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takoponsさんと文通。 コメントに書くにはちょっと長すぎると思ったのでTBするが、あんまり面白い内容じゃない気がするので一応折りたたむ。暇な人だけどうぞ。 続・世界のこと こんにちは。 前提がすれ違っている気がします。そして、このすれ違いは多分、ちょっとすり合わせが難しいものです。 一言で言うと、私は特殊論を話しており、それを人類全体の一般論に敷衍する気があんまりありません。一方、takoponsさんの土俵は一般論であり、人類全般の話の様な気がします。 私の大前提は、「たとえ社会全般が悪い方向に向かっていたとしても、その中で(ただ目をそらす、という意味ではなく)自分と自分の周囲がそれなりに幸せに暮らすことは可能な筈であって、それはエゴイスティックかも知れないけれど、別に間違った姿勢ではない」というものです。まあ、勿論地球がぶっ壊れるとか日本が沈没するとか、そこまでいくとちょっと話が難
なんつーか。ここしばらく仕事をしていて、うちの会社には「敵を作らない」とか「味方を作る」ことに長けている人はそれなりに多いけど、「敵の作り方」が下手な人はそれ以上に多いなあ、と思った。 以下、主にお仕事のお話。 下っ端ではなくなってしまった影響で、会議に出る機会が最近は妙に多い。うちの部署の人々は皆寡黙な技術者肌で、多少なりとくっちゃべる体質なのは私だけだ。必然、社内・社外問わず、お外の人々と折衝する機会は増えた。角付き合わせる機会も、当然増えた。 で。会議なんかでは毎回思うんだけど、うちの会社には「上手に対立する」ということが苦手な人がなんだか多いなあ、と思ったのだ。 味方を作ることは勿論大事だけれど、毎度毎度利益を共有出来る人達だけで会議をする訳じゃあない。立場的にどうしても対立せざるを得ない場合、というのは何度だって起きる筈だ。 対立する相手を「敵」と呼ぶとしたら、「敵」が出来ること
・波乱万丈過ぎた日曜日の顛末。 もう何がなにやら。 まず午前~夕方。うちの奥様の心理学勉強会が渋谷であるというので、息子さんの身辺警護をする為に着いていったらロケーションは青山、こどもの城。午前中から夕方まで、息子さんと水いらずで一日を乗り切ることになったお父様の奮闘が今始まる。 ということで、エントランスでひとしきり途方に暮れた後、ベビーカー搭乗中の息子さんとの館内探索から話は始まり。息子さんが一番満足げに「あー」とか「うまー」などと感想をおっしゃった3階・プレイホールに居座ることに決定。大型アスレチックが楽しそうでした。むしろ俺にとって。 0~2歳児用のスペースという場所で、滑り台に向かって息子さんをけしかけたり、クッションに向かって息子さんをボディプレスさせたり(喜んでいた)して(私が)遊んでいた所、子供が増えてきて図体のでかい私の存在が邪魔になり始めた為、息子さん自由放牧形式に以降
ちょっと気になることがあったので、許可を受けてメモ書きする。 以下、とある少年漫画雑誌の編集者さんの愚痴。 漫画の展開に関する「企画書」が送られてくることは結構頻繁にある、という。読者からである。 企画書というのは読んで字の如くで。通常のアンケートの様な内容を遥かに越えて、「○○はどうすれば面白くなる」「こういう展開にすると面白い」といった「企画」を、編集部に送りつけてくる読者さんがしばしばいる、という話なのである。 単なる他愛ない中二病かというと、まあ99.4%くらいはそうなんだろうと思う。とはいえレベルは案外天から地まであり、どこからどう見てもノートの裏表紙の落書き、というレベルのものもあれば、実はよその出版社の編集者なんじゃねえか、と思うくらい体裁の整ったものも稀にあるという。 どんなものであれ、殆どはその作品への愛から書かれたものだろうし、参考になることも(極めて稀に)あるので、基
10年くらい前、出版社にバイトで出入りしていた頃、「ハウツー本を売るコツ」みたいなことを聞きかじったことがあった。 その内の一つに、「一般的に信じられている通説、あるいは権威の言葉をまず否定する」というものがあったことを、奥様が図書館から借りてきた育児のハウツー本を、横から覗きこんでいて思い出した。 通説の質についてとか、そのハウツー本の内容が適しているのかどうか、という話は取り敢えずおいておく。ハウツー本自体は、有益なノウハウと無益なノウハウがごった煮になっていることが分かりきっているのだから、有益だと思った分だけ齧ればいい。それだけのことである。 説得力のお話なのだ。 「通説を否定するメソッド」が有効な理由はたった一つ。「「気付き」という感覚がとってもキモチイイから」。 通説は、広く流布されているからこそ通説と呼ばれる。「大体こうすればいいんだよ」というセオリー、ある程度固定化された「
浮かれている。 浮かれているので、浮かれたまま書く。 私は、今の部署ではどういう訳かアタマを任されている。技術組の中では二番目くらいに若いのだが、年上のメンバーが皆内向的な職人さんで。多少なりと仕切れる性格の技術者が私しかいないという、そして上にはシステムが分かる人間が誰もいないという、消去法な判断でアタマを任されている。私は消去法のリーダーである。 今日、普段は滅多に喋らない年上の技術者さんが、私に意見を言ってくれた。自分が今まで抱えてきた膨大な経験の中から、私が穴だらけの経験で構築した設計に、ぽつりぽつりと意見を言ってくれた。彼がミーティングで自分の意見を言うというのは、少なくとも私にとっては初めて見る光景だ。 軽く議論になった。お互い丁寧語で話した。私は、「自分にはシステム設計の経験や知見がまだまだ足りない」という、最初から分かりきっていることを教えられた。 で、浮かれている。 年上
ふと気付いてみると、今の私には「嫌いな人」がいない。 ここ数日妙に色々と立て込んでいて、Webでのアンテナを下げていた折。職場で例によって他部署の同僚の愚痴を聞いている時、ふと違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人を嫌いになれるんだろうなあ、と。 同じく、ちょっと仕事が立て込んでいて、現実逃避にブログをぶらぶらとしている折。多分同じ様な違和感を感じた。 何でこの人は、そんな簡単に人格否定の文言を形に出来るんだろうなあ、と。 ちょっと雑然とした話になりそうなので、まず先に思ったことをまとめておく。 ・「人を嫌う為のコスト」というものがある様な気がする。そして、それは人それぞれ、結構差があるものである様な気がする。 ・私に関する限り。ろくに知りもしない人を嫌いにはなれない。そして、ある程度その人のことを知ると、結構色々と面白い部分があるので嫌いになれない。 ・それは私が「色んな人を深く
「大衆感覚」ってやつがわからない どうなんだろう。 奇をてらわなくていいから、一般大衆にとってわかりやすい企画を立てろ。かっこつけなくていいから、一般大衆にとってわかりやすい書名をつけろ。方法論の違いなのか、あるいはジャンルの違いなのかも知れないが。 私が昔お世話になっていた編集者さんの言葉を引用すると、こうなる。 「スコープは狭ければ狭い程いい」 「平均に受けてもしょうがないんですよ。平均値って存在しない値のことなんですから」 「10人中5人になんとなく受ける題名より、10人中1人が必ず手にとる題名の方がいい。手にとってもらいさえすれば、本はそこから広がるものなんです」 どっちが正しいのか、あるいはどっちが適しているのかは良くわかんない。ただ、そんな言葉を発する編集者さんにお世話になっていた身の私としては、「大衆感覚」という言葉にはあまり価値を感じない。存在しない客層を想定してどうすんだ
はてブのコメントが陰口とかちゃんちゃらおかしいですよ、HAHAHA。 率直に言って、「はてなブックマークのネガティブコメントが陰口かどうか」というレベルでの議論をしている人は、そもそも陰口というものを理解していないと言わざるを得ない。陰口素人、陰口ノービス、アマチュアかげぐちゃーである。 陰口の真髄とは何か。それは本人には直接届かないということであり、めぐりめぐって何かの拍子に本人の耳に入る、ということこそまさに陰口を陰口たらしめるエッセンスな訳である。 めぐりめぐるサイクルに本人の意図が届き得ない不快感、発生源が不明瞭ないやらしさ、反論の仕様がない理不尽な情報伝達方式、こういった要素なしに陰口を陰口とは呼ばない。 そこから考えると、アクセス履歴から僅か1クリックで手が届くはてブにおけるネガティブコメントなど、陰口から最も遠い位置にあるテキストであると言う他ない。本人の目の前で、正面切って
ここしばらく、新卒・中途問わず面接の場に出たり、別の面接官の人と色々話したりした。 で、色々と、面接する側に立ってみて初めて分かることが結構あるなあと思ったりもした。ちょっとメモっておく。 ○面接側の事情について思ったこと。 ・「縁」とは、特筆するべき事由が特にない時、強引に理由付けをする為に存在する言葉。 ・面接をする側にもモチベーションと切迫具合というものがある。 ・本当に人手不足の場合と、採用計画の消化過程にある場合では、切迫具合がまったく異なる。人を見る目にもかなりの差が出る。 ・面接官に人を見る目があると思ったら大間違いである。また、面接官が現場を熟知していると思ったら大間違いである。 ・特に中小企業において、面接という仕事は往々にして面接官の本業ではない。面接官は、大抵の場合他にもどっさりと仕事を抱えている。つまり、面接という場にやる気なく臨んでいる人も割といる。 ・「弊社を希
通勤途中、小学校の前を通る。 曜日にもよるのだが、その小学校の前で、数人の子供が並んで通行人に向かって挨拶をしている日がある。「おはようございまーす」と。 挨拶を返す大人を見ない。全然見ない。というか、交通量は結構あるのに、今まで4回くらい前を通ってみた限りでは、挨拶を返している大人が私しかいない。 いやまあ、教育効果がどうとか言うつもりはないですし、模範がどうとか言う気もないし、小学生つっても結構彼らは強かだから、実際何を思いながら挨拶してるのかはわかんないけど。 ただ、なあ。投げかけられた挨拶くらい返してもいいんじゃないのか。子供が挨拶してる時、足を止める程度の余裕があった方が人生楽しいと思うのですよ。募金求められてる訳じゃないんだしさ。 無理やり一般論に持ち込むなら、「自分を含んだ不特定多数に向けて投げられたメッセージ」に応答しようとする人が少ない気がなんとなくする。 ・デスクトップ
ブクマする前に他の人のブックマークコメント読まない様にすればいいんじゃないの? はてなブックマーク - はてな村民は、声の大きいヤツに同調し、魔女狩りを行う最低の村か? なんか知らんが元記事が編集されている。この程度の記事を運営が削除するとかアホですかという感じなので、多分書いた人が自分で編集したんだろう。一応ぐぐるのキャッシュはこっち。 いや、なんとゆーか、上の記事とか、記事のブクマでの議論がどうもピンとこなかったので原因を考えてみた。 同調圧力うんたらがどうしても気になるのなら、冒頭に書いた様なルールに従えばいいし、なんならシステム的にそういう制限を加えることも不可能ではない(やる意味があるのかどうかは疑問だが)。 そもそも「ブクマをするのは他の人のコメントを読んでから」という発想自体私になかったので、一体何の話をしてるんだろうと最初思った。先にコメントを一通り読んでからブックマークす
ちょっと一人語りをする。 昔住んでいた家の近所に、「キャビン」という名前のゲーセンがあった。 キャビンは、私がいた当時、既に「ちょっと古びた」ゲーセンだった。体育館をミニチュアサイズにした様な、屋根の鉄骨が剥き出しになっているボロい建物で、中には1ゲーム50円のゲーム筐体がずらっと並んでおり、プライズゲームなど一台も置いておらず、妙に高い天井には飛行機の模型が幾つもぶら下がっていた。そんなゲーセンだった。 私がその頃住んでいたのは坂が多い町で、原付に乗れる年になると皆こぞってバイトで金を貯め始める様な土地柄だった。 私はそんな中でも終始一貫して自転車乗りで、あちらこちらのゲーセンを自転車で渡り歩く内、脚力だけは無闇についた。私が「上半身はガリガリだけど、足だけ妙にゴツい」という奇天烈な体型をしているのは、専ら長距離走とこの頃の坂道自転車行のせいである。 自宅の駐車場から自転車で走り始めて、
何よりそれは「分かりやすい」からなのだな。 ある頭のいい人が、何か頭の良さそうなことを言っている。頭が良さそうな文言は往々にして難しいから、ついていけない人は興味をもたない。 その頭のいい人に、誰かが喧嘩をふっかける。当然二つの立場からの議論になる。対立が起きると、議論は途端に分かりやすくなる。分析もしやすくなる。 何故かというに、大体の場合において、相対評価は絶対評価より遥かに容易だからだ。自分で基準を考えるより、基準を元に比較する方がずっと楽なんである。論文のテクニックに「対立軸の明確化」ってものがあるのはその為だ。 参照:数日待ったが全然はてブが付かねぇ。どーなってんだ。 理事長のお言葉より、対立軸が明示されている痛いニュースの方が分かりやすい。いい例というべきなんだろう。 議論が揉め事に発展すると、双方がお互いの弱点を指摘し始めるから、議論は更に分かりやすくなる。この辺になってくる
NHKが視聴率UPを狙うと何故ことごとく裏目に出るのか、でもいいや。 ・NHKは財源を受信料で賄っている。 ・つまり、スポンサー料の為に広告代理店の機嫌を伺う必要はなく、普段の番組作りにおいて視聴率を意識せずに済む。 ・テレビ番組における「視聴率稼ぎ」のテクニックをもった人材が育たない。※1 ・何故か紅白歌合戦の時のみ、視聴率の話がやけに前面に出る。※2 ・視聴率を稼ごうとする。※3 ・視聴率稼ぎに長けた人材がいないので失敗する。 ・惨憺たる結果。※4 結論としては、 ○折角有利な土俵に立たせてもらっているのだから、わざわざ路上に降りてきてストリートファイトをしようとせんでもいいんではないか →そもそも視聴率にこだわる必要ないし、いっそ年末番組の視聴率隠蔽した方が面白い番組出来るんじゃね? ということになる。 以下補足。 まず、紅白がある程度以上の視聴率をあげていた唯一にして最大の理由は「
音、なのである。 「ハイドライドスペシャル」でも同じ様なことを書いたが、「音」の話を主軸にしないといけないゲームの話は厄介だ。音声や音楽は、文章による説明を受け付けない。 奇々怪界の筐体の前に座って、コインを投入し、スタートボタンを押したことがない人に、あのオープニングの音声の展開を説明することは出来ない。 それを承知の上で、言ってしまおう。奇々怪界は音ゲーである。そして、「効果音と、BGMと、世界観との調和」という面に限って言えば、ありとあらゆる和風ゲームの中でも屈指の名作である、と。 ということで、大変ご無沙汰しておりました。 本来メインコンテンツであるところの万里がどうした具合かしばらくお休みしておりましたが、心機一転。新年なのでなんかおめでたそうなタイトルということで、奇々怪界で。(ちなみに去年は源平討魔伝だったりした) 奇々怪界。アクションシューティングゲーム。1986年3月、T
ところで私は横シューターである。 まず、用語の話から始めよう。一般的な2Dシューティングゲームには、ざっくり分けて二種類のカテゴリーがある。 一つが画面が縦に流れていく「縦スクロール型シューティング」いわゆる縦シュー。例えばゼビウス、ツインビー、ザナックなどなどを始め、究極タイガーやら19XXやらバトルガレッガに至るまで、古今東西色々ある。 一方、画面が横に流れていく「横スクロール型シューティング」いわゆる横シュー。古くはコナミの「スクランブル」やグラディウスを草分けとして、いわずと知れた「ダライアス」からエリア88、中華大仙だの戦国ブレードだのプロギアの嵐に至るまで、こちらも無数にある。多分タイトル数で言うと縦シューに遠く及ばないとは思うが。 縦シューに「打ち込み型」のゲームが多いとするならば、横シューには「パズル型」のゲームがやや多いかも知れない。何でかというと、横シューには上下に地形
なんだか腑に落ちない。 まず、事の始まりは「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーである。 「ブログは記事単位で読まれるもの」だからして、その記事内において発言内容が変わるのであれば、確かにこれはちょっと問題でしょう。しかし過去ログでの発言との食い違いがある可能性はあります。それは否定しません。その時に考えた事と、現在の発言内容に食い違いがあることは、別に恥ずかしい事とは思いませんが。 話を整理しよう。上記のエントリーの具体的内容に関しては、よそ様のブログの事件なので細かい踏み込みを避ける。ただ、基本的には ・以前書いたこととくい違うことを書いている、ということに関する批判 という様なコメントとそれに伴う議論があったんだと考えていいだろう。 むだづかいにっき様のコメント欄にも書いたが、何故かネットでは物凄い精度で「思考の一貫性」が求められる様に思う。2ちゃんねるの様な批判のライブラリ
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