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n_星野智幸に関するbartleby0911のブックマーク (3)

  • 2011年1月12日(水) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    ツイッターを格的に使うようになってから1年ちょっと過ぎたが、次第に意義の感じ方が変わってきた。 去年の前半ぐらいまでは、大手のメディアに流通しない・大きく取り上げられないような情報を、さまざまな人の解釈とともに知ることができるのが、最大のメリットだと思っていた。さらに、その速報性、驚異的なスピードでの伝播力、いずれも、情報独占のヒエラルキーを崩す破壊力であり、その点にも魅せられていた。 だが、昨年の秋あたりから、情報発信の独占というヒエラルキーが崩されていることに気づき始めた。 ちょうど1年前(1月12日)、ハイチで大地震が起こった。ツイッターを通じて、報道陣に限らず、一般の人たちから次々に世界中へ情報が流され、ハイチ出身の著名人らが募金を呼びかけ、たくさんの支援があったことは、記憶に新しい(かな?)。ツイッター上では、クリックすると1円寄付されるというサイトが、このときに登場した(よう

    2011年1月12日(水) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
  • 2010年7月5日(月) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    『俺俺』 収録外のまえがき その3「わかりやすさ、について」 21世紀に入ったころから、文学にはいくつかのプレッシャーがかかるようになっています。その一つは、「わかりやすくしろ」「読みやすくしろ」。 いたずらに難解だったり、これがわかるわれわれ、みたいな特権意識を持つ読者のための作品であったりすることには、私もうんざりです。けれど、読み手のほうは歩み寄ろうともせず、「自分たちにわかるように書いてくれ」という傾向には、唖然とするほかありません。基的に文学とは、いや文学に限りません、芸術作品というのは、わからないから作る(書く、演じる)のであり、わからないから読む(見る、聴く、触る)のです。わかっていることを確認したり、自分の常識を疑わずに、自分に合わせて書かれた作品で納得するのであれば、それは引き籠もりです。スペイン旅行したいけれど、あの国のことはわからないから、スペインのほうからこっち

    2010年7月5日(月) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
  • 2010年4月25日(日) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記

    カナダ・マギル大学で日文学を勉強している学生から、twitterで次のような質問を受けました。 星野さん、十年前のインタビューでは「でも現在の言葉では信用が崩壊寸前で、言葉以外の伝達の方法へと退行しようとし ている」と述べましたが、インターネット時代でも未だにそう思いますか? 併せて「現代世界に於いてのコミュニケーション危機や最後の吐息の意味について」も尋ねてきたので、ツイッター状では字数が少ないため、こちらで答えたいと思います。 まず、インターネット時代の現在でも、「コミュニケーションが言葉以外の伝達方法へと退行しようとしている」と思っています。例えば、ツイッターでは、140字に限られます。たくさん書きたければ、連投すればいいわけですが、140事前後の塊としてぶつ切りになります。すると、短ければ短いほどよいわけなので、自分の言いたいことを、できるだけ簡潔にコピー化しようという気持ちが働

    2010年4月25日(日) | 星野智幸  言ってしまえばよかったのに日記
    bartleby0911
    bartleby0911 2010/04/30
    、記号化が強まっていく社会の中では、このその場だけの単純化とレッテル貼りが、次第に標準となりつつあるように私は感じています。こうなると、自分の感情や意志を文章で表現しても、細かいことは切り捨てられてし
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