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考察に関するbartleby0911のブックマーク (13)

  • 言葉の力 - 内田樹の研究室

    ツイッターで「言葉の力」と題する原稿を書いたとつぶやいたら、「読みたい」というリクエストがたくさん(三通)あった。 専門的な媒体に書いたので、ふつうの方の眼に触れる機会は少ないであろうから、リクエストにお応えして、ここにその一部を抄録することにする。 力とは外形的数値的に表示できるものではなく、ほんらいは内在的・潜勢的な資質であろうという話のあとに、こんなふうに続く。 たとえば「胆力」というのは、つよいストレスに遭遇したとき、その危地を生き延びる上で死活的に重要な資質だが、それは危機的状況にあっても「ふだんと変わらぬ悠揚迫らぬ構え」をとることができるという仕方で発現される。 つまり、外形的に何も変わらない、何も徴候化しないということが胆力の手柄なのである。だから、「チカラ」をもっぱら外形的な数値化できる成果や達成によって計測することの望む人の眼に「胆力」はたぶん見えない。 当然ながら、彼ら

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    bartleby0911 2010/05/17
    「言葉の力」とは、私たちが現にそれを用いて自分の思考や感情を述べているときの言葉の不正確さ、不適切さを悲しむ能力のことを言うのである。 言葉がつねに過剰であるか不足であるかして、どうしても「自分が言い
  • 書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」第3信 「人間」と「言語」、あるいは偶有性のアスペクト

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 ■はじめに 茂木さん。2年半のブランクを経て、この往復書簡がゾンビのごとく蘇ったことを、とりあえずはどう受けとめたものでしょう。 ずっと涙目で返信を待ち続けていたものの、私はこの往復書簡はとうに終わったものと考えていました。返信がいただけなかったのは、とても悲しいことではありましたが、その事実もまた「茂木健一郎」という人物の一側面であることを示しえたと考えて、それで満足することにしたのです。 もっともこの企画、茂木さんによるガン無視パフォーマンスによって世間的に有名になったというところもあって、私もずいぶんとおもしろい経験をしました。 いろんな媒体から取材を受けました。たくさんの人たちから「無視されてかわいそうに」と同情していただきました。なかでも、さる著名ミュージシャンは、この企画が往復しないほうに賭けてずいぶん儲けたということで、お礼にとごちそうしてくれま

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    bartleby0911 2010/04/05
    斎藤環から茂木健一郎への手紙
  • 甲野先生の最後の授業 - 内田樹の研究室

    甲野善紀先生を学の特別客員教授にお招きして3年。この年度末で任期満了となる。 2月1日から3日までの集中講義が甲野先生の学における最後の授業である。 ご挨拶に伺い、お稽古に加えて頂く。 ずいぶん多くの学生たち(および「にぎやかし」の合気道部員、杖道会員、OG、甲南合気会員)がミリアム館にひしめいて、さまざまな身体技法をあちこちで試みている。 甲野先生の講習会はだいたいこういうかたちで、「全級一斉」という指導法はなされない。 ひとりひとりが自分のペースで、自分の選んだ課題を試みる。だいたい数人のグループになって教え合ったり、批評し合ったりする。そのグループも固定していない。甲野先生が何か違うことを始めると、自然に解体して、また違う人たちとのグループが出来る。 自分の身体の内側で起きていることを「モニター」するというのが、稽古の基であるから、外的な規制はできるだけ行わず、ひたすら自分の内

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    bartleby0911 2010/02/03
    だから、彼らは「この世に自分のような人間ができるだけいないこと」を願うようになる。 論理的には必ずそうなる。 その「呪い」はまっすぐ自分に向かう。
  • カフェ・ヒラカワ店主軽薄 » 平等な死

    母の葬儀が終わり、初七日も済ませて やっと母の遺骨が久が原の実家へ戻ってきた。 二ヶ月前に骨折で入院したときに、 以後は歩行が困難になりそうだということで、 入院中に部屋を改装したのである。 半世紀住んでいた部屋の北面の壁は朽ちており、 ところどころに穴が開き、ねずみの棲家になっていた。 棚という棚には、使わない器、なべ、ガラス器が詰め込まれており、 そのほとんどを廃棄した。 もう数年老夫婦がここで過ごしていたら、ほとんど ごみ屋敷と化していたような状態であった。 片っ端から片付けている間、 老夫婦の身体がいうことをきかなくなって、片付ける気力が 萎えていたことが知れて、なんともいえない気持ちになった。 入院一ヵ月半のところで、改装が終わり、 井戸水を汲んで、裏玄関の外で洗濯をしていた生活に 終止符を打ち、近代的なシステムキッチン、スイッチひとつで 焚ける風呂,室内の全自動洗濯機が 母親

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    bartleby0911 2010/01/12
    死は生の延長上にある出来事ではなく、 人間の知が賦活しうる世界の出来事 とは次元を異にした出来事なのだ。
  • 寛也さんが来た - 内田樹の研究室

    水曜日は鶴澤寛也さんの講演とワークショップ。 寛也さんは今年の4月のアートマネジメント副専攻のインターンシップの受け入れ先を矢内賢二さんに探してもらったときに、「渡りに船」というか「地獄で仏」というか、そういうタイミングでインターン生たちを受け容れてくださった方である。 当日、私は別の仕事があって、打ち上げの席に後から参加して、そのときはじめてお目にかかったのである。 江戸前の、まことに粋な方で、私は衝撃のあまりブログ日記に「玲瓏なる美女」と、ふだんあまり用いない形容詞を動員したほどであった。 そのときに、今度『考える人』のインタビューに出てくださいとお願いしたらご快諾いただき、『考える人』のときには、今度大学に来てワークショップしてくださいとお願いしたらご快諾いただき・・・というふうに「とんとん」と話がまとまってその日を迎えたのである。 ワークショップにはもう少し学生たちが集まってくれる

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    bartleby0911 2009/11/30
    子どもは最初一つの「ものさし」しか持っていない。 生理的に快か不快か、それだけである。 それ以外の「ものさし」はひとつずつ自作するしかない。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    受験のテクニックとして、小論文の書き方を勉強した? その後は、ナイスなテキストを書いていますか? 考えること伝えることの愉快を、ここで味わいましょう。 ありがたいことに、小論文というものを 考えたり、たのしんだり、たくさん読んできた カジュアルで優しい先生がいるんです。 さぁ、山田ズーニー先生、お願いしまーす。

    ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。
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    bartleby0911 2009/06/04
    本来脇役の具体例が こんなに主役化されてしまっていいものか という疑念もある。 「具体例にしか反応できない人」の存在は衝撃だ。 言うまでもなく、具体例は、あくまで 「ある抽象的なこと」を言うための手段だ。
  • 池谷さんの本を読む - 内田樹の研究室

    旅行中ずっと池谷裕二さんの『単純な脳、複雑な「私」』(朝日出版社)を読んでいた。 400頁を越すけっこうなヴォリュームであるが、一気に読んでしまった。 池谷さんからのかわいい(タツノオトシゴの)漫画サイン入りので、「今回のは今までで一番気合いが入っています!」と書いてあった。 池谷さんとは以前、「PHP」の企画で対談したことがある。もう2年ほど前のことである。 私は「理系の人」と話をするのが大好きである。 養老先生、茂木さん、福岡先生、どなたも話が明快で、かつ深い批評性を備えている。 池谷さんも話していて、その頭脳の機能の高さに驚嘆したのを覚えている。 人間の脳や知性の構造について考察するときには、どこかで「自分の脳の活動を自分の脳の活動が追い越す」というアクロバシーが必要になる。 「私はこのように思う」という判断を下した瞬間に、「どうして、私はこのように思ったのか? この言明が真であ

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    bartleby0911 2009/05/19
    最終的に思考の深化・過激化のドライブを担保するのは、考えている人自身の「あ、こういうふうにぐいぐい考えていると、気持ちいい」という「気持ちの問題」なのである。
  • 「街的」の骨法 - 内田樹の研究室

    江さんが『ミシュランガイド 京都・大阪版』についてきびしいコメントを発している。 4月6日の140Bのブログに江さんはこう書いている。 ミシュランの記者会見があるので行ってきた。 このことはすでにテレビや新聞で「ミシュランガイド京都・大阪版発行へ」というふうに報道されているのだけれど、実はとある週刊誌の取材だったのだが、このところ京都・大阪の街場で、ミシュランの覆面調査員の「プレセレクション」が終わり、すでに「調査員だと名乗って追加調査」する「訪問調査」に入っているのだ。 その際のやり取りで、「取材拒否」が多く、それは「これ以上新規のお客さんが来ると困るから」とか、「星の数が少なく載せられたら困るから」とかいろんな事情があるのだが、普段来ない顔の見えない訳のわからない人に格付けされることに対しての違和感だろう。 その底には、京都・大阪といった固有の、歴史と風土と人に裏打ちされたをとりまく

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    bartleby0911 2009/04/17
    現に目の間に「あるもの」が存在し、たしかな特徴があり、魅力があり、それを指称する言葉として「これは・・・みたいである」という他のものと同類にくくりこむ言葉づかいが自制されるようなもの。 これは「これ」
  • 叶美香 おっぱいにつまっているもの - NOVAが駅前にある限り

    ・・・シリコン!?というつっこみを期待しているかのような挑発的なタイトルにまず驚かされるが、特に美しさについて書かれている部分を読めばわかるとおり、恭子さんと同様、ある程度体を外科的にいじっているとしても、それ以上に内面からにじみ出る美しさがすさまじいので、一切神経症的な恐怖感に苛まれているようには見えないところが非常にすばらしい。これも恭子さん同様、友達はいない、と断言していることも注目に値する。ようするに、転移を廃したストア派的精神の持ち主であることで、周囲に細やかに気を配り、目を配ることが可能となる。叶だけに。それによって、社交界・芸能界で一定の地位を築くことに成功しているであろうことは疑いの余地がない。すごい。 無類の気遣い好きであること、男性相手にオクテであること、義理堅く、CM出演していたDHCの商品をやたらとプッシュしていること、恭子さんの分も含めてスケジュールやギャランティ

    叶美香 おっぱいにつまっているもの - NOVAが駅前にある限り
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    bartleby0911 2009/02/10
    転移を廃したストア派的精神の持ち主であることで、周囲に細やかに気を配り、目を配ることが可能となる。転移を廃した、、、樫村春香的な感じだろうか?あわせて読みたい
  • 第五章(結ばれていく要素たち) | memo_OFF

    常時元気な人と一緒にいると疲れてくるのと同じで青々した晴れすぎな空にやや疲れてきているあるがですこんにちは! きのう駅でバッタリナカジマ君に会って気温0度の中、延々と話していたのは、 「雪が降ったあとの、しんとした感じを味わいたいよねホントいい加減。」ということです。 ナカジマ君に会う直前私は保坂和志「世界を肯定する哲学」をようやく読み終わる直前で、 一番私が今「書くこと」の中で経験/実感していることを端的に書かれた文章があって「やっぱね!」と衝撃を受けたところだった。 以下、引用。(「世界を肯定する哲学」p.186) 「科学を基盤として現代の思考法は、一つ一つの要素を検出し~それらの信頼性を確認し~それらを集積する、という手段にならざるをえないけれど、そのような<集積>からは<私>は出てこない。私はただ<私>なのだ。私はただ<私>で、漫然と頭を去来する思い出や経験の断片があることで、それ

    第五章(結ばれていく要素たち) | memo_OFF
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    bartleby0911 2009/01/16
    「結実」を期待し、「固い、確固とした」、「種」のようなものが見えてくると思っていたら、 見えてきたのは、「柔らかい」「雲」だった。
  • 創造的労働者の悲哀 - 内田樹の研究室

    興味深い記事を読んだ。 12月18日毎日新聞夕刊に東大で行われた学生実態調査の報告についての短信である。 学部学生3534人(回答者は1367人)対象のアンケートで「自分はニートやフリーターになるように思う」と答えた学生が7.4%、「ニートにはならないが、フリーターになるかもしれない」と答えた学生が20.9%。 あわせて28.3%の東大生がいずれニートかフリーターになる可能性を感じている。 この数値の経年変化にも興味があるところだが、記事では触れられていない。 個人的予測を述べさせてもらえれば、数値はこの後も増え続けるだろうと思う。 東大生が就職にきわめて有利なポジションにいることはどなたでもご存じである。 だから、彼らがそれでも「ニートかフリーターになるかもしれない」と思っているのは、「就職できない」からではない。 新卒でちゃんと一流企業や官庁に就職はするのである。 オフィスにばりっとし

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    bartleby0911 2009/01/14
    「とにかく、いいから黙って働け」というのが世の中の決まりなのである。 なぜなら、人間はなぜ労働するのかということの意味それ自体が労働を通じてしか理解されないからである。
  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

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    bartleby0911 2009/01/05
    ふつう私たちがバカなのは、私たちが「りこうの真似をしていない」からではなく、端的に私たちがバカだからである。 そう考えてはじめて「私たちの愚かさの構造」についての吟味が始まる。
  • リーダーシップは涵養できるか? - 内田樹の研究室

    ある新聞からの電話取材で「女子大の存在意義」について訊かれる。 東京でお茶の水女子大、奈良女子大、津田塾、東京女子大、日女子大の五大学の学長を集めて、女子大の存在意義についてのシンポジウムが先般あったそうで、それについてコメントを、ということである。 シンポジウムで学長さんたちはどういう結論になったんですかとお訊ねする。 女子大の存在意義は、「女子だけを集めると、男子に依存しない、リーダーシップのある女性を教育することができる」というのが合意点でした、と記者さんは言う。 伝聞であるから、これがそのままシンポジウムの結論だとは思わないが、そういう趣旨を含んでいたとすれば、ずいぶんと貧しい考え方だと言わねばならない。 当然ながら、私はそのようなロジックには同意することができない。 つねづね申し上げているように、私は「リーダーシップ」とか「エンパワーメント」とか「社会進出」とかいうことばで教育

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    bartleby0911 2008/12/26
    リーダーシップと同じように、「サブ・リーダーシップ」や、「リードされるシップ」や、「何かというとリーダーにあやつけるシップ」や、「あとはオレに任せてくれシップ」や、「どっと盛り上がりましょうシップ」や
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