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CPUと歴史に関するtimetrainのブックマーク (3)

  • BIOSからUEFIへ BIOSはなぜ終わらなければならなかったのか

    BIOSからUEFIへ BIOSはなぜ終わらなければならなかったのか:“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る(1/4 ページ) 昔ながらのIBM PCPC/AT互換機からDOS/Vマシン、さらにはArmベースのWindows PC、M1 Mac、そしてラズパイまでがPCと呼ばれている昨今。その源流からたどっていく連載。第16回はWindows 11で注目された、UEFIとその前身であるBIOSについて。 第1回:“PC”の定義は何か まずはIBM PC登場以前のお話から 第2回:「IBM PC」がやってきた エストリッジ、シュタゲ、そして互換機の台頭 第3回:PCから“IBM”が外れるまで 「IBM PC」からただの「PC」へ 第4回:EISAの出現とISAバスの確立 PC標準化への道 第5回:VL-Bus登場前夜 GUIの要求と高精細ビデオ

    BIOSからUEFIへ BIOSはなぜ終わらなければならなかったのか
  • 価格性能比に優れたK7でシェアを伸ばしたAMD (1/3)

    自社製K6に見切りを付けてNexGenを買収 前回の最後で触れたように、AMDは1996年に「AMD K5」を投入した。しかし、K5の性能があまり伸びないことは早くからわかっていたが、さりとてその次の「K6」も、開発が難航していた。 そこでAMDは、「Nx586」をリリースして市場の評判もよく、後継製品の「Nx686」を開発中だった米NexGen社を1996年に買収。自社で開発中だったK6を捨てて、Nx686をベースとした製品を改めて「AMD-K6」として発売することにした。 前モデルのNx586は、同一周波数のPentiumを上回る性能を叩き出しており、「Nx686は、ほぼPentium Proに比肩しうる性能を発揮する」と言われていた。Nx686の最初のサンプルは1995年にリリースされており、1996年中旬に出荷を予定していた。ただし、独自パッケージと独自インターフェースを採用してい

    価格性能比に優れたK7でシェアを伸ばしたAMD (1/3)
    timetrain
    timetrain 2011/10/27
    「同じモデルナンバーを持つ「K7のSempron」と「K8のSempron」が混在するという、非常に紛らわしい時期が存在していた。」うん、これは酷かった……
  • CPU黒歴史 Athlonまでの中継ぎが四球で失点? K6-III (1/4)

    CPU歴史AMD編の2回目は、「Sharptooth」のコード名で知られた「AMD K6-III」を取り上げたい。「K6」世代の最終製品として、わりと華々しく発表されたにも関わらず、K7登場までをつなぎきれずに失速。ひっそりと表舞台から消えた、ある意味かわいそうな製品でもある。 K5では競合に対抗できず AMDが目を付けたのはNexGen まずは、元になったK6ファミリーの話から始めよう。K6ファミリーの変遷は連載64回で詳しく解説しているので、そちらも参照していただきたい。1997年に、AMDが「Pentium」への対抗策としてリリースした「K5」は、性能的にPentiumやCyrixの「6x86」に及ばず、また動作周波数も上げにくかった。 しかし、その対策として新しいプロセッサーの開発を進めてはいたが、新しいアーキテクチャーをスクラッチから起こすとなると、通常は数年単位の期間がかかる

    CPU黒歴史 Athlonまでの中継ぎが四球で失点? K6-III (1/4)
    timetrain
    timetrain 2011/10/27
    PC98ユーザは最後まであれを延命させてくれたオーバードライブプロセッサに載っていたAMDCPUのことを忘れまい。
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