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●洗濯機をまわし、小一時間散歩に出る。桜は、少し散って、花の量が八割くらいになっている。住宅街を散歩するのは、もっとも閑散としている午前十時頃が一番だなあと思った。昨日と同じ道を通り、同じ角を同じ方向へ曲がれば、必ず同じ場所に行き着くが、別の方向に曲がると、決して同じ場所にはたどり着かない。このまったく当たり前のことを(世界がそのような確かさをもってあらわれることを)、ものすごい奇跡のように感じながら歩いた。 帰って、昨日一昨日で書いた原稿を読み返し、少し直した。ほぼ三十枚になった。原稿をメールで送信すると、まるで折り返しのようにすぐに、編集者から感想の電話があって驚いた。 ●なぜ人は、自分のやっていることを外から(上から)説明されないと安心できないのかなあと、つくづく(苛立ちつつ)思う。それは逆に、なぜ、外から(上から)いかにももっともらしいお墨付きがやってくると、簡単に納得してしまうの
母の葬儀が終わり、初七日も済ませて やっと母の遺骨が久が原の実家へ戻ってきた。 二ヶ月前に骨折で入院したときに、 以後は歩行が困難になりそうだということで、 入院中に部屋を改装したのである。 半世紀住んでいた部屋の北面の壁は朽ちており、 ところどころに穴が開き、ねずみの棲家になっていた。 棚という棚には、使わない食器、なべ、ガラス器が詰め込まれており、 そのほとんどを廃棄した。 もう数年老夫婦がここで過ごしていたら、ほとんど ごみ屋敷と化していたような状態であった。 片っ端から片付けている間、 老夫婦の身体がいうことをきかなくなって、片付ける気力が 萎えていたことが知れて、なんともいえない気持ちになった。 入院一ヵ月半のところで、改装が終わり、 井戸水を汲んで、裏玄関の外で洗濯をしていた生活に 終止符を打ち、近代的なシステムキッチン、スイッチひとつで 焚ける風呂,室内の全自動洗濯機が 母親
<茂木健一郎から斎藤環への手紙> ■不同意であることを同意する 斎藤環さま。 とても興味深いお手紙を、ありがとうございました。 私たちの祖先は、アフリカで誕生し、それから世界各地に散らばっていったと考えられています。遠くへ、もっと遠くへと赴こうとするのは、どうやら私たちの本能のようです。物理的空間だけでなく、概念の世界のなかにおいても。できるだけ、遠くにいくには、どうすればよいか。斎藤さんの議論を拝読しながら、なぜかそんなことを考えていました。 議論をするということの意味は、いったいなんでしょう? 斎藤さんは、依然として私の観点の多くに同意できないといわれる。私は、それでもよいのかもしれないと思います。そもそも、多様性を育むことをよしとする現代において、共感とか同意などだけに価値を置く必要はないと考えるからです。 むしろ、お互いの立場がどれほど離れているかを確認する。そうして、とりあえずは
忙しい。 毎月のことだが、ほとんどすべての仕事が最初の一週間に集中している。今日一日がんばったら、2~3日ぼんやりして、それから先のことを考えることにしよう。 ところで、朝日新聞がやっている「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンって、ちょっと変だよね。 朝日新聞のご案内ページ 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」 あれのCMをテレビで見ると、微妙にはずかしい気持ちになる。 なぜなんだろう? おそらく、朝日新聞社自身が、自分たちの「言葉のチカラ」を信じていないように見えるところがイタイのだと思う。 なにより、「言葉のチカラ」と、「力」をカタカナ表記にしているところがよろしくない。コピーライターの心のふるえが露呈している、というのか、斜に構えている感じがするわけだ。 「それでも私たちは信じている、言葉の力を」 と言い切
●リベットによれば、我々の知覚意識は、外界に対して常に0.5秒遅れているという。実験では、脳への電気的刺激が0.5秒以上持続しない場合、その刺激は受検者に意識されないらしい。つまり、脳の神経細胞は、0.5秒以上持続しない刺激は意識にのぼらせない。刺激が0.5秒持続してはじめて、人はそれを意識する。たんなる脊髄反射ではなく、脳による計算過程を経た反応でも、無意識の反応であれば、外的刺激から0.15秒程度の遅れで対応出来るらしいのだが、意識はそれからさらに約0.35秒遅れてやってくる。それはつまり、先に無意識のうちにからだが動いてしまってから、後付け的に意識がその根拠を構成するということだろう。私がこのように考えた、あるいは感じたから、このように動いた、というのではなく、先に、このように動いてしまったという事実から、その言い訳として「原因」としての意志-意識がねつ造される、と。原因-理由は事後
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(一昨日からのつづき、柴崎友香『ドリーマーズ』について。) ●でも、一昨日からのつづきの前にちょっとだけ。『おろち』をDVDで観たのだが、これがとても面白かった。この作品は、楳図かずおの映画化でも、鶴田法男の監督作品でもなく、脚本の高橋洋の作品というべきものだと思う。鶴田法男は、自身の作家性を抑制して、高橋洋の脚本に奉仕していて、それがすごくうまくいっているように思う。時間の内部で生きるしかない人間にとって、時間の外に存在するイメージは、「運命」として、「呪い」として作用する。ここで「血」の意味するものは、時間の外にあって繰り返し回帰してくるイメージの同一性のことだろう。時間とイメージとの相克が、人間にとっていかに重たいものであるのか。それを、時間の内側と外側を行き来する「おろち」という存在を媒介とすることで形象化している。 ●現実も夢も、感覚として与えられるものの質としては基本的に違いは
TLG GROUPは社会に貢献できる企業を目指し、信頼と安心に重きを置きながらも、新しい事に挑戦し続ける企業であり続けます。 地域活性化事業:地域活性化事例の研究 地域づくりの現場を調査したり、地域を再生、活性化するための戦略や事例を研究しています。また、ひとづくり研修や交流事業も行ったり、日本橋イベントスペースで物産フェアや、自治体アンテナショップの実態の調査や研究も行っております。「エネルギッシュで自立した地域社会」の実現するため、まちおこし、地域活性化等、地域社会のための諸活動の助成・支援事業も行っております。 情報提供事業:金融メディアの運営 / 大学教授インタビュー ファイナンシャルプランナーなどの専門家の監修のもと、FXや仮想通貨などの金融メディアを運営しています。「世の中のお金の疑問を解決する」をコンセプトとし、 国家資格1級のファイナンシャルプランナー技能や、日本FP協会の
●『ヴィレッジ』(M・ナイト・シャマラン)をDVDで。例えば、画面から赤という色を徹底的に排除することで、画面への不意の赤の侵入を不吉なものの「しるし」とする。これは決して自然なことではなく人為的な操作で、しかもその手口はかなり見え透いている。しかし、そのしくみを分かっていたとしても、画面のなかに赤が侵入すると、それを観る観客はドキッとする。作者によって意識的に操作されたものだと分かっていても、そこになにかしらの「しるし」を読み取らざるを得ない。シャマランの映画はまさにそのようなものとしてある。 世界はまさに薄っぺらである。この、いつの時代か分からないファンタジー的な舞台は、長い歴史によって支えられたものでも、無時間的な永続のなかにあるものでもない。年長者たちの世代によって設立されたフィクションが、その子供たちの世代によって生きられているに過ぎない。あたかも、長い時間ずっとつづいて村の秩序
忙しいんかも知らんけど日記くらい書け、とあるお方から愛あるお叱りを受けて、 まあ忙しい、忙しいけれども常軌を逸するのはおろか忙殺されるほどでもなんでもなく、寝るのはきっちり8時間もあるどうしようもなく健康的なわたしは、 そうよ、書くわよってんで、書きます。 まあ忙しいのよ。や、忙しいという定義からしてようわからん。だって自由業みたいなもんで、なんもないし、やることがあるけれども、そんなぎゅうぎゅうでもないし、歌うたったり録音したり歌詞書いたり人にあったり打ち合わせしたり、っていうのがわたしの大事な大事な仕事ですが、まあ、それとて好きでやってることで、大体そういうのにまつわる忙しさなんていうのは忙しいのでもなんでもない。でも頭の中はどうかというと、不穏である。不穏の粋の巣屈であって、こう、山手線、はたまたタクシーに乗っておっても、はたまたオムライスを食べていてもこう、何かしら、いるだけ
私たちの仕事はものを製造することではない。クライアントのマーケティングとマーケティング・コミュニケーション策定作業をサポートするサービスである。したがって、商品や営業現場の実態、さらには事業構想について知見はクライアントにかなわないとしても、生活者への洞察、思考の整理法、コミュニケーション効率、正しい言葉といった知識については、たとえ微差であっても、つねにクライアントの先を行くべく努力を重ねなければならない。同時に、先にあげたようなクライアント固有の知識については、つねに教えを請う姿勢で臨まなければならない。 つまり、学び続けなければ私たちの仕事は成り立たない、ということだ。こういう言い方をするとすぐに、OK、じゃあ教えてください、研修を!といった発想になる人がいる。もちろん、研修といった制度的な学習機会は重要だし、学習の根源では人との対話がかかせない、いやむしろ対話こそが学習だ、といえる
●あたらしく書く作家論のために、その作家の小説を改めて読み直すことをはじめた。この作家の本は余白が多いので、絵が描き込みやすい。線的に流れる文章で表現されたものを、一望できる絵や図という形に置き換えて理解するのは邪道ではないかと、ぼくも思う。でもこれは、ゆっくり、じっくりと読むための技法なのだ。絵を描くためには、何度かそこを読み返す必要があるし、どんな角度から、どんな風に描くのが適当なのかを考えるし、何より、絵を描いている間は次のページに進めない(本のそのページに直接描き込むので)。描いているその間の時間、ひとつの場面、ひとつの文章に留まっていることが出来る。絵を描くことそのものが目的なのではなく、そのようにして、同じ場面を何度も反芻し、反芻を繰り返しながらゆっくりと進んでゆき、その小説の内部に長い時間留まっていることこそが重要なのだ。それと、手を動かしながら読む--考える、ということも、
●昨日一日、ジョン・レノンの名前がどうしても思い出せなかった時、記憶喪失というのはきっとこんな感じなのだろうと感じられた。たんなるど忘れなのだが、本当に文字通り「ジョン・○○○」という感じで、「○」の部分が真っ白というか真っ暗で、知らないはずがないことなのに、そこへと至る経路が閉ざされてしまっていて、それはまさに頭のなかに深い穴が空いてしまったようで、「それを知っていたはずだ」という記憶の方があやしく感じられてしまうほどだった。思い出せないというよりも、この世界にははじめから「○○○」の部分など存在しなかったかのようにさえ感じられてしまう。勿論、ジョン・レノンの存在そのものを忘れてしまったわけではないし、その顔は思い浮かべられるし、何枚かのジャケットも、曲そのものも思い浮かべることができる。そして、彼は「ジョン」と呼ばれている、ということも、すんなり思い出せる。しかし「ジョン」の先が真っ白
今の自分は、出会った人や読んできた本によって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…
[rakuten:book:13069077:image][rakuten:book:12728794:image]『新潮』6月号に掲載されている川上弘美+福岡伸一の「いのちのふるまいを記述する方法」を読む。(2009年3月25日・紀伊国屋サザンシアターにて) 福岡 私も川上さんの小説を読んで、いろんなことを考えさせられました。『どこから行っても遠い町』の表題作の主人公は、自分は何事も決めずにここまで生きてきたという人物ですが、ある時「でもそれは、違っていた」と気づく非常に決定的な場面がありますよね。妻にも娘にも愛人にも、何も決定的なことを言ってこなかったし、すべてを委ねて生きてきた。それにもかかわらず、自分が存在しているだけで、何かを決めていたんだと気づく。その場面を読んだ時、私はちょと震えてしまいました。 川上 どうもありがとうございます。 福岡 実は細胞の世界にも、それと同じことがあ
●ブリジストン美術館にはセザンヌの自画像がある(「サントヴィクトワール山」もあるはずなのだが、どこかに貸し出されているためなのか、なかった)。この絵が目の端にでもチラッと映ると、あっ、セザンヌがいる、と思って緊張する。近付いてゆくと、セザンヌがこっちを見てる、と思ってさらに緊張する。自分は、セザンヌのこの視線に値する存在なのか。この、セザンヌの自画像の前に立って恥ずかしくないことをちゃんとしているのか、と。セザンヌに対する約束をちゃんと実行しようと努力しているのか、と思って、気後れしてしまう。身が引き締まる、とか言えればいいのだが、どこか後ろめたいところがあるのか、気後れする、という感じが強い。 ブリジストン美術館を観ていると、やはり「絵画」という何かがあるのだという思いが強くなる。それはジャンルということとはちょっと違う。それは長いこと受け継がれてきた約束のようなものであり、その約束はあ
●個人的なつまらない話だが、『構造と力』を読んだのは高校一年の時だった。日本の現代文学、大江健三郎や中上健次や金井美恵子や、当時「現代思想」と呼ばれていたようなものなどを読むようになったのも、高校一年の年、1983年だ。しかしその時、同じような本を読んでいた人はまわりには一人もいなかった。学校の友人たちとか、日常的に接する人たち、日常的なリアルな生活圏とそれらの本に書かれていることとは、まったく何の接点もなかった。読んだ本について話が出来る人も一人もいなかった。それらの本の内容は、孤独のなかで読まれ、ただ孤独に受け止められるだけだった。その後、「批評空間」などを購読している時も、まわりに同じものを読む人はまったくいなかった。予備校でも、大学でも。そして、それはそういうもので、当然のことだと思っていた。おおきくみれば、ぼくはドンピシャで、ニューアカ世代であり「批評空間」世代であるのだが、その
保坂和志は『途方に暮れて、人生論』のなかで、こんなことを書いている。 人生とは本質において、誰にとっても、「遅く生まれすぎた」か「早く生まれすぎた」かのどちらかを感じるようにできているものなのではないか。つまり、個人が人生において直接経験することなんてたいしたことではないし、他人に向かって語るべきものでもない。/ どう表現すれば人に伝わるかわからないのだが、自分の人生においてすら、自分が当事者であることは些細なことなのだ。(p.19) “遅く/早く生まれすぎた”感じ、というと、俺はビーチ・ボーイズの"I Just Wasn't Made for These Times"をおもい出す(邦題が"間違った時代に生まれた")のだけど、ジム・フジーリはこの曲について、『ペット・サウンズ』のなかでこう書いていた。 この曲を聴いたときに僕は思った。ああ、こんな風に感じているのは自分ひとりじゃなかったんだ
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