能登半島地震の避難所となっている穴水町の穴水高で1日夜、男女数人が自動販売機を壊し、同校の避難者用に飲料水を置いていったとみられることが6日、同校などへの取材で分かった。自販機を壊した人は「自分も避難者で、飲み物を確保するために自販機を壊していいか(管理者に)確認した」と話しており、石川県警は事件性はないとの見方を示している。 穴水高によると、車で訪れた数人が自販機を器具でこじ開け飲料水を取り出し、避難所に置いていったという。
「なるべく軽く運べて、職員が自分で荷下ろしできるようなもの」を送った 話題となっているのは、徳島県が防災・危機管理情報を発信するXアカウントが3日に投稿した、「令和6年能登半島地震の発生を受け、石川県庁にリエゾン派遣した職員により、本日、物資集積拠点に支援物資(弾性ストッキング1,000セット、マスク6,800枚)を提供しました」というもの。称賛の声が寄せられる一方、「必要なものは他にたくさんある」「まず水と食料送ってあげてよ」などの声も見られた。 その後、県は公式サイトとXで、3日に「飲料水や食料等」、4日に「毛布や携帯トイレ、子ども用オムツ」を提供したことを報告している。 J-CASTニュースは5日、支援物資に弾性ストッキングとマスクを選んだ理由について、県危機管理環境部とくしまゼロ作戦課に取材した。同課担当者は、弾性ストッキングとマスクは被災地の情報収集にあたる「リエゾン」として、県
東日本大震災からまだたったの3年しかたっていないのに、 あの時、起きたことをほとんどの人が忘れているのではないだろうか? 東京で地震に遭遇し、何度となく襲いかかる余震に、 「もう日本は終わってしまうのではないか」とすら思ったものの、 3年過ぎたら復興を後回しにしてオリンピック開催でバカ騒ぎ。 いつか必ず近いうちに日本で大地震または大噴火が起きる。 自然災害の際に311の過ちを繰り返さないために、 当時、何が起きたか、振り返ってみたい。 1:風評被害?! 覚えているだろうか? 東日本大震災直後に発売されたAERAが、 表紙に防護服をまとった写真をでかでかと載せ、「放射能がくる」と題したところ、 「風評被害を助長する!」「売れるために恐怖心を煽りすぎ!」と批判されたことを。 あの時、多くの人は、日本の政府の発表を信じないといいながらも、 「まさか日本でチェルノブイリ原発事故のようなひどい事故が
「パワハラで退職」元職員、東北大を提訴 東日本大震災後に増えた仕事で過度の負担を強いられたり、パワハラを受けたりして退職を余儀なくされたとして、仙台市の元東北大職員の40代男性が26日、同大に約3500万円の損害賠償などを求める訴えを仙台地裁に起こした。 訴えによると、男性は2000年から同大の事務職員として勤務し、大学施設の工事の発注などを担当。震災後には新築や改築、改修の発注業務が激増し、任せられた仕事に追われたという。12年3月に退職した。 男性側は「震災後の発注量は平常時の10年分相当だったが、人員態勢は変わらず、異動もさせてもらえなかった。上司らからは暴言を吐かれていた」と主張。「所属部署で以前から職員の死亡が相次ぎ、過酷な労働環境だったのに、東北大は放置していた」などと指摘している。 東北大広報課は「訴状が届いておらず、コメントは差し控える」との談話を出した。 2014年
今回5月5日早朝に起こった地震のNHK地震速報の件で 大変お騒がせ致しまして申し訳ございません。 皆様に何点かお知らせがございます。 まず1点目はTwitterについて 東森美和公式アカウントの@higashimorimiwaのTwitterを数日閉鎖しておりました。 しかし本日5月7日水曜日の14:30頃Twitterの方を公開致しました。 閉鎖状態の際にフォローリクエスト頂いた方の承認が出来なくなってしまいました。 お手数をお掛けしますが、フォローを希望の方は再度@higashimorimiwaのフォローを お願い致します。 二点目は東森美和のプロフィールについて ネット上で私のプロフィールが色々と出ておりますが 何点か間違いが報告されております。 東森美和のブログの自己紹介の欄に簡単なプロフィールを掲載しましたので ぜひそちらをご覧いただければと思います。 そしてカラーポワントですが
南三陸防災庁舎11月に解体へ 震災遺構、保存断念 解体の方針が決まった防災対策庁舎(中央)。骨組みだけが残る建物の周りには更地が広がる=19日午後2時ごろ、宮城県南三陸町 東日本大震災の津波で骨組みだけが残り、巨大津波の猛威を後世に伝える震災遺構として扱いが注目されていた宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、町が保存を断念する方針を固めたことが19日、分かった。佐藤仁町長が来週、正式発表する。庁舎は今も慰霊のために手を合わせる人が絶えないが、11月にも解体が始まる。 町関係者によると、保存断念の理由は(1)国、県の支援がなく、財政面の手当てがつかない(2)復旧工事に伴う土地のかさ上げで、庁舎の1階部分が周囲から見えなくなる(3)かさ上げ後はくぼ地になるため、排水が難しい-など。遺族や町民に解体を望む意見があったことにも配慮した。 町は、庁舎周辺で震災復興祈念公園の整備を計画している。か
「あの日を忘れない」 震災記録誌を発行 多賀城 多賀城市がまとめた「東日本大震災の記録」 宮城県多賀城市は、東日本大震災の被害や復旧復興の取り組みをまとめた「東日本大震災の記録」を発行した。写真や人々の証言で、震災の過酷な体験と教訓を伝えている。 職員の撮影や市民が提供した写真約300枚を掲載。震災の翌朝、がれきが山積した工場地帯の背後で、黒煙を上げて燃えるJX日鉱日石エネルギー仙台製油所をとらえた市民提供の一枚が表紙になった。 車両で渋滞した国道45号に押し寄せる津波、避難者で埋まった体育館、自衛隊の捜索活動なども鮮明に写されている。ボランティアによる泥かきや、炊き出し支援の様子も収めた。 消防や自衛隊の活動報告、企業のドキュメントのほか町内会長の証言も紹介。地域ごとの「震災ふりかえり」事業で寄せられた「2階にいれば助かったのに、避難の呼び掛けを聞いて動いてしまった人がいた」といっ
防衛省ウェブサイトのHTTPSへの切り替えのお知らせ 防衛省では、利用者の皆様に、より安全かつ安心にウェブサイトをご利用いただくため、ウェブサイトのHTTPS化を行いました。今後は、『https://www.mod.go.jp/』でのご利用をお願いいたします。あわせて、ブックマークやリンクなどのご確認をお願いいたします。 10秒後に自動的にHTTPSサイトを表示しますが、画面が切り替わらない場合は、お手数ですが、以下のURLをクリック下さい。 今後は、以下のとおり、冒頭に『https』を付記したURLからのアクセスをお願いいたします。 新しいURL
東海、東南海、南海地震などが同時発生する「南海トラフ巨大地震」で最大23・9メートルの津波が想定される高知県須崎市が、1946年の昭和南海地震を体験した当時の子ども107人の文集を1000部復刻したところ、著作権法が禁じる無断複製にあたることがわかり、配布を取りやめた。市は、80歳前後になった筆者を捜して復刻の承諾を集め始めたが、まだ30人。「先人の教訓を今こそ伝えたい」と、市は配布をあきらめていない。 作文集は「南海大地震資料」と題された3分冊で、2年前に地元公民館で原本が見つかった。地震3か月後の47年3月に旧須崎高等小学校の教諭が子どもらに書かせたとみられる。 市は1月、住民啓発用に、「海からの警告」(A4判257ページ)のタイトルで復刻印刷。配布直前に外部から「著作権侵害のおそれがある」との声が寄せられた。 著作権法では、個人名義の場合、死後50年間、団体名義で公表後50年間、著作
宮城県南三陸町で、震災発生の際、住民に避難を呼びかけ、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが分かりました。 亡くなった町職員の遠藤未希さんの呼びかけがすべて収録されているほか、呼びかけがどのような判断で行われていたかをうかがわせるものとなっています。 NHKが入手した音声は、津波で職員や住民、合わせて41人が亡くなった南三陸町の防災対策庁舎から発信された、およそ30分の防災無線の放送をすべて収録したものです。 地震発生の直後から放送が始まり、サイレンに続いて、危機管理課の職員だった遠藤未希さんが「震度6弱の地震を観測しました。津波が予想されますので、高台へ避難して下さい」と呼びかけていました。 この時点で大津波警報は出ていませんでしたが、町は独自の判断で津波への警戒を呼びかけていました。 周囲にいた人の声も収録されていて、大津波警報が出たあと、津波の高さについて「最大6
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員遠藤未希さん=当時(24)=が埼玉県の公立学校で4月から使われる道徳の教材に載ることが26日、分かった。
学内での活動とは別に、本学の教職員が各自治体や民間団体が主催するさまざまなボランティアや復興支援活動に参加しています。被災地の方々の一助となるべく、その専門知識や研究成果を被災地のために役立てています。
東京都が東北以外の自治体で初めて、東日本大震災で発生した災害廃棄物(がれき)を受け入れて処理を始めたことに対し、都民らから反対の声があることについて、石原慎太郎知事は4日の定例会見で「(放射線量などを)測って、なんでもないものを持ってくるんだから『黙れ』と言えばいい」と語った。 都は3日、岩手県宮古市から第1便として約30トンを受け入れ、処理を開始。がれきそのものから放射線量は検出されず、都内の処理施設周辺の空間放射線量にも影響はなかった。 石原知事は「放射線が出ていれば別だが、皆で協力して力があるところが手伝わなければしようがない」と指摘。「皆、自分のことばかり考えている。日本人がだめになった証拠だ」と述べた。 がれきの受け入れを表明した9月末から今月3日までに、都には3328件のメールや電話が寄せられ、うち2874件が反対や苦情。賛成などの声が200件だった。都は今年度内に1万1千トン
1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。 「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史 震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。 バックナンバー一覧 今回の震災で死亡したり、行方不明とな
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