爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 中学生の時すごい記録を出した事がある。自分はすごい人間で、これから何かすごい事をしてしまうんだと興奮したのを覚えている。それから練習量を自分で増やすようになり、部活にいても、みんなと自分は向かってる場所が違うんだと思うようになった。有能感と期待感が混じった感じ。 2011-12-15 09:00:10 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 大学に入り末續に出会った。天才とはこういうやつのことを言うんだと思った。彼がハードルをやっていれば僕よりも速かっただろう。彼と同じくらい努力する自信もあったし犠牲を払う自信もあった。でもひっくり返せない才能があると感じた。僕はやればできるとは人に言えなくなった。 2011-12-15 09:01:45 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijap
<ある没になったコピーの思い出> 『人材、嫁ぐ。』 これは、昔、ぼくが書いて没になったコピーだ。 当時の西武百貨店を中心にした 西武流通グループの企業広告のために書いたものだ。 そのころの一般的な企業では、 女性の働く機会というのは、 かなり限られた条件のなかにあった。 仕事を持った女性でも結婚すると 「寿退社」などと呼ばれて、 退職するのが常識のようになっていた。 企業のそういう現状があるなかで、 西武流通グループは、 結婚をして出産した女性が、 子どもに手がかからなくなってから 「再就職」のかたちで職場に復帰しやすいような 新しい人事システムを、つくりはじめていた。 このことを新聞媒体を使った 企業広告シリーズの 次のテーマにしようということで、 ぼくらの仕事はあった。 西武百貨店宣伝部の人たちと、 ぼくら制作者チームとで、何度かの打ち合わせを持ち、 ある程度表現の方向が決まってから、
2011年11月10日09:06 麻雀は「ゴルフの先」である。 カテゴリ麻雀小咄だらだらコラム han_Warai Trackback(0) 先般、一部の麻雀マニアの間ではかなり話題になっていた、プロ連盟の十段戦で「前回覇者・堀内プロの優勝の可能性が、目無しの森山プロの安手リーチで潰された」件について。 私自身オッサンの立場で、「オッサンにとっての麻雀」についてちょっとだけ考察してみよう。オッサンにとって、「知力体力が衰えても若者と渡り合える、むしろ経験をタテに偉そうな顔ができる」趣味って、ホントに貴重である。 プロのプレイヤーの話をすれば、野球は球が遅くなったら投球術でカバーできる、つっても三十代までが華。その点ゴルフはジャンボ尾崎が四十代で7度も賞金王に輝くなど、まあ50ぐらいまで一線級で行ける。そしてこれはプロのプレーを見るだけじゃなく、自分がやることに関しても同じ。メンタル面まで合
結婚式をやった記念に、よそのインターネットに書いた妻とのなれそめエピソードから、適当に日記に書いても問題ない範囲でエピソードを抽出増補改訂するぜ関連。 おれが妻と知り合ったのは学生時代のオタサークル。家庭用ゲームを残金一杯の勇者買いにより部室でミイラ化していたおれに、学食をおごってくれたのがなれそめ。なんとなく片想い同士だったのだが互いに告白しないまま、おれは上京、彼女は地元と生活圏が離れる。思うに「どのみちもっと大きい街に出て行くだろう」と漠然と決めていたおれと、地元に残ることを決めていた彼女が学生時代に付き合っていたら、ふつうに卒業と同時にカップル解消して、結婚までいかなかったと思う。で、その後とくに個人的な連絡は取らず(おれは「現在の生活に関係のあるひと」「いま会えるひと」以外への連絡をほぼしない不精人間なのだ)。数年に一度、彼女が上京した際、ほかの友人と一緒に軽くご飯食べる程度。
私はうつ病ではないが、うつ傾向が強くなることが時々あると自覚している。身の回りの同世代の女性にうつ病が多く、「本格的にうつ病になったら大変」と身にしみているので、本格的に病気にならないように、気をつけてあちこちでブレーキをかけている。しかし、こうして自分でブレーキをかけられるのは、私が根本的に図々しくて、家庭の中で発言権が大きいからできることだと思う。ブレーキをかける、というのは別名「怠ける」ということなので、特に専業主婦ではそれが夫や周囲に理解されないことが多く、「ただ怠けている」というプレッシャーに対して戦う気力もなく、ますます自分を追い込んでいく人が多いだろうことは容易に想像がつく。 私が最近特に辛いのは「料理」である。午後になると夕方が来るのが怖くて、仕事に集中できない。献立を考えるのも店に買い物にいくのも面倒。キッチンに立つと疲れてしまって、気を紛らわすために、いけないと思いつつ
浅井ラボ @ASAILABOT 岩崎さんは自己マネジメントをするといいので、おすすめの本は「もしも高校野球の女子マネージャーがドラッカーを読んだら」というありがちな意見は置いておいて、こういう思春期に傷ついた人が創作の現場に多い。幸せになっていないのも同じ。若いうちに誰かを愛し愛されたほうが長期的に楽。 2011-10-20 08:00:40 浅井ラボ @ASAILABOT 寂しい男の子の「金と女を手に入れ、俺をバカにしたやつらを見返してやる」が幸運と病的な努力で成功する寓話は「ただ一人の愛が欲しかっただけでした」オチ。エピローグも「それに気づかず、その後も逆噴射でより成功を求める病的な努力を続ける。同類の寂しい男の子に飽きられ捨てられるまでは」オチ 2011-10-20 10:24:28
2011年9月15日 日本の若者の幸福度が70%ちかいという事実をどう解釈するか? テーマ: 書評, 社会論 絶望の国の幸福な若者たち という本を読んでいる。かなり面白い。まだ半分くらいしか読んでいないが。その中で、早速、そのとおりと思ったのが、幸福に関する論証だ。 なぜ日本の若者はこんな不幸な状況におかれているのに、立ち上がろうとしないのですか? この本では「なぜなら、日本の若者は実はとっても幸せだからです」という逆説を指摘している。 なんと、自分がいま幸せだと感じる若者は、高度経済成長期やバブル時期よりも顕著で、なんと失われた20年にはいってから今が幸せだと思う若者の割合は増え続け、ついに過去最高の70%に達しようというのだ。 世界幸福度*ランク1位のブータンや北朝鮮にせまろうかという数字。 これはいったいどういうことか。この本の論証によると、 将来の可能性がとざされた人は
現在30歳手前、数年前にテレビ局へ中途で転職した。 色々な所で語られているほど華やかな場所ではなかったが 少なくとも給料は2倍になった(以前は手取り20を切っていた)。 マスコミはみんな1000万プレーヤーなんてのはバブル期以来の幻想なんだけど それでも額面で自分の父親を上回るほど、立派な仕事をしているとは思えなかった。 兎に角、僕は子供の頃からの憧れだったテレビ局で働くことになった。 そして今、言いようのない閉塞感と絶望に打ちひしがれている。 時代を覆う閉塞感、いまを生きる方なら少なからず共有出来るものだと思う。 バブル崩壊後、右肩下がりの時世を過ごしてきた僕も同様、 表現し難い恐怖感、いや、得体のしれない魔物「ぼんやりとした不安」が常について回った。 直接の危害がすぐに及ぶ訳ではない、けれど穏やかに沈んでいく日常が怖かったのだ。 在りきたりな言い方すると「沈みゆく船に乗り合わせた不幸」
結婚歴半年の20代男性です。 私よりも2歳下の妻は、まだ独身気分が抜けないようで、家事の息抜きと称して昔の仲間と会って帰りが遅くなることもしばしばなのですが、特に仲がいいのが学生時代のサークルメンバーを中心としたグループです。 皆家庭がある割には週一程度集まっていて、妻の先輩(A氏)夫妻の自宅が溜まり場になっています。A氏は同じサークルの後輩と結婚して子供もいるのですが、実に子煩悩でまめまめしく育児を行い、また家事もそれなりの分量で行なっているようです。 それを妻は「理想の夫」と言っているのですが…。 実はA氏は卒業後会社勤めが長続きせず、何度か転職を繰り返した結果、今はアルバイトで物書きを目指しているそうです(ちなみに、A氏夫妻の自宅とは、A氏の奥さんの実家が経営するアパートです)。 A氏の奥さんはパートをしており、 家事・育児をA氏が率先してやるのは当然だと思うのですが。 私は仕事が結
「きっと何者にもなれない」あなたへ - 琥珀色の戯言 上記の文章を見て、色々と考えさせられた。 思春期の若い人にとって、「何者かになりたい*1」と願うことは悪いことではないと思う。というより、とても大切なことだろう。思春期においては、等身大の自分自身より大きな目標に憧れて「自分もああなりたい」と思うことは、技能の模索という意味でも、アイデンティティを確立させる意味でも、自分を引っ張っていく力となる。若いうちは、背伸びした服を着ようとするぐらいでちょうどいい。 そして、その背伸びが挫折したらしたで、それは「ああ、俺はこういう人間なんだな」と自分自身を知る手助けにもなる。そういう意味では、思春期のアイデンティティ探索(=私はどういう人間なのかを知る)というのは、成功だけではなく挫折によっても進行する、と言える*2。 しかし、そのような「何者かになりたい」という思いを40歳ぐらいになっても燻らせ
オタク趣味に全霊を注いで輝いていた(かに見えた)斑目が、 いや、「俺たち」が、社会人となり、その有り余る青春リソースを 「仕事」に食い尽くされ、家にかえって眠るまでのわずかな時間を 缶ビールと現在進行中のオタク的事象の「キャッチアップ」 に費やすだけで精一杯、となっていく。p27の「…だっけ?」とかな。 世の流行の上澄みをすくう方法は知ってるから、要所要所は掴んでるけど もう「そこ」にずっぽりハマってる訳じゃない……感じ。 自分を鎧っていたオタク文化はすでに浸透と拡散により、ありふれた ものとなっていて、アイデンティティの構築の軸にはなりそうもない。 俺って何なんだ?何のために生きてる? でもなー、斑目よ。お前いい顔だぜ。いい顔になってるぜ。 1巻の頃の全身全霊でオタ(作品も、それを取り巻く人々の動きも)を 楽しんでいた頃の顔も良かったが、今の顔もいい。 恐ろしいことに人生はまだまだ続く。
「きっと何者にもなれないオタクに限って、写真…カメラ極めようとするよね。」これ、僕もすごくわかる気がします。僕みたいに写真を撮る側の人間が「わかる」とか言っちゃ駄目なんだろうけど、でも同じようなことを言われた時もあるし、写真って絵画や音楽と違って原則的にシャッターを押せば写ってしまうんで、簡単なんですよ。写真を80年間撮り続けている人と今日初めてカメラを持った10歳の子供が同じ露出に設定したカメラを持って同じ立ち位置で同じ方向にレンズを向けたら全く同じ写真が撮れてしまう。これが写真です。「何者にもなれないオタク」ていう言葉が一度何者かになろうとしてそれをあきらめたり挫折した人間や人生に対して何らかの鬱屈を抱えたある種の人間を指すのであれば、そういった人たちがカメラを手に持って「何か出来るかな」「おもしろいな」と考えたりカメラそのものが好きになったりするのは、僕は自分の経験則としてすごくわか
※この文章は、このblogを4年以上前から知っている人以外にはお勧めできません。 2011-08-08 - matakimika@d.hatena id:matakimikaさんが結婚した。 結婚おめでとうございます、とは思いつつも、心中複雑でもある。「あの男が結婚しちゃうなんて!キキー!」とでも言おうか。ショックでもあった。 以下に、matakimikaさんという、一個人のライフスタイルに関心を持っている一ファンの個人的心情を書き殴ってみる。 私は、matakimikaさんは幾つかの点で古いタイプの「おたく」だと認識している。カタカナではなく平仮名で「おたく」と表記するほうが一般的だった頃のような。その理由の第一は、気に入ったひとつのゲームなりアニメなりを、繰り返しゆっくりじっくり愛好するタイプであること。その有様は、録画したビデオテープを擦り切れるほど再生し、購入したゲームを隅々までし
ヒソダさん(仮名)はとてもいい人です。 いい人だよね、と言われる人は大勢います。というか世の人々の多くは、「どちらかといえばいい人」に入るのではないでしょうか。 ですから、「いい人」ってのは別に珍しい存在ではありません。 けれど、ある人にとって「いい人」に思える誰かが、別の誰かにとってはちっとも「いい人」なんかじゃないってことも、よくある話です。 そういう意味では、ヒソダさんはとても珍しい人でした。だって誰もが、彼を「いい人」と褒めるのですから。 ヒソダさんてああ見えて実はちっともいい人じゃないよね。そんな陰口を一切叩かれることがなく、 「ヒソダさんてどんな人?」 という問いに皆が口をそろえて 「いい人だ。とてもいい人だよ」 と答えるというのは、なんだかすごいことだな、と十年前の私は思っていました。 その日も私は、「ヒソダさんはいい人だね」と言いました。 すると友人のルルカ(仮名)は、ぎゅ
塾講師の人から聞いた話。 追記 :ごめんなさい、小学校受験って書いたけど書き間違い。中学受験の話だよ!・・・いや、ほんとにごめんなさい。恥ずかしいです。 1 自分の子供を家だけで囲い込むとほぼ失敗する。 特に、友たちを敵視するような発言をしている親の子供が合格する可能性は低い。 2 「勉強のカリキュラムは塾が、精神面は友人が、身体面は親がサポートする」この基本的な役割を極端に逸脱する家庭では確実にうまくいかない。 親が最も力を発揮するのは、褒めることと、調子がわるい時にフォローすることであり、それ以外に考えなしに手を出すと大抵悪い結果になる。 3 子供が主役で親はサポートであるという原則が理解できていない家庭は確実に失敗する。 例えば親の子供の勉強のやり方に細かく口を出す家は途中で挫折しやすい。 今ひとつぴんと来なかったので、「駄目な方じゃなくて、子供を合格させるために心がけていることは何
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1661798.html 女性向けに「オタクな彼をターゲット」なんて煽りフレーズが生まれる時代になったのか!ちょっと驚いた。と同時に、結婚や男女交際に際して趣味のマッチングを意識するのは良いことだとも思った。 大人向けアニメのBlu-Rayディスクやゲーム専用機が家庭にあるのを許せない女性が、それら無しでは生きていけない男性とどうして暮らせようか。どうせなら、趣味が共通していたほうが一緒に楽しめるし、それが無理としても、趣味ジャンルが比較的近く、お互い寛容になりやすい者同士のほうが摩擦は少なくて済む。そういう意味では、アニメやゲームの好きな者同士のカップリングを望むのは自然なことで、今後、アニメやゲームを軸にした合コンのようなもの*1が増えてきてもおかしくはない。 では、どうやって、趣味ジャンルの近しい異性に
chikumaonline : 婚活という「不都合な真実」(前篇) chikumaonline : 『婚活という「不都合な真実」』(後篇) よく、婚活絡みの話で「異性に求めすぎてはいけない」とか「要求水準を下げる」ってアドバイスを聞きます。曰く、「男性に高すぎる収入を求めてはいけない」とか「女性にルックスを求めすぎてはいけない」とか。まあ、わかる話のような気もします。けれども「要求水準を下げる」って、なんだかネガティブで、難しい割には報いが少ないような気がしませんか。 「要求水準を下げる」って、要は「ただ我慢しろ」って事じゃないですか。アドバイスする側にとって、我慢を説くのはいかにも簡単かもしれませんが、アドバイスされる側にとって、たまったもんじゃありません。そんな我慢と妥協の気持ちを抱えながら何十年も結婚生活していたら、だんだん心が暗くなってしまいそうです。 「要求水準を下げろ」ではなく
初めて相談させていただきます。不慣れなために見苦しい点もあるかとは思いますが、よろしくお願いします。 私も彼も30代半ば。来年結婚するつもりで、お試しで半同棲中です。 先日、彼の部屋を掃除していて、彼の趣味の模型を壊してしまいました。 本当にうっかりなのですが、以前けんかをした時に勢いで壊したことがあるのと、前から私が模型に否定的だったこともあって、またわざと壊したと思っているようです。 また、彼は以前、模型の他に合気道(?)もやっていたのですが、それも私の意見で止めてしまっています。こちらは、時々怪我をして帰ってくるのが心配だったのです。また、練習場に意外に女性が多くて浮気を疑って喧嘩してしまったこともあります。 そんな積み重ねがあってだと思うのですが、家に帰ってきた彼は、壊れた模型を見て「そうか、そういうことか」と呟いたっきり、しばらく呆然としていました。謝る私にも、「もういいよ」と言
※この記事は移転先のブログ「デマこい!」に転載済みです。 最近見つけたこのエントリーがとても興味深かった。 英雄とは“あなた”のことだ 『千の顔をもつ英雄』 -あおぎみれば、空 http://d.hatena.ne.jp/chigui/20110319/1300464019 記事の後半はかなり専門的な内容になってしまうけれど、導入部分は必読。 “いま日本で生きている人には、人生という大きな枠で考えたときにいま自分がどの辺りにいるのか、照らし合わせてみることのできるような“物語”が足りないんじゃないか” ――この指摘には大いに納得させられた。 マンガ家や芸能人などの職業に憧れる人は多い。それらの職業がきらびやかだというだけではなく、どうやってその職種に就いたのか(自伝などで)知られているからだ。その職業で大成するまでの道筋が明かされているので、自分が人生におけるどのあたりのステージにいるのか
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