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鉄道に関するTakapyonのブックマーク (3)

  • ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった|pato|note

    ここにあった文章はすったもんだの末、https://sakumaga.sakura.ad.jp/entry/2020/10/07/120000 に移動しました

    ’89 牧瀬里穂のJR東海クリスマスエクスプレスのCMが良すぎて書き殴ってしまった|pato|note
  • 日本各地を「急行」が走っていたあの頃の記憶

    今ではJR線上から姿を消した「急行列車」。だが約40年前、1977(昭和52)年初版の拙著『特急・急行大百科』(「ケイブンシャの大百科」シリーズ)では、筆者は当時の国鉄の急行列車をすべて現地写真取材し、その数は179列車に及んだ。 当時は急行列車の全盛期だったが、それにしても急行がそれほどあったとは改めて驚きだ。しかし、その後急行は相次いで姿を消し、今やJRの定期列車としては1も存在しない。すっかり淘汰されてしまった急行列車の数々を思い起こしながら、その系譜を振り返ってみたい。 長距離を走った客車急行 長距離を走る急行列車の多くは客車を機関車が牽引する列車だった。昭和30年代、東海道・山陽線を走破して東京と九州を結んだ長距離急行「高千穂」「雲仙」などは、東京からの電化区間はEF58形などの電気機関車が牽引し、まだ電化されていなかった岡山以西や九州内はC59形蒸気機関車などが先頭に立った

    日本各地を「急行」が走っていたあの頃の記憶
  • 脳内エア吹奏楽団に出迎えられてモスクワ到着

    2等車での長時間移動に慣れた身にとって、1等車の旅は確かに落ち着いて優雅なものだった。2等車のコンパートメントは日中ドアを開け放しにしているところが多く、トイレやお湯を使う人がしょっちゅう出たり入ったりするので、通路を歩いていても生活感が伝わってきた。 ところが、この1等車では、コンパートメントのドアはどこも締め切ったまま。人の声も聞こえないものだから、はたして何人乗っているのやら。そもそも定員が2等車の半分だから、トイレに行く頻度も半分になるわけで、あまり人の気配を感じなかったのである。 そんな静かな環境の中、長時間停車があるたびにホームに出たり、ドアを開けて通路側の車窓を眺めたりしている落ち着きのない私たちは、まるで異質の存在だった。 アネゴ車掌にとってみれば、乗客は静かだし、列車は駅にあまり停まらない特急タイプだったから比較的ゆとりのある仕事だったのだろう。つまり、私たちは、彼女にと

    脳内エア吹奏楽団に出迎えられてモスクワ到着
    Takapyon
    Takapyon 2016/02/27
    脳内エア吹奏楽団に出迎えられてモスクワ到着
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