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人物と昭和に関するtimetrainのブックマーク (2)

  • 【サッチャー元首相死去】「鉄の女」はソ連軍機関紙「赤い星」が命名 - MSN産経ニュース

    サッチャー氏は、東西冷戦時の最中に英首相に就任しただけに、対ソ連外交の舞台でもその存在感を遺憾なく発揮した。 そもそも、サッチャー氏の代名詞となった「鉄の女」は、1976年に保守党党首として英政界を率い、「(ソ連は)歴史上最も強大な帝国国家」などと歯にきぬ着せぬ言い回しで非難していた姿に着目したソ連国防省機関紙「赤い星」が名づけたもの。サッチャー氏は後に、敵対する国家に強い意志を持って対応する政治家のイメージが定着し、自身もこの呼び名が気に入っていたという。 79年末にはソ連がアフガニスタンに侵攻した。81年に最高指導者のブレジネフ書記長が75歳の誕生日を迎え、英政府は外交儀礼にのっとり、記念電文を用意したが、サッチャー氏が固持し、送付しなかった。 昨年、公開された英公文書にはこの件の経緯がまとまられ、「首相はアフガン情勢が、祝意を送らないことに十分に足る理由と考えている」と記されていた。

    timetrain
    timetrain 2013/04/09
    敵方によるネーミングを気に入って使うあたりがホント鉄の女と呼ばれるにふさわしい
  • 白鳥由栄 - Wikipedia

    白鳥由栄 脱獄再現シーン(博物館網走監獄) 白鳥 由栄(しらとり よしえ、1907年〈明治40年〉7月31日 - 1979年〈昭和54年〉2月24日)は、日の元受刑者。 戦時中の糧難の時代に収容先の刑務所で次々と脱獄事件を起こし、今日では「昭和の脱獄王」の異名で知られる。当時の看守の間で「一世を風靡した男」と評された。26年間もの服役中に4回の脱獄を決行、累計逃亡年数は3年にも及んだ。 生涯[編集] 青森県出身。幼少期に父が病死。3人姉弟の2番目だったが、母は乳吞児の末弟とともに再婚。白鳥は姉とともに叔母(父の妹)の家の養子(豆腐屋)となる。徐々に素行が悪化。遂に1933年に仲間と強盗殺人を犯し投獄される。 青森刑務所[編集] 青森刑務所では劣悪な刑務所の待遇に抗議するも、逆に懲罰房に入れられる。 1936年 手桶のタガで手製の合鍵を作り、開錠して脱獄(1回目の脱獄。白鳥28歳)。だが

    白鳥由栄 - Wikipedia
    timetrain
    timetrain 2011/04/26
    超人的能力を持ちながら脱獄の際に暴力や人質を使わなかったと。みそ汁をかけ続けて塩分で手錠を錆びさせるとかパネェ。
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