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animeとn_古谷利裕に関するbartleby0911のブックマーク (3)

  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●『ユリ熊嵐』第一話。快調な滑り出しという感じ。とても楽しい。 「ピングドラム」では、まずなんといっても「せいぞーんせんりゃくー」で、がっつりと人の心を掴んだのだけど、「ユリ熊嵐」では、そのような一発掴みはなくて、そのかわりたくさんのギミックがいろいろ散らしてある感じ(「デリシャスメル」は、それだけでは「生存戦略」ほどのインパクトはないが――せいぜい「ファビュラスマックス」くらいの感じ――様々な合わせ技との関係で生きる感じ)。 ただ、主題的には「ピングドラム」や「ウテナ」に比べると単調になるかもしれないという危険を、ちょっと感じる(まあ、でもまだ一話目だから…)。「透明な嵐」というのは要するに集団のなかで発生する同調圧力的なイジメ的なものの力で、それに対し「好きをあきらめない」というのは、群れの空気に埋没しない個と個の関係を貫くということで、そこに「承認(超越的な裁き)」とか「熊」とかいう

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    ●『進撃の巨人』、一応最後まで観た。といっても、話は全然終わっていないし、区切りすらついていない感じ。 で、結局これって「ブラック企業万歳」という話なのか、と思ってしまった。というか、世界全体がブラック企業化してしまったとしたら、そこで生きる人は、それぞれのやり方でそれに必死に適応する(ブラックに染まる)しかない、という話だというべきか。世界全体が脅迫と脅迫で塗りつぶされ、無根拠に繰り返し回帰してくる圧倒的な(ほとんど恐怖症的な)恐怖と破壊によって尻を叩かれ、環境への過剰なまでの適応へと、追い込まれるように強要される。そこでは主体には常に莫大な負荷がかかり、その負荷が適応へのモーターのさらなる動力源となり、必要以上の適応への希求がほとんど自滅(自傷)への希求と区別がつかないほどにまで昂進する(「エヴァ」のシンジのように、悩んだり逡巡したりできる余裕さえない、そしてここには、「同志」はいても

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    bartleby0911
    bartleby0911 2014/01/06
    “「この世界は残酷だ、しかし美しい」という決めゼリフのようなセリフがあるけど、この作品世界は、確かに残酷だけど、ちっとも美しくはない。これを「美しい」と思ってしまうことこそがヤバいんだ、とぼくは思う。
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    ●キャンバス(F15)に、モデリングペースト、水彩絵の具。 ●『もののけ姫』。改めて、これはすごいな、と思った。ただ、とんでもなくすごいことは確かなのだけど、いまひとつ面白くない。とはいえ、いまひとつ面白くないということをもって否定できるような、そんな程度のすごさの作品ではない、というくらいのすごさがある。これだけのことをやり切れる人はきっと他にはいないし、これだけのものに対して文句をつけられる人もいない。ただただ、圧倒される。でも、やはり、いまひとつ面白くないことは事実だ、ということを付け加えたくはなる。 (ここで、「いまひとつ面白くない」というのは、例えばクオリティが低いとか、あそこの演出がいまいちとか、そのようなことではなくて、あくまで、いつものあの「のってくる」感じが希薄だ、というような、主観的な印象の問題だし、それこそが重要だと思うのだ。) とんでもなく大きな風呂敷を広げて、その

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