昨日、75歳になる事業家さんとお話をしていたら「日本は核兵器を持たないから中国や朝鮮にばかにされる」と言われた。午前中に核兵器廃絶のNPTの街頭署名をしてきた私としては少しショック。朝の石原都知事のテレビの影響だ。でも、街頭では多くの家族連れが署名してくれた ^^
5巻まで読了した。 昔の貧困は桁が違うなと思った。貧乏も度が過ぎるとここまでくるのかと、自分の想像力の貧困さをむしろ思い知らされる気がした。 もともと1960年ころ書かれた書物なので、いまから50年前のものだ。その時代ならではの限界もある。自身が批判しているはずの差別意識を無意識に引きずっているような記載も随所に見られる。たいがいそういう箇所は面白くなくて、淡々と取材した事実を述べてある箇所のほうが興味深く読めたのだが、だいたいその筆致は宮本常一のそれだったように思う。 1960年当時にはまだこの貧しさが国民の多くに記憶されていたのだろうと思う。であればこそ貧乏人は麦を食えと言った云々で首相が退陣に追い込まれたり、ちょっと後になって出てきた田中角栄が日本列島改造論など唱えてみるみる人気を伸ばしたりしたんだろうと思う。それは平等意識が根付いたとか経済成長がいよいよ国民に自信を与えたとかいった
毎日新聞が教科書検定について記事を書いた。 30日に検定結果が公表された小学校社会科教科書で、アイヌ文化を紹介するページが大幅に増えた。アイヌ民族を先住民族と認定するよう政府に求める08年の国会決議を受け、各教科書会社が充実を図った。 すりつぶした芋にイクラを添えた料理、自然木と茅(かや)を使った家屋「チセ」の写真。東京書籍の社会(5年上)は「国土の気候の特色と人々のくらし」の項目で、アイヌの風習や伝統文化を見開き2ページにわたって紹介した。編集者は「(偏見や差別の問題を)国民全体の課題として、記述を格段に増やした」と明かす。 光村図書出版(6年)は、明治政府の北海道開拓に始まる苦難の歴史を紹介するコラム「アイヌ民族のほこりを」を新たに盛り込んだ。編集者は「国がはっきり動くと、取り上げやすくなる」とした上で、「いまだに『日本は単一民族』と間違える人もいる。先住民族の文化をしっかりと押さえる
ツー・トップが弱点 民主党政権の支持率が、以前の自民党の各政権時の減価償却を思わせるような、見慣れたペースで落ち込んでいる。政治的にも実害が出始めており、長崎県知事選挙、町田市長選挙で民主党の推す候補が敗れた。「小沢選挙」の神話も効力が怪しくなってきた。 前回総選挙での「勝ち過ぎ」に対する国民のバランス感覚の現れということもあるだろうし、鳩山首相が自ら率直に認めるように「政治とカネ」の問題が批判された結果でもある。加えて、総選挙で約束した民主党らしい政策がほとんど実現していないことに対する失望が大きいのではないか。天下りは認める、ムダの削減は格好だけ、予算案はすっかり財務省ペースというのでは、減点材料ばかりだ。それにしても、短期間でどうしてここまでダメになるのか。 率直に言って、政権の表・裏のツー・トップである二人が共に資金問題で追及の余地のある傷を持っていることが政権運営停滞の最大の原因
いくのオモニハッキョのスタッフのブログです。(写真は、ハッキョの窓からのぞむ、生野の夕暮れ)先週、引っ越しの手続きをするために、区役所へ行きました。 引っ越ししたと言っても、通勤の最寄り駅も変わらず、どちらかと言えば、前の家よりも駅までの距離もほんの数分近くなったくらい、日常生活における環境的な変化はほとんどありません。ただ、前に住んでいた所と「区」が変わってしまったため、移転届けと外登証の切り替えに、区役所に行かなければならないようでした。と言っても、わたしはそういう行政的なことに全く無知な上に無頓着で、母親から会社の社会保険の切り替えと、外登証に記載されている住所の変更手続きを、すぐにやりなさい!と急かされて、面倒くさいなあ、と思いながら、しぶしぶ手続きをしに行ったのでした。 区役所に行く日の朝、生まれて初めて住む場所が変わることになった私と同じく、34年前に父と結婚をして以来、住
政権が交代して、選択的夫婦別姓制を導入するという民法改正案が来年の通常国会に提出される見通しになってきた。反対する人びとは「家族の絆が壊れる」などと危機感を抱いているようだけど、別姓を義務にせよと主張しているわけじゃなし、選択してそうしようと決めたよそんちのことまで心配せんでもいいのにね。 日本の戸籍を持っていない人間と日本人とが結婚している我が家など、はなから別姓なわけですが、彼らの目には「なんて絆のない冷めた家族!」と映るのでしょうかしらん。それとも、別姓であることが何かよそさまにご迷惑でもかけていると? (子どものいない家は家族とは言えん!問題外!とか言わないでね・・・。) ブラジルでは複数の姓を持つ人がとても多い。なぜかというと、これは旧宗主国ポルトガルの文化なのだと思うのだけど、子どもに命名する際に、母方の姓と父方の姓を両方引き継がせるのがけっこう一般的だから。そして結婚の際は、
8月15日は靖国神社へ行ってきました。 ここ数年、靖国が注目されるようになったのは、小泉首相(当時)が参拝を公言してからでしょうか。静かにお参りしたい人もたくさんいらっしゃるとは思いますが、マスコミや物見遊山もたくさん来ています。私もそのクチか。 見たこと聞いたことを、ダラリと時系列に紹介します。 9時半過ぎ、待ち合わせていた友人の皆さんと合流。まずまずの人だかり。 能舞台前が騒がしい。10時から白鳩の放鳩式「日本の声―英霊に感謝する集い」が行われるためです。主催は靖国神社白鳩の会。“英霊に「ありがとう」の感謝の言葉を唱和し純白の鳩を大空に放つ”ことが目的のよう。 そこに鳩山邦夫が来ていました。(記者に促され)鳩にチューする鳩山氏… 10時半から、参道の特設テントで、「英霊にこたえる会」と「日本会議」の主催による「第23回戦没者追悼中央国民集会」が開催。全航空幕僚長の田母神俊雄氏もあいさつ
『写真週報』206号より 前々から探していた写真をやっと見つけた。記事は、社内で出る弁当の空き箱を再生利用する……という節約記事なのだが、それよりも驚くのは、通路にうずたかく捨てられた弁当の空き箱のキタネエこと。 こんなに汚い列車にはぜったい乗りたくないが、にもかかわらず写真の紳士たちは平然と乗れているのはナゼなのか。ここから「戦前の日本人は公共マナーが全然ダメ」と結論づけるのはやや短絡。そうではなくて、自分で食べた弁当ガラは自分で捨てる――という最低のルールはあくまでも戦後的平等主義の産物であって、戦前の行動規範ではなかったのではないか。ゴミを片づけるのは駅員やゴミ屋・汚穢屋の仕事であって、客は手を汚すものではないという、カースト制度にも似た傲慢な階級道徳があったのではないか――と推測している。 公共道徳は「公共」と名づけられてはいるが、その実は特定の階級・階層内における道徳的規範である
木村世忍さんによる新横浜ありな in アキハバラのデジラマですが、米Gizのスタッフが最近この写真を見つけたようで、 「どうして日本はこうなんだい?(Why, Japan, Why?)」 と聞かれて困りました。 確か15年ほど前は、日本人はみんな同じようで没個性で気持ちが悪い、詰め込み教育が悪い、僕らはもっと個性を大事にしなきゃいけない、と言われていたはずですが、「そうだ、もっと個性的にならなきゃ」とクソ真面目に頑張ったあげく、日本は世界中の誰もが開いた口がふさがらないレベルの、オリジナリティ溢れる国になっちゃったんですかね。でもまあユニークであることは利点ですよね? 新横浜ありな[TAMAKI’s Little Treasure] Jason Chen(いちる) 【関連記事】 ・秋葉原詣での帰りに寄りたい「GAME BAR A-Button」 ・秋葉原 or ファミコン がテーマのclu
竹内洋先生が『諸君!』に連載している「革新幻想の戦後」(3月号)で、初めて、なぜ福田恒存があんなに清水幾太郎を罵倒したのか分かった。それはそうと、1960年代だろうが、竹内先生が「福田恒存もいいぞ」と言うと仲間たちから白眼視され、女子学生など「この人、右翼よ」と言ったという話が書いてある。そういう時代だったのだ、というのだが、私が学生の頃にもまだそういう感じは残っていて、カナダ留学前にアテネ・フランセの英会話に通っていたら、ふと早稲田の英文科の女子学生と話す機会があって、私が松原正を知っていると知った女子学生は「えっ、松原、知ってるんですか。あの人、右ですよ!」と勢いこんで言ったのである。 まだ私のことをよく知らないうちからそういうことを言うのはどういうものか、と私は思ったが、1989年頃だったろうか。あと、比較文学の大学院へ入った頃、英文科の研究室へ行くと、Mという同期生が「比較は右翼だ
読売のリーク記事のようです。 >雇用創出は医療・介護重点に…政府がニューディール計画 http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081209-206556/news/20081231-OYT1T00606.htm > 雇用情勢の急激な悪化に対応して政府が策定する「雇用ニューディール(新規まき直し)計画」(仮称)の全容が31日、明らかになった。 人手不足が指摘される医療・介護分野の資格取得を支援するなど職業別に雇用創出を図る。失業の急増が問題化している非正規雇用者については、職業訓練にかかる費用の給付と訓練期間中の生活資金支援の拡充に取り組み、労働条件などを巡る権利を守るための法制度の見直しを検討する。 国、地方自治体の行政機関で臨時雇用を増やす一方、林業の担い手を養成する「緑の雇用」を再開・拡充する。失業急増の主因である企業倒産を防ぐため企業の事業再生を支援し、
⇒大倉正之助さんの私の1冊「わら一本の革命」福岡正信 | NHK 私の1冊 日本の100冊 自然農法 わら一本の革命: 福岡 正信: Amazon.co.jp 読んだのは随分昔。私もマクロバイオティックスとか一巡やったことがあるしみたいな時代。 読者評が。 どこが 「自然 農法」なのだろうか?, 2007/2/21 By cantarou pe (日本) - レビューをすべて見る 表題に「自然農法」銘打っていますが、よく読むと、養鶏場で一生、土を踏むこともなく飼われた鶏の糞を肥料とし、除草の薬剤を使用しています。誇大な表現ではないでしょうか。 果樹園の林床を草で被う草生方は、非常によいと思います。泥ダンゴも、コート種子のさきがけを成していて、優れた先見性と思います。ただ、砂漠に、多湿な気候条件の日本の野菜の泥ダンゴ種子を蒔いて、本当に育つのかは、かなり疑わしいと思います。読み物としてはよい
後期高齢者に介護の費用の一割を負担させるとの神経が理解できません!この人たちの多くは若いころには戦争にかりだされ、戦後は祖国の経済復興を支え、ついには祖国を世界第2の経済大国に仕上げたひとたちです。定年後10数年以上を経て収入の道を閉ざされた今、介護の費用を一部とはいえ負担させるというのはどういうことですか、恩を仇で返すというのはこのことをいうのです。 幾ら円高だと言ってカップラメンが400円もするという金銭感覚の首相に率いられてこの国の庶民は不安でならないのです。落語家、映画俳優、歌うたいなら、親子何代というのもありえますが、政治家や学者の権力の継承はあってはならないのです。米国と云い北鮮といい、親子での地位の継承は世界に不幸を呼び込むばかりです。
そろそろ年間ベスト選出とかの時期が近いのですよ。一年というのは本当に早いですねえ。まあ、まだ二ヶ月ほぼ丸々残って超気が早いですが 笑。 上半期はこの本たちをおススメしましたとさ →これhttp://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/20080625#p3 下半期は個人的に何度も何度も読んだ本をあげることができ、その意味では当たり年でした。つまりネタ本ですね 笑。専門的なものは無視して一般的なものを五冊とりあえず選びました(順位には意味なしです)。これに出るぞ〜と噂されている知人たちの本がきっとにぎわせてくれるでしょう。 1 岩田規久男『景気ってなんだろう』 これは書評を書きましたのでご参考ください。しかしためになりますよ。とりあえず景気問題についてはこれ一冊で十分でしょう。 景気ってなんだろう (ちくまプリマー新書) 作者: 岩田規久男出版社/メーカー: 筑摩書房
中国の西安と漢中を訪問した。西安とは昔の長安で、漢中は劉邦がここを拠点に項羽を破り、漢を打ち立てたところだ。三国志にも登場する気候温暖、物産豊富で、要害の地でもある。西安は今も大都会だが、漢中は小さな街である。もっとも、漢中全体の人口は四百万人近くなのだから、都市への集中が進んでいないということなのだろう。西安から漢中までの260キロメートルの高速道路が開通したばかりだった。3000メートルを超す山々が連なっている秦嶺山脈にトンネルを掘って作った高速道路だ。中国の人が、日本は平方メートルずつ道を作るが、中国は平方キロメートルずつ道を作ると言ったが、確かにその通りだ。 ただし、道路はできたが、車は走っていない。ときおりトラックが走るだけで、自家用車は走っていない。漢中には自家用車がほとんどなかったから、当然、高速道路にも車が走らない訳だ。この高速道路が過大投資なのか、先見の明ある投資なのかは
東京都足立区内の区立中学校で、2年の学年主任の女性教諭(52)が、忘れ物をした生徒に「愚か者の誓い」として「私が愚かでした。もう忘れません」などと繰り返し書かせていたことが31日、明らかになった。教諭は「忘れ物をしてほしくないという思いで指導したが、行き過ぎた」と話しているという。 学校などによると、この教諭は宿題や提出物を忘れた生徒に、「私は、愚かにも(○○)を忘れました」という文章のかっこ内を埋めさせ、その下に「私が愚かでした。もう○○を忘れません」と7回書かせていた。さらに、何度も提出を忘れた場合は「○○未提出の愚か者」として名前を張り出していた。4年ほど前から行っていたという。 区教委の事情聴取に教諭は「『ばか者』という言葉より『愚か者』の方がソフトだと思ったが、配慮が欠けていた」と反省しているという。区教委は「しかるべき対応をとりたい」としている。
東京都足立区立第九中学校で、数学を担当する2年生の学年主任の女性教諭(52)が授業中、宿題などを忘れた生徒に、「愚か者の誓い」というプリントを渡し、「私が愚か者でした」などと何度も記入させていたことが分かった。 区教委によると、教諭は4年ほど前から、忘れ物をした生徒に「私は、愚かにも(○○○)を忘れました」と書かれたプリントの空欄を埋めさせたうえで、「私が愚かでした。もう○○○を忘れません」と7回書かせていた。さらに繰り返し忘れる生徒の名前を「○○○未提出の愚か者」として教室内に張り出していた。 10月30日、区教委に教諭の行動を問題視する匿名の手紙が届き、教諭に事情を聴いて発覚した。教諭は「忘れ物をしてほしくないと思って指導した。『ばか者』より『愚か者』という言葉の方がソフトだと思ってしまったが、配慮に欠けていた。反省している」と話しているという。 鈴木啓一校長は「熱心な教え方ではあるが
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