島根県の「竹島問題研究会」は1日、竹島が記された江戸時代(1760年代)の日本地図2枚を確認したと明らかにした。 竹島を描いた最古の日本地図は水戸藩の地理学者長久保赤水(1717~1801年)作製の「改正日本輿地路程全図」(1779年)だったが、この2枚も長久保が同全図の下図などとして作ったとみられる。 研究会は「これまでよりも少なくとも10年さかのぼって、竹島が日本領であることを補強する資料」としている。 2枚は、1760年代作成の「日本図」(縦約66センチ、横約67センチ)と、1768年の「改製日本扶桑分里図」(縦約85センチ、横約135センチ)。2枚とも、現在の竹島を「松島」、韓国領・鬱陵島を「竹島」と表記している。 分里図には、鬱陵島の横に「見高麗猶雲州望隠州」と記され、「鬱陵島から朝鮮(高麗)を見るのは、出雲国(雲州)から隠岐国(隠州)を見るくらい近い」と読めるという。