平均28日に1回の周期で女性に訪れる、月経(通称:生理)。 タンポンや月経カップ、ナプキンなど自分に合った生理用品を使用していることでしょう。 grapeの女性社員16人にアンケートをとったところ、80%の人が「生理用品にこだわりをもっている」と回答しました。 また、生理用品を選ぶ時の基準としては、機能面と大きさを重視する人が多いようです。 生理用品は基本的に女性が使用するもの。男性の中には、見たことがないという人もいるかもしれません。 女性社員に「生理用品売り場に男性がいたらどのように思うか?」という質問をすると、75%が「特に気にしない」と回答。 そのため、男性に生理用品を買いに行ってもらい、生理への知識を深めてもらう企画を行いました。 初めて生理用品を見る男性社員、購入したのは? 事前に、男性社員へのアンケートで生理用品を自分で買ったことがあるかを調査すると、58%の人が「ある」と回
閲覧注意です。特に虫の苦手な人は、ご遠慮いただいたほうがよろしいかも。 前回のエントリーの主題だった救急電話相談#7119は、私の住む愛知県ではサービス未提供で、119番で医療相談してけっきょく救急車は呼ばなかった経験があると書いた。 これはこれで、とんでもない話で十分ブログのネタになりそうだが、長くなるので別の機会にとも書いた。 こういう場合、別の機会が本当に来ることはあんまりないのだが(私だけ?)今回はなんとなく本当にエントリーに起こしてみようと思った。 もっと前には、これまでの人生で110番通報をしたことは一度もないが、119番を使ったことは3度ある と書いたこともある。 近い方から、3、4年前、高齢の親戚が道で転んでケガをしたときに一度。幸いケガは深刻ではなかった。 20年くらい遡って、今住んでいる市に越してくる前に、当時住んでいたアパートの近所を歩いていたら目の前で交通事故が起き
最新ガジェットに目がない筆者は、PSVRの予約開始日に量販店に並び初回販売分の予約をゲット。その足でPSVRの体験会に参加した。 #PSVR 予約成功したので、ついでに体験をば。追従性むっちゃ高くて異次元の感覚だった。よいよ! pic.twitter.com/2ERwMBGp55 — Sho Sawada (shao) (@shao1555) 2016年6月18日 追従性の高さは前評判通りで確かに酔わない。が、、、どうにもピントが合わない。筆者は左目と右目の視力が極端に違う「ガチャ目」なので、それが原因ではないだろうか。視力が悪い左目用にコンタクトレンズをつくってもらおうと、翌日眼科に足を運んだ。いきつけはなかったので、近所の眼科で設備が最新鋭っぽいところを Web で検索し「すがも眼科クリニック」に伺った。 眼科医に「VRで像がボケる」ことを告げたところ「視力と斜視の測定をしましょう」と
※この話は東京都でのものになります。各都道府県で対応は変わると思います※ 「全身が、自分で制御できないくらいブルブルと震えるようなことはありませんか?」 「え、それってコロナの特徴なんですか?」 「そういうこともあります」 「それはないですけど・・・・・・あ、でもそういえば、3、4週間前に電車に乗ったときにそんな人いました。満員電車だったんですけど、すごい体調が悪そうで・・・・・・まるで痙攣のように震えてて、これはまずいと気付いてから僕は違う車両に移ったんですけど。もしかしたらそこで感染したんですかね・・・・・・?」 「・・・・・・」 「でも、僕がその車両から出たとき、さらに大勢の方がその車両になだれ込むように乗っていきましたけど・・・・・・その方々は大丈夫なんですかね?」 ーーーそんなわけで、僕が肺に痛みを感じ始めてから2週間ほどの日が流れました。 この症状には波があり、良くなってきたと
コメント欄でも九死に一生を得た方などの体験談を頂けたら嬉しいです。ぜひ「こんな始まりだった」というお話などお聞かせ下さい。後々他の方の参考にもなるかと思いますので。 余談。2020年11月、夫が心筋梗塞から生還しました。経過まとめ▶https://togetter.com/li/1624857
Where are you? Where am I? Where is Mizuko? 「あなたはどこ?私はどこ?瑞子はどこだ?」 認知症医療の第一人者であり、「痴呆症」という呼称を現在の「認知症」に変えることを提唱した人でもある、長谷川和夫さん(90)が、自身が認知症になったあとの日記に出てくる言葉だ。瑞子は長谷川さんの奥さんである。 「生きている上での確かさが少なくなってきたように思う」ーと、長谷川さんは繰り返す。曜日が曖昧になり、予定が把握できなくなり、行き慣れていた場所にいけなくなる。認知症は、そういう一つ一つでいろんなものが確かじゃなくなってくる病気だ。 長谷川さんが、奥さんのへの感謝の気持ちを綴る場面がある。 僕の体や精神、心のすべてに瑞子がいてくれる。この感覚は初めてだ。なんというのだろう、いつも瑞子とともにいるかんじだ。幸せだと思う。 朝起きて、今日はなにをするんだろうな。
息を引き取る4日前の8月28日、立つのもやっとの状態の中、「訴えたいことがある」と言ってインタビューに答えた田端健太郎さんの笑顔が忘れられない=山本大輔撮影 「治らない人のための情報」がない 東京で医療機器関係の仕事をしている田端健太郎さん(46)。8月27日、医師から「余命1カ月」と告げられた。約1年に及ぶ腎臓がんとの闘病生活の末、すでに緩和ケアに移行し自宅療養をしていた。余命が短いことは感覚的に分かっていた。取材を受け入れたのは翌28日。それには理由があった。 「残り1カ月となると、みんなそれを口にするのもためらう。だから情報がない。僕自身、どう受け止めたらいいのか知りたくて調べたけど全然ない。あのね、ここが伝えたいポイントだと思っているんだけど、治らないがんと治るがんがある。どんなに医療が発達しても治らない。治る人ばかり脚光を浴びるけど、治らない人もいるのです」 「タバケン」の愛称で
経過報告です→anond:20190522165250 先日、ほくろを取ったのでその話をしたい。 なんでしようと思ったかというと、仕事しなきゃなんだけどやること多すぎて現実逃避したいのと、 Twitterでほくろ取った~って言ったら「いいな」とか「自分も取りたい」といったような反応する人が結構いたから。 顔に取りたいほくろがある人の参考になれば幸い。 【ほくろのスペック】 まず場所だけど、鼻の下のど真ん中にある。人中?とか上唇溝とか言われるところ。 大きさ(直径)は2mm弱?くらい。ぷっくりしている。 生まれつきのホクロではない。中学生か高校生の頃、気づいたらぽつんとあって、最初は平たくて小さかったけれど、徐々に膨らんできた。 【取るに至った経緯】 場所が場所だし、よく「ゴマついてるよ(笑)」とか言ってからかわれたので、 社会人になったら絶対取ると決めていたのだが、なかなか本気になれなかっ
中学3年生の夏のはじめ、入院をした。 初めて聞いた 特発性血小板減少性紫斑病と言う言葉。 自分の免疫が自分を攻撃してしまう 自己免疫疾患の一種らしい。 血が止まりにくい以外は体調も悪くない。 当然すぐに退院できるものと思っていた。 入ったのは個室だった。 毎晩、家族が晩ご飯を持って病室に来る。 全員で一緒に食べる。 毎晩じゃなくても良いのにと言いながら 特別な行事のようで楽しかった。 甘やかされたせいかかなり太った。 後に点滴薬の副作用の浮腫だと知った。 1ヶ月を過ぎた頃、学校は夏休みに入った。 級友が受験の話をし始め、焦りを感じた。 公立の高校を受験する場合 中学の出席日数や内申点は不可欠だった。 回診に来た主治医に聞いてみると、 退院はできないから 高校受験は諦めてもらうしかない。 と言う返答だった。がっかりした。 やっぱり間に合わないのか。 冗談めかしてもう少し早く退院できないか 聞
ガン患者になってちょうど一年がたつ。 この一年はまさに激動だった、充実していたともいえるのであっという間に過ぎたようにも感じた。このペースで進んだらあっというまに人生が終わってしまいそうだ。 去年とおなじように今年も病院でクリスマスと年末年始も過ごすことになった、じつは肺炎で入院している。肺炎ってはじめてなったけどけっこうヤバい。 いつもの仮病とは明らかにちがう様子に妻が異変を感じ、大学病院まで連れてきてくれた。検査をするとCRPというよくわからない数値が49(4.9じゃないよ49)というハイスコアを出していた。 さきにいっておくけど肺炎球菌って日本中のどこにでもある菌だから、ネパールがどうとか関係ないからね。ネパールは感染性胃腸炎、つまり下痢と嘔吐の方が怖い。菌が恐ければ滅菌室に引きこもっていればいいのだけど、人生なかなかそうもいかない。 帰宅まぎわの担当医がきてくれて、このまま死ぬ可能
パイプカットに興味はあるが副作用を恐れて踏み切れない人は多いと思う。 当時の私も副作用に関する記事を探したが、信頼できる記事はほとんど見つけられなかった。 見つけた記事の多くは、「副作用は存在しない」と謳っているものが多く、パイプカット業者の息がかかっているように思えた。記事の信頼性には疑問が残った。 私の場合はそれでもパイプカットをせざるを得なかったので、手術を受けたが、 より正しく副作用を理解していれば、本当に他の道がなかったのか再度検討していたかもしれない。 そこでパイプカット手術を受けるかどうか悩んでいる人たちのために、一人のパイプカット体験者として記事を残しておきたい ただし、個人差はあると思われるので、私の語るパイプカットが全ての人に当てはまるわけではないことも言及しておく。 「私と同じ状態になる可能性がある」と説明しているだけだ。 まず、一番重要な点を説明する。 噂 : 最重
医師でも看護師でもない素人だけど、駅で倒れた人が意識と呼吸がなく、顔も真っ白になってたから心臓マッサージ(胸骨圧迫)した。 直接的に効果があったのかはわからないけど、息を吹き返したので良かった。 救急隊が来るまでにある程度(寝ぼけてるみたいな状態だけど)意識も回復していたので、たぶん大丈夫だと思う。 感じたこと学んだこと。・すごい前だけど、救急救命講習受けててよかったー!!!!!十年くらい前に地元の消防署で上級救急救命講習(横浜市の例:http://www.ydp.or.jp/guidance/kousyu02.html)を受けたことがあるだけの素人でも、たぶん役に立てた。 ほんと良かった。活かす機会が実際にあるなんて思って受講してなかったけど、あるもんだ。 受けてなかったら手を出せてなかったし、あの周りの様子だとたぶん他の人がやっていたって可能性も低かったと思う。駅員さんもこちらが言うま
認知症の母を見つめて:2(マンスリーコラム) 今から10年前の冬、私の母(当時66歳)に「前頭側頭型認知症」という聞きなれない病名が告げられた。記憶は保たれるが、思考や判断、感情をつかさどる脳の部分が萎縮するため、母は別人のようになってしまった。表情豊かだった顔は能面のようになり、おしゃべりもめっきり減った。 認知症には複数の種類があるが、アルツハイマー型が最も多く、前頭側頭型は数%ほどしかないという。当時ネットで「認知症」と検索しても、出てくる情報はアルツハイマー型のものばかり。母の症状に当てはまらず、途方に暮れていた。 前頭側頭型の初期症状は、初老期のうつ病や統合失調症などと似ており、プロでも診断が難しいという。母の場合は、正しい診断がつくまで5カ月かかったが、それでも短い方だったようだ。 診断の翌月、母は「要介護2」と認定された。 めんつゆのボトルを 妹夫婦のマンションで母が同居を始
ご主人が亡くなってからの約五年間を柴崎さんは独りで生活してきた。近くには長男家族も住んでいたが、認知症が進行し介護が難しくなったことから三年前ここに入居された。僕の入社直後のことなので、ほぼ同時期にこの施設にやってきたことになる。 柴崎さんは介護全般に拒否があり、帰宅願望も強い。二十分ほどしか記憶が保たれないので、ここがどこで、いまがどういう状況なのか常にわからない状態。それでも本人が納得した物語りの中で今を過ごされてる時はとても穏やかだ。 そして、まるで眠ることを忘れてしまったかのように昼夜問わず徘徊をくり返す。 最も落ち着きがなくなるのは夕方から朝方にかけて。そろりそろりと扉へ向かう彼女に一体どのくらい声をかけただろう。 「どうかされましたか?」 「ちょっと家に帰ろうかと思って。」 「今日は遅いから泊まって行きませんか?外はもう暗いから危ないですよ。」 「帰って夕飯つくらないといけない
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