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戦争とソ連に関するtimetrainのブックマーク (2)

  • 『ソ連兵へ差し出された娘たち』“数え年で18歳以上、未婚” その慟哭は今も聞こえる - HONZ

    1945年8月9日、ソ連の対日戦参戦によって満州開拓団の日人移民は祖国に捨てられた。日に引き揚げるまでの悲惨な生活は、さまざまな小説や手記によって明らかにされてきた。だが、女性たちの経験を語ることはタブーとされてきた。 著者は中国残留孤児の取材中、ソ連兵が日人女性を襲うという蛮行の裏に、日人集団内の支配関係によって強いられた犠牲があったことを知る。開拓団の人から頼まれてソ連兵のところへ行かされた、というのだ。調査を続けるうち岐阜県黒川村を中心に満州へ渡った黒川開拓団の女性からの協力を得た。 取材の数か月前に亡くなったという犠牲者のひとり、善子さんは「乙女の碑」という4ページの詩を残していた。その一節を引く。 乙女の命と引き替えに 団の自決を止める為 若き娘の人柱 捧げて守る開拓団 残された日人には集団自決か、死を覚悟して脱出するか、この場で生き残りに賭けるか、しか選択肢はなかった

    『ソ連兵へ差し出された娘たち』“数え年で18歳以上、未婚” その慟哭は今も聞こえる - HONZ
    timetrain
    timetrain 2022/03/02
    この話があるから、女子供を逃がして男が踏みとどまる今のウクライナを理解できる。
  • 【世界の街から】住民虐殺、ざんげの旅 シベリア出兵のイワノフカ村 | 共同通信 - This kiji is

    1918年から始まったシベリア出兵時、旧日軍が300人以上の住民を虐殺したロシア極東アムール州イワノフカ村を訪れた。20年以上も慰霊訪問を続ける岐阜県揖斐川町の僧侶横山周導さん(94)に8月、同行させてもらったのだ。 日から飛行機と鉄道、バスを乗り継ぐ長旅だ。高齢の横山さんにとって負担は少なくない。それでも前村長で旧知のゲオルギー・ウスさん(94)に「ずっと忘れずにいてくれて、ありがとう」と出迎えられ、笑顔で応じていた。 村には三つの慰霊碑が点在する。小屋に押し込められ焼き殺された36人に向けた碑。銃殺された子供や女性ら257人への碑。そして横山さんやウスさんの尽力で95年に完成した「哀悼の碑」。横山さんは静かに頭を下げ、読経をささげた。 日ではシベリア出兵はなじみが薄く「忘れられた戦争」とも呼ばれる。7年間続き日側だけで3千人以上も死亡したが、第2次大戦後のソ連によるシベリア抑留

    【世界の街から】住民虐殺、ざんげの旅 シベリア出兵のイワノフカ村 | 共同通信 - This kiji is
    timetrain
    timetrain 2019/08/18
    8月8日以降のソ連軍による残虐行為の伏線であったかもしれないと思うと複雑な心境。共産主義革命が現代に及ぼした悪影響を思えば出兵の経緯はわかるにしても現場の虐殺を許容するものではない
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