。
  • 瞑想には危険もあるかもしれない | 呼吸と瞑想の日々

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    瞑想には危険もあるかもしれない | 呼吸と瞑想の日々
    suganokei
    suganokei 2016/03/31
    ヴィパッサナー瞑想を巡る、おとぎ話のような物語。
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