山口県光市で1999年に母子2人が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われ、差し戻し後の控訴審で死刑となった元会社員大月孝行被告(30)(犯行時18歳1か月)について、最高裁第1小法廷(金築誠志裁判長)は20日、被告の上告を棄却する判決を言い渡した。 死刑が確定する。 判決によると、大月被告は99年4月、排水検査の作業員を装って近所の会社員本村洋さん方を訪れ、妻弥生さん(当時23歳)を乱暴目的で襲って、抵抗されたことから両手で首を絞めて殺害した。泣きやまなかった長女の夕夏ちゃん(同11か月)も、ひもで首を絞めて殺し、財布を盗んで逃走した。 最高裁によると、記録が残る66年以降、犯行時少年で死刑が確定したのは12人。60~70年代は被害者が1人のケースもあったが、連続射殺事件の永山則夫・元死刑囚(犯行時19歳)の判決確定(90年)以降は、いずれも被害者数が4人だった。 ◇
◇背景に弾圧、抵抗の歴史 「中心課題は三つ。中国は、少数だが死刑廃止の模索が動き出している。米国も廃止する州の数は増えていく。一番難しいのはイスラム原理主義国だ」 10月10日の世界死刑廃止デーに合わせて8日開かれたパリ弁護士会館の集会で、死刑廃止運動のシンボル的な存在であるバダンテール元仏法相は熱弁を振るった。 中国の模索とは、反体制運動のことではない。司法界の中枢に、成長を続ける経済大国として、司法の近代化や社会の開放が進めば、死刑廃止も視野に入れなければならないという考えが生まれていることを指す。 フランスは中国の司法官100人を招いて研修を行った。バダンテール氏は訪中した際、元検事総長から「機は熟していないが、将来は廃止へ向かう」と説明されたという。 死刑判決はすべて最高人民法院が再審理し(07年)、死刑適用の罪の数を減らす(10年)といった微々たる変化も表れている。 そもそも死刑
「殺すな、という主張に論拠は要らない」というテーゼを認めなかった人々はもちろん自覚していないだろうが、「殺すな、という主張に論拠が必要」だとすれば「もしお前が殺されたくないのならば、お前を殺してはならない理由を明らかにせよ」という要求を正当なものと認めなければならない。 そして実際のところ、ある種の人々は「もしお前が殺されたくないのならば、お前を殺してはならない理由を明らかにせよ」という理不尽きわまりない要求を突きつけられているのである。例えば1937年12月に日本軍が「便衣兵」として殺害した南京市民や中国軍将兵。あるいはセックスワーカー。1987年、池袋でホテトル嬢が客を刺殺した事件の判決はよく知られていよう。このケースを過剰防衛とした判断それ自体が直ちに不当であるとは言えないが、「被告人の性的自由及び身体の自由に対する侵害の程度については、これを一般の婦女子に対する場合と同列に論じるこ
何万、何十万という人間の死にこの社会が負っている責任を意にも介さないような「国民の正義感情」が死刑制度を支える論拠足りうるのか? を問題にしたエントリに対して、ブクマなりコメント欄なりで文句つけに来た人間の中に、ただの一人も、たとえただのエクスキューズとしてであれ、「いや確かに小泉の責任が追及されてないことは問題ですが」とか「名古屋市民ですがリコールが成立したら河村たかしには入れません」とか「ブッシュは平和に対する罪で訴追されるべきですが、それでも死刑にすべきでないと思いますか?」とか言ってみせた人間がいなかった、というのは極めて興味深いね。 追記 オレ、ちゃんとこう書いておいたんだけどな。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国
私も以前は「なぜ死刑を廃止すべきか」の論拠をどう表現するかいろいろと考えたものですが、最近は実にシンプルな主張に落ち着きました。「殺すな、という主張に根拠は要らない」です。 こういう境地に達するうえで、南京事件否定論者の言動をフォローして来たことは大いに関係しています。「捕虜を殺したのは正当である」と主張するために様々な詭弁を弄する人々を見ていると、そうした主張に対して国際法やら当時の軍事的情勢やらを引き合いに出して「いや、あの捕虜を殺すのは不当だった」と反論するのは実は間違っているのではないか、とすら思えてきますから。 死刑存置論はしばしば「国民の正義感情」を論拠にしますが、しかしこの「正義感情」たるや、被害者の数が膨大で“顔が見えなくなる”とかえって被害者への関心を失ってしまうようなシロモノです。だって、9割近くが死刑を支持するその社会で、万の単位で被害者のいる大虐殺を否定するために詭
死刑絶対肯定論―無期懲役囚の主張 (新潮新書) 作者: 美達大和出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/07メディア: 新書購入: 1人 クリック: 111回この商品を含むブログ (34件) を見る 出版社/著者からの内容紹介 哀しい事実だが、犯罪者のほとんどは反省しない。監獄法の改正後、圧倒的に「自由」になった刑務所では、今日も受刑者たちの笑い声が響いている。裁判では頭を垂れるも内輪では「次は捕まらないよ」とうそぶく彼らを前に、何をすれば良いのか。犯罪者を熟知する著者は、彼ら自身を「死」と向き合わせるために「執行猶予付き死刑」を導入せよ、と説く。現役の無期囚が塀の内側から放つ、圧倒的にリアルな量刑論。 刑務所に入れば、人は「反省」するのだろうか? 僕はずっとそういう疑問を抱いています。 そりゃ、「娑婆」に比べたら自由はきかないし、食事だって娯楽だって劣っているに決まっています。 で
The Associated Press Monday, June 11, 2007; 4:53 AM -- Anti-death penalty forces have gained momentum in the past few years, with a moratorium in Illinois, court disputes over lethal injection in more than a half-dozen states and progress toward outright abolishment in New Jersey. The steady drumbeat of DNA exonerations _ pointing out flaws in the justice system _ has weighed against capital punis
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く