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textに関するbartleby0911のブックマーク (88)

  • 潮の匂いは。 | 文芸部|宮城県石巻西高等学校

    12月22日(金)冬季休業前の全校集会を行いました。全校集会では、各種大会で入賞した生徒たちの賞状伝達を行った後、校長先生からご自身の体験談と東松島市の魅力を伝えるお話をいただきました。集会を締めくくる校歌斉唱は吹奏楽部の生徒たちの歌声に合わせて全校生徒が歌うスタイルで実施しました。集会後の諸連絡では学習支援部長が全校生徒に対して期待のメッセージを送りました。1月9日(火)より学校生活が再開します。生徒が元気な姿で登校することを期待しています。

  • Translators United for Peace - 速報874号 エジプトの若者からのメッセージ

    ◎エジプトにてベルリンの壁崩壊の再現なるか ニュースでご覧の通り、エジプトで現在、政治の正常化を求める市民の気運が大きく高まっています。ベルリンの壁が崩壊した時に似て、現在、私たちは草の根からの革命を目撃しているのかも知れません。 エジプトでは、約30年前、時の大統領のサーダートが殺され、非常事態が宣言され、当時、副大統領だったムバーラクが大統領になりました。以来今日まで、非常事態宣言は解除されていません。つまり、非常事態が 30年継続していて、その中で、大統領が自分に都合のいいように法を作り変えている状態が続いています。エジプトは、アラブの大義を裏切って、イスラエルと単独和平を結んだ結果、アラブ連盟から追放されましたが、そんなエジプト、つまりはムバーラク大統領の独裁制を、アメリカが全面的に援助してきました。そして、それに反対するエジプト人民の声や運動はずっと抑圧、弾圧されてきています。

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    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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  • 空中キャンプ::なぜ、傷が必要とされるのか

    映画「ファイト・クラブ」において描かれるのは、タイラー・ダーデン(ブラッド・ピット)率いる地下拳闘組織だが、わたしがとても印象に残っているのは、そのメンバーになるためには、薬品で手の甲を火傷させなければいけないという、奇妙なルールが設定されていることだった。失神するほどの苦痛をともない、その傷跡は決して消えない。そうした傷を負ったものだけが、ファイト・クラブのメンバーになれるわけだ。 わたしは、この設定にとても納得したことを覚えている。理由はうまくいえなかったが、このルールは魅力的だったし、ストーリーにおいても欠かせないものだとかんじた。映画ぜんたいを通して、傷、苦痛、敗北といったものが、肯定的にとらえられているのもおもしろい。では、この映画を見た者がかんじる、ふるい立つような高揚感、おもわず叫びたくなるような生そのものの肯定、それらの理由はどこにあって、どのように説明すればいいのかという

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    bartleby0911 2011/01/24
    ジジェクは、「もし、この世界に生きていることを実感したければ(=象徴化)、まずは傷を受け入れなさい」といっているのだ。これはまっすぐに、わたしが「ファイト・クラブ」から受けとった、生の肯定に一致する。
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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    bartleby0911
    bartleby0911 2011/01/19
    「どうやら俺が生命を維持するためには、世界に参加する必要があるらしい。そして参加した以上、世界は俺を放置してくれないらしい」
  • Google Reader

    Thank you for stopping by. Google Reader has been discontinued. We want to thank all our loyal fans. We understand you may not agree with this decision, but we hope you'll come to love these alternatives as much as you loved Reader. Sincerely, The Google Reader team Frequently-asked questions What will happen to my Google Reader data? All Google Reader subscription data (eg. lists of people that y

    bartleby0911
    bartleby0911 2010/01/07
    私たちが自分たちの国民的アイデンティティとして、それに基づいて思考し、行動するのはいつだって「歴史的事実」そのものではなく、「歴史的事実として選択された『物語』」だからである。 「ほんとうは何があった
  • コラムニスト宣言 - 偉愚庵亭憮録

    忙しい。 毎月のことだが、ほとんどすべての仕事が最初の一週間に集中している。今日一日がんばったら、2~3日ぼんやりして、それから先のことを考えることにしよう。 ところで、朝日新聞がやっている「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンって、ちょっと変だよね。 朝日新聞のご案内ページ 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」 あれのCMをテレビで見ると、微妙にはずかしい気持ちになる。 なぜなんだろう? おそらく、朝日新聞社自身が、自分たちの「言葉のチカラ」を信じていないように見えるところがイタイのだと思う。 なにより、「言葉のチカラ」と、「力」をカタカナ表記にしているところがよろしくない。コピーライターの心のふるえが露呈している、というのか、斜に構えている感じがするわけだ。 「それでも私たちは信じている、言葉の力を」 と言い切

    コラムニスト宣言 - 偉愚庵亭憮録
    bartleby0911
    bartleby0911 2009/11/18
    ところで、朝日新聞がやっている「ジャーナリスト宣言。」キャンペーンって、ちょっと変だよね。
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●リベットによれば、我々の知覚意識は、外界に対して常に0.5秒遅れているという。実験では、脳への電気的刺激が0.5秒以上持続しない場合、その刺激は受検者に意識されないらしい。つまり、脳の神経細胞は、0.5秒以上持続しない刺激は意識にのぼらせない。刺激が0.5秒持続してはじめて、人はそれを意識する。たんなる脊髄反射ではなく、脳による計算過程を経た反応でも、無意識の反応であれば、外的刺激から0.15秒程度の遅れで対応出来るらしいのだが、意識はそれからさらに約0.35秒遅れてやってくる。それはつまり、先に無意識のうちにからだが動いてしまってから、後付け的に意識がその根拠を構成するということだろう。私がこのように考えた、あるいは感じたから、このように動いた、というのではなく、先に、このように動いてしまったという事実から、その言い訳として「原因」としての意志-意識がねつ造される、と。原因-理由は事後

    ■ - 偽日記@はてなブログ
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    bartleby0911 2009/11/11
    我々の意識は、決して「今を生きる」ことはなく、意識にとっては現在すらも既に想起としてある、ということではないか。我々は現在を思い出しながら生きている。現在こそが想起である、というこの事実こそが、フィク
  • グーグルが本を殺す? - 恵文社一乗寺店|店長日記

    先日のニュースによると、米司法局が連邦裁判所に対してGoogleブックサービスの和解案を承認すべきではないとの助言をしたそうです。これによって10月の承認審理にどれくらいの影響があるのかはわかりませんが、少なくともGoogleのやり方が独占禁止法などに抵触するという考え方がより浸透しそうです。これまでに新聞や雑誌などでGoogleブックサービス関連の記事をいくつも目にして来て、いつも何かしらの違和感を抱いていたのですが、先日出版されたわかりやすく流れをまとめた『グーグルを殺す』*1を読んでみて、この自体に対して感じた違和感を含め、書店の立場として色々と考えてみました。まず、世界中のをデータ化し、誰しもが平等に閲覧できるシステムを作り上げるというGoogleの理想自体を否定する理由は見当たりません。国会図書館だって誰しもが情報にアクセスできる国内出版物の巨大なアーカイブを目指している

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    bartleby0911 2009/11/11
    "Don't be evil"が社訓のGoogleですが、邪悪にならないと志せるのは、社内にいる人間一人一人であって、それらの集合体である私企業は別人格を持っています。
  • 未映子の純粋悲性批判: 悲しみを撃つ手

    忙しいんかも知らんけど日記くらい書け、とあるお方から愛あるお叱りを受けて、 まあ忙しい、忙しいけれども常軌を逸するのはおろか忙殺されるほどでもなんでもなく、寝るのはきっちり8時間もあるどうしようもなく健康的なわたしは、 そうよ、書くわよってんで、書きます。 まあ忙しいのよ。や、忙しいという定義からしてようわからん。だって自由業みたいなもんで、なんもないし、やることがあるけれども、そんなぎゅうぎゅうでもないし、歌うたったり録音したり歌詞書いたり人にあったり打ち合わせしたり、っていうのがわたしの大事な大事な仕事ですが、まあ、それとて好きでやってることで、大体そういうのにまつわる忙しさなんていうのは忙しいのでもなんでもない。でも頭の中はどうかというと、不穏である。不穏の粋の巣屈であって、こう、山手線、はたまたタクシーに乗っておっても、はたまたオムライスをべていてもこう、何かしら、いるだけ

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    bartleby0911 2009/08/10
    まあ気分を。気分を笑って、それが出来れば、こう噴水のきらめきを見て、晴れ渡る青々とした天を見つめつづけたとて、世界に余計な意味を付け足そうとするわたしのこのどうしようもない醜悪を、可愛いもんよと、フィ
  • すべては言葉から。 - 考えるための道具箱

    私たちの仕事はものを製造することではない。クライアントのマーケティングとマーケティング・コミュニケーション策定作業をサポートするサービスである。したがって、商品や営業現場の実態、さらには事業構想について知見はクライアントにかなわないとしても、生活者への洞察、思考の整理法、コミュニケーション効率、正しい言葉といった知識については、たとえ微差であっても、つねにクライアントの先を行くべく努力を重ねなければならない。同時に、先にあげたようなクライアント固有の知識については、つねに教えを請う姿勢で臨まなければならない。 つまり、学び続けなければ私たちの仕事は成り立たない、ということだ。こういう言い方をするとすぐに、OK、じゃあ教えてください、研修を!といった発想になる人がいる。もちろん、研修といった制度的な学習機会は重要だし、学習の根源では人との対話がかかせない、いやむしろ対話こそが学習だ、といえる

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    bartleby0911 2009/07/30
    そういった慣用語にある手垢は よほど計算づくでないとノイズに なってしまうのですよね。 それなら普通の言い方で、何かを 正しく伝えようとするほうが 耳の右から左に抜けてしまわない 言葉が選べるような気がします
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●あたらしく書く作家論のために、その作家の小説を改めて読み直すことをはじめた。この作家のは余白が多いので、絵が描き込みやすい。線的に流れる文章で表現されたものを、一望できる絵や図という形に置き換えて理解するのは邪道ではないかと、ぼくも思う。でもこれは、ゆっくり、じっくりと読むための技法なのだ。絵を描くためには、何度かそこを読み返す必要があるし、どんな角度から、どんな風に描くのが適当なのかを考えるし、何より、絵を描いている間は次のページに進めない(のそのページに直接描き込むので)。描いているその間の時間、ひとつの場面、ひとつの文章に留まっていることが出来る。絵を描くことそのものが目的なのではなく、そのようにして、同じ場面を何度も反芻し、反芻を繰り返しながらゆっくりと進んでゆき、その小説の内部に長い時間留まっていることこそが重要なのだ。それと、手を動かしながら読む--考える、ということも、

    ■ - 偽日記@はてなブログ
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    bartleby0911 2009/07/03
    つまり、外れた夢に関しては当然だから誰も問題にしないが、たまたま当たった夢だけを人は取りあげてさわぐのだ、と。それに対しベルグソンは反論する。それは問題の立て方が間違っている、と。この話で重要なのは、
  • 【『1Q84』への30年】村上春樹氏インタビュー(上) : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    村上春樹氏(60)が作家生活30年を経て発表した長編『1Q84』(新潮社)は、現実から少しだけねじれた世界で進む物語だ。どのように発想され、どんなテーマが込められたのだろう。(尾崎真理子) 村上(以下M) G・オーウェルの未来小説『1984』を土台に、近い過去を小説にしたいと以前から思っていた。もう一つ、オウム真理教事件がある。僕は地下鉄サリン事件の被害者60人以上から話を聞いて『アンダーグラウンド』にまとめ、続いてオウムの信者8人に聞いた話を『約束された場所で』に書いた。その後もできる限り東京地裁、東京高裁へ裁判の傍聴に通った。 事件への憤りは消えないが、地下鉄サリン事件で一番多い8人を殺し逃亡した、林泰男死刑囚のことをもっと多く知りたいと思った。彼はふとした成り行きでオウムに入って、洗脳を受け殺人を犯した。日の量刑、遺族の怒りや悲しみを考えれば死刑は妥当なのだろうと思うが、基的に僕

  • 「モスキートは、たむろする若者たちを立ち去らせる簡単で、安全で、優しい方法です。」 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    今の自分は、出会った人や読んできたによって、できあがっている あの小冊子は、新聞の付録だったのか、記憶が曖昧で定かではないのだが、1ヶ月に1回程度の頻度で届いていた気がする。オールカラーで内容もさまざまだった気がする。その中には、プロ野球の選手名鑑もあって、私は、母から受け取り、大切にしていた記憶がある。母は、…

    「モスキートは、たむろする若者たちを立ち去らせる簡単で、安全で、優しい方法です。」 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
  • KYのES細胞が癌化する。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    [rakuten:book:13069077:image][rakuten:book:12728794:image]『新潮』6月号に掲載されている川上弘美+福岡伸一の「いのちのふるまいを記述する方法」を読む。(2009年3月25日・紀伊国屋サザンシアターにて) 福岡 私も川上さんの小説を読んで、いろんなことを考えさせられました。『どこから行っても遠い町』の表題作の主人公は、自分は何事も決めずにここまで生きてきたという人物ですが、ある時「でもそれは、違っていた」と気づく非常に決定的な場面がありますよね。にも娘にも愛人にも、何も決定的なことを言ってこなかったし、すべてを委ねて生きてきた。それにもかかわらず、自分が存在しているだけで、何かを決めていたんだと気づく。その場面を読んだ時、私はちょと震えてしまいました。 川上 どうもありがとうございます。 福岡 実は細胞の世界にも、それと同じことがあ

    KYのES細胞が癌化する。 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●吾橋のアサヒ・アートスクエアで、振付・捩子ぴじん、出演・神村恵、福留麻里「sygyzy」(「グロウ・アップ・ダンス・プロジェクト」)。素晴らしかった。無理してでも観に行って当によかった。何がなんだかよく分からないが、とにかく面白い。面白いっていうのは、意味もなにもなく、ただ、いきなり面白いということなのだ。はじまったその瞬間から、えーっ、という驚きに包み込まれ、からだじゅうがもう、面白い面白いとざわざわしはじめる。一人のダンサーが体よりも大きな木の板を引き摺る。その後について歩くもう一人のダンサー。かと思うと、くるっと振り返ってタタッと走って板から遠ざかり、またくるっと振り返って、走って板に近寄り、ダッと板に飛びつき、しがみつく。板はダンサーの重みでしなる。最初はもう、あっけにとられて、ぽかんと口をあけて眺めていたのだが、しばらくして少し落ち着く余裕が出来ると、ぼくは今、「芸術の核」

    ■ - 偽日記@はてなブログ
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    bartleby0911 2009/04/28
    ナマで、バスター・キートンの最もハードな部類にはいるようなパフォーマンスが、延々と、無表情なまま、反復されている、と言えば、多少はイメージが掴めるだろうか。あるいは、凄く動くベケット、とか。
  • ■ - 続moss

    木村敏『自分ということ』(ちくま学芸文庫)を読んだ。1976年から79年に発表された論文集。「もの」的な西洋語の「自然」と「こと」的な東洋語の「自然」の違いは、学生のとき建築史の講義で説明された記憶がある。細かくは覚えていないけど、出典はこのへん(至西田幾多郎)にあったのかもしれない。 イギリス式庭園が自然に対して写実的であるとするならば、日の庭園は自然に対して表意的である。イギリス式庭園が来の自然のコピーとして、不特定多数の人びとのために手軽な代用的自然を提供する「公園」であるのに対して、日の庭は、そこに表意されている自然の真意を鋭敏に感じとる主体の側の感受性を期待して作られるものであって、したがって当然のことながら、鑑賞能力を有する少数の人だけのための私的・閉鎖的な芸術作品という性格を帯びる。(pp.26-27) つまり、「……ということ」という言いかたの中には、私自身の世界に対

    ■ - 続moss
  • 穂村弘氏インタビュー : 恒信風同人の出版物

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  • 美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ

    ●美的判断は、共同性とも社会性とも関係のない、あくまで孤独なものだ。徹底して孤独なものだからこそ、共同体や社会と関係なく、あるいは文化とは関係なく、あらゆる人に対して「より無防備に開かれている」可能性を持ち得る。美的判断が、社会性を担保にしたものであれば、特定の社会に属さない人をはじめから除外することになるしかないだろう。 美的判断はコミュニケーションとは関係がない。岡崎乾二郎が『経験の条件』のあとがきで、ウィトゲンシュタインの「自分の見ている青と他人の見ている青とが同じであるとは限らない」という懐疑を、そもそも「自分の見ている青と自分の見ている青とが、同じであるとは保証されない」と書き換える時、そこに重要な差異が生まれる。前者は結局、言語ゲーム(コミュニケーション)の問題でしかないが、後者は「美的判断(美的経験)」の問題となる。芸術によって与えられる「美的な経験」の質は、誰とも共有出

    美的判断は、 - 偽日記@はてなブログ
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    bartleby0911 2009/03/12
    つまりそれは転移関係からの離脱ということで、ぶっちゃけ、他人の顔色をうかがわなくてもよくなるためにこそ、勉強が必要なのだ。
  • お笑いはお笑い芸人にしか分からない、ということ - ニッポンの「お笑い」 − 「お笑い」文化批評宣言−

    僕は知らなかったのだけど、2年ほど前に、「検索ちゃん」で、爆笑問題太田光、品川庄司品川、土田晃之の3名が、そのタイミングのM-1グランプリについて誰かが「今年のM-1は小粒ぞろいだった」と書いていたことを巡って、「お笑い評論家って一体何なのか?」「ネタを作ったことがあるのか?舞台で結果出したことあるのか?」というようなやりとりをしたことがあったらしく、そのことが当時、ネット上で小規模な議論を引き起こしたらしい。 http://d.hatena.ne.jp/Sugaya/20070510/1178791853 大体同じような時期に、保坂和志と高橋源一郎が、(高橋源一郎は保坂和志に同調する感じで)「小説のことは小説家にしか分からない」という趣旨のことをよく言っていて、僕は単純にそのことを思い出した。 作者は、無数の選択肢の中から、その都度、ただひとつの言葉を選び、ひとつの言葉の連なりを形作る。

    お笑いはお笑い芸人にしか分からない、ということ - ニッポンの「お笑い」 − 「お笑い」文化批評宣言−
    bartleby0911
    bartleby0911 2009/03/11
    しかしながら、おそらくは具体的な体験談として語られるそのような言い分も、多くの読者にとっては、秘教的な神秘主義(超越的な自然に対して、雨乞いをするシャーマンとしての作者、のようなイメージ)としてしか捉